25.蘇生儀式
石造りの神殿は、老朽化と再築を繰り返して居て、その時も外の壁の周りには、工事用の足場が組まれていた。
それでも、古の佇まいを残している巨大な建造物は、見る人を圧倒する。
そのアプロネア神殿の内部は、外の見た目と違ってひどく近代的だ。神殿内部は物理的にも術的にも衛生が守られており、内部に侵入しただけで、体に「浄化」と「増幅」が得られる。
現在でも、アプロネア神殿は再築したほうの内装の一部を見学用に公開している。其処を訪れた人達も、帰る時は「なんだかさっぱりした気分がする」と言いながら帰路に就く。
そんな神殿の一室で、アンさんの肉体は集中治療を受けていた。
当時の機械での治療じゃ、生命力を持たせるのが間に合わなくて、術を組んだ部屋の中に安置されて、補助術師達が代わる代わるに、力を送りながら見守りを続けていた。
アプロネア神殿が協力してくれた理由には、アンさんの特殊な血筋が関係している。
アンさんは、ある種の龍族の血に似た、古い血を受け継いでいた。それが、霊体が存在しなくても生きて居られると言う、彼女の、人間としてはおかしな生命力の強さに結びついていたんだ。
アンさんの体に霊体が存在しない事は、随分前にフィンさんが見抜いていた。そしてその体が、数日間で急激に衰弱した。
それで、大急ぎでアプロネア神殿に連絡を入れたのだ。「研究に値する、特殊な人物の生存が危うくなっている」と言って。
それから、フィンさんは、蜂蜘蛛の住処に居るノリスと連絡を取った。彼女達は、常にどちらからとなく連絡を取り、アンさんの容体について話し合っていたらしい。
ノリスはユニバーシティで研究してもらっていた、魔力装置を実用する事を決定した。
でも、その装置を使うには、まだ命の途切れていない肉体と、健康な霊体が、同時に同じ場所にある事が必要だ。
だから、フィンさんとノリスは、ギリギリまで待った。
アンさんが、全部をやり切ったって、自信を持って帰ってくるのを待っていた。だけど、結果としてはアンさんは霊体が消耗しすぎた状態で、意識もなく戻って来るしかなかった。
「そんな事になるんじゃないかって思ってたよ」
フィンさんから当時の話を聞いたとき、そう彼女は言っていた。
「だから、霊体を保存するための棺を作って、用意しておいたんだ。何時、アンがボロボロの状態で戻って来ても、消滅しないようにね」
フィンさん達が、ハウンドエッジ基地からアプロネア神殿に辿り着くまで、アンさんの体は、本当にいつ死んでもおかしくない状態だった。
自発呼吸は無くなって、人工呼吸器が必要になった。心臓は微かに微かに脈打っている程度で、術に力を送っている補助術師達も、十五分おきに交代しなければならなかった。
もしアンさんが「研究に値する存在」じゃ無かったら、「このまま苦しませずに死なせてあげましょう」と言う、優しい死刑宣告が成されていただろう。
でも、色んな人が色んな所で頑張ったのは、無駄じゃなかった。
透明な棺を担いだファルコン清掃局の人達が現れたのを、補助術師達は奇跡が起こったような表情で迎えた。棺は、予定の部屋に運び込まれて行く。
説明のために、フィンさんは、その時見守りをしていた補助術師の所で立ち止まって話しかけた。
「すぐに、蘇生術の術式を行なう」と、フィンさんは術師に告げ、尋ねた。「霊体を増幅するまで、体のほうは持つか?」
その時、生命維持の術を担当していた補助術師は、「絶対に生き延びさせます」と、熱っぽく断言したそうだ。
「いや」と、フィンさんは言い、「あんたの体は持つかって聞いてるんだ」と聞き直す。
緊急患者を置いておいて、術師の心配をしている清掃局員を見て、術師は目を瞬いた。それから口元に笑みを浮かべ、「徹夜明けに草むしりするより楽ですよ」と答えた。
「頼んだぞ」と残して、フィンさんは棺の後を追った。
霊体を増幅するための術を仕込んだ部屋の真ん中に、アンさんの霊体が入っている棺が配置される。棺の模様と、部屋の床に描かれている模様がぴったり重なるように。
棺を開ける事はない。内部で霊体は溶解しているはずだからだ。
先に来ていたノリスとタイガさんが、部屋の「術師」の位置に、瞑想の姿勢で座って待っていた。部屋中に描かれている、複雑な幾何学模様のような陣の二隅だ。
三つ目の位置にフィンさんが就いて、やはり床に座り込む。棺を安置した局員達は、速やかに部屋を去った。
三人は、視線を合わせて頷くと、両手を左右夫々の方向に向ける。丁度、腕と手の平を直線で繋いだら、三角形を描くように。
ノリスは治癒魔力、タイガさんは増幅魔力を高める。フィンさんはその二人からエネルギーを受け取って、魔力を霊力に変換する。
三人の間で練られた力は、どんどん部屋の中に満ちて行く。
部屋中に描かれていた、幾何学模様の隅々まで力が行き渡った時、三人は自分達の中央にある棺に、両手の平を向けた。
風が唸るような音を立てて、変換された力が棺に集中する。
増幅の術式は、正常に完了した。
オリュンポスユニバーシティから運び込まれた、とてもコンパクトな装置は、内部に「夢見が淵」と言う魔力を持った曲の術式を組み替えた霊符が入っていると言う。
その装置は特殊なヘッドフォンを繋ぐことで、特定の人物にだけ、術式の組み替え曲「目覚めが丘」を聞かせることができる。
その準備が出来てから、相変わらず透明な棺に入ったままのアンさんの霊体を、集中治療室に運び込む。
後は、肉体のほうに音楽を聞かせるだけ。ただし、アンさんの霊体が正常に回復しているかは、体に霊体が戻ってからでなければ分からない。
「マウスでの実験は繰り返してもらってたけど、人間に適応するのは初めてだったからね。緊張したよ」と、ノリスは語っていた。




