19.もうすぐ
空間の亀裂から溢れて来る、石の質感を持った蜻蛉を打ち払い、空間の裂け目を扇で撫でる。すると、其処に在った闇を伴う皹の様なものは掻き消えた。
よしと思って、気が緩みかけたマナムの背後に、別の入り口から出て来ていた石蜻蛉が近づいている。それにいち早く気付いたエリー達は、人差し指に魔力を込め、振り下ろす。
雷撃が複数の石蜻蛉を襲い、彼等の体は砕けた。ざらざらと砂のようになりながら、地面に降り注いで行く。その粒子は、イズモが流動の先を変えて、なるべく海に落とした。
マナムはエリー達のほうをちらっと見たが、イズモから「集中して」と言う通信を受け取り、「はい」と返事を返すと、別の入り口を閉じるために飛翔した。
明識洛に開いている異界への入り口は、数が少ないが、明らかに「向こう側から開けられたもの」が多い。
しかし、それ等は帰ってきたカーラが近くを通ると、縮小されるか消滅した。縮小するだけだったものは、手の平をあてると、見る間に消えてしまった。
何かが、恐らくあの少女達が、「異界の入り口が閉じたのはカーラが閉じたため」と言う状況を作ろうとしているようだ。
それに、カーラは早急にハンナに伝えなければならない情報を持っている。でも、塞がりきれていない「入り口」を数ヶ所閉じるくらいは出来た。
キーナの神気体の消耗を治癒していた雨は、夜になる前にはやんだ。ハンナはそれと同時に呼びかける。雨みずくになったキーナは、どろどろの地面から体を起こした。
衣服が汚れている他は、目立った外傷はない。ハンナが「何故意識を失うほど消耗したのか」を問いかけると、キーナは「新しい術を覚えたんだ」と返して、その術の説明をした。
ハンナはそれが「清浄化」と言う術で、小型の対象に向かって使う術であると教えた。キーナは、今まで術の使い方を間違えていた事を認識したが、「便利な力だと思ったんだけどな」と強がりを言った。
ハンナはキーナに「邪気は普通の方法で退けて、入り口を塞ぐ時だけその力を使えば良い」とアドバイスをした。それと同時に、ハンナの背後で窓が開く気配がした。
翌朝。
サクヤは、すっかり襲って来なくなった蛸の化物をまだ警戒しながら、海の中にある異界への入り口を探し回っている。身体に球状の結界を纏わせ、海中を移動するのにも慣れてきた。
移動途中で、数ヶ所の入り口を見つけたが、あの化物蛸が出て来れそうな大きさのものではない。遠隔から力を送ると、簡単に入り口は閉じた。
ものすごい勢いで何かが近づいてくるのを察し、サクヤは腕に神気を込めて構えた。視線をあちこちに巡らせていると、バスケットボールくらいの頭を持った蛸が襲い掛かってきた。
切ろうとしたが、蛸はサクヤの腕に引っ付いて離れない。
もしかして、あいつ等の子供の蛸なの?
そう思っているうちに、若蛸達はどんどんと捨て身の吸着を挑んできた。
龍族のガーネットと行動を共にしていたアンバーは、針葉樹林帯に覆われて見つけにくい入り口を探し飛び回っていた。氷の神気の扱い方も熟知し、小さな入り口だったら氷柱の一撃で塞げるようになった。
ガーネットは、時々、様子を見るように遠くに視線を向ける。龍の視線に何が映っているのかは分からない。しかし、その様子は何かの機会をうかがっているように見えた。
死滅する時に邪気を放つ生き物達は、まだあちこちに発生している。先日の蟹のような大型のものから、地面を這いまわる小型のものまで様々だ。
ジークからの様子見の通信は時々あるが、ガーネットと話させようとすると、ふざけた声を発して通信を切ってしまう。龍族が怖いとか何とか言う事があるのか、とアンバーは考えていた。
眠って起きてから、カーラはキッチンに置いてあった食パンを手に取ると、ハンナの通信部屋に駆け込んだ。お腹は減っているが、すぐにでも覚えている事を説明したいと言う様子だった。
パンを食べながら話すカーラの話の中で、本気で戦おうとしている魔獣達は、もうほとんどいないと言う事と、残っている向こう側の戦力は、若い魔獣や製造されて間もない複製魔獣達だけだと聞いた。
全ては、演劇なのだ。導く者達を満足させ、この星を舞台として使う事を諦めさせるために、魔神達は命がけの演劇を行っている。
そう聞いて、ハンナはしばらく考え込んだ。それから、通信を起動してジークにその旨を伝えた。
情報を得たジークは、ハンナに対して「その話はまだ伝える時じゃない」と述べた。何せ、各地で戦っている者達の多くは若く幼い。
情報を得てしまった事で、戦意を喪失するとまではいかなくとも、何処かでぎこちなさが生まれてしまうかもしれない。それでは、演劇はスムーズに進まない。
「演者には、劇に集中してもらわないとな」とジークは言う。
それから「ハンナ。あんたの状態保存も、そろそろ切れかけてるだろ? カーラから治療してもらえ。お前が死んだら面倒くさいしぃ」と捨て台詞を履いて通信を切った。
命の危険を「面倒くさい」で片づけられてしまったが、確かにハンナの状態保存の術は、切れかけている。カーラは、頼む前からハンナの肩に手を当てた。
視力を妨げていた眼精疲労と、体中の強張り、抑え込んでいた空腹や喉の渇きが癒される。
神気には、こんな使い方もあるのか。
そうハンナは認識して、場を守らせる戦力として彼等に力を使わせている自分達は、ひどく愚かであると心の中で思った。しかし、演劇の舞台でシナリオを貶すわけにはいかないのだ。
大陸中央でエニーズタイプスリーと遊んでいたアンは、元素系魔術に対する、タイプスリーの特徴を掴みつつあった。元素系魔術で一番有効なのが、「水」を使った術。
水を細い槍のように集中してタイプスリーの体を射抜くと、岩石質の体の一部に小さい傷をつけることができる。つまり、物質攻撃が一番有効なのだ。
しかし、アンナイトが操っている神気体は、守護幻覚達が作った剣を正確に使えない。アンナイトはガルムが操縦している時の神気の現象を、模倣しているだけだからだ。
それその物が強い神気の塊である物体を、振り回せるほどのパワーが無いのだ。
アンはサッと遠くに視線を向けてから、振り回されて来たタイプスリーの手の平を潜った。
それから自分の手の平に水を集めて細かい針状の弾丸を作り、エニーズの額の近くをすり抜ける時に頭にそれを撃ち込む。
赤子は殴られたような悲鳴を上げて、泣き出した。恐らくチクチクしている額を掻きむしって、打ち込まれた異物を取り出そうとしている。
「アン・セリスティア」と、アンナイトが声をかけてきた。「時間は?」と。
アンは念話で答えた。
――もうすぐ。




