15.慈雨と少年
滝のような雨が降っている。空に雲が集まり、雷を伴うスコールが降っている。
少年は、大地に倒れている少女の肩に手をかけ、彼女を見守っていた。
一度、遠くにある、精霊の樹と呼ばれる巨木達のほうを見て、人間にそうするように頷いて見せた。
――大丈夫。見つけたよ。
少年は、そう、樹木に向けて心の声を送る。
――君達の言った通りだった。
渇きを癒せる水が必要になる。そう教えてくれた木々達の「声」は、真実だった。
少年は、少女の肩にかけた手から、彼女にエネルギーを送っている。
少年の力だけではない。見渡せる限りの広い平原の中にある、様々な植物から集めた力だ。まるで、それはある種の神気のようだった。
雲を透かす太陽の光は減退しつつある。夕暮れが近い。
少女は意識を取り戻したが、瞼を開ける力も残っていなかった。
――誰?
そう、弱弱しい念話を送ってくる。少年も念話で答えた。
――僕は、そうだな……チャーリーって呼んで。
――チャーリー。私、どうなってるの?
――すごく神気体が疲労しちゃってたんだ。もう少しで、消滅しそうなくらい。でも、安心して。僕達の力でも、時間をかければ治せるから。
――私、急がなきゃならいんだ。
――ううん。大丈夫。今は休んでても問題ない。ハンナ達も、もうすぐ連絡をくれると思う。
――ハンナを知ってるの?
――うん。向こうも、復旧作業に手間がかかってたみたいだ。
――やっぱり、術が阻害されてたんだね。
――そうだね。人間の作ったネットワークは、知られやすいから。
――チャーリー。
――なあに?
――ありがとう。
その言葉を聞いて、少年は顔を笑ませた。
――僕も、ありがとうを言わなきゃ。
――なんで?
――ずっと、カーラを守ってくれてたでしょ?
――うん。ちょっとはね。でも、色々頑張っても、まだ、仲良しには成れてない。
――何時か分かってくれるよ。
――だと良いな。
――もうお喋りはしないほうが良い。もう少し眠りなよ。
――そうする。
そう言って、少女の意識は再び眠りに就いた。
医者に一日間の休養を命じられていたマナムは、宵の入りにようやく退院する事が出来た。
イズモと、朱緋色の瞳を持つ白い髪のワンピース姿の女性が一人、退院したマナムを迎えに行った。
「この人は誰ですか?」と、マナムは聞いた。確か、自分が意識を覚ました時にも、イズモと一緒に居た人のような気がする。
「名前はエリー。彼女と、彼女の姉妹達が、君の復帰を助けてくれるって」と、イズモは言う。
「よろしくお願いします」と、丁寧にマナムは頭を下げた。マコトが近くに居ないので、自分がしっかりしなきゃと思っているのだろう。
「よろしく、マナム」
そう声をかけて、エリーは保護者の方を向く。
「姉妹達の調査によると、天空の高い位置を魔獣の群れが覆っています。このままでは、外部からこの国への術を通す事が出来ません。早急に、『扉』と魔獣の削除を」
「分かった」
イズモは短く答え、マナムの視線に合わせるように身を屈ませる。
「良いかい、マナム。よく聞くんだ。以前のように、『一匹も逃がさない』つもりでぶつかって行く必要はない。どれだけ疲れなくても、囲まれたらどうしようもないからね。
マナムは、異界の扉を閉ざして、それ以上魔獣がこの土地に入って来ないようにしてくれ。今、上空に居る魔獣達は、私とエリー達が何とかする」
その言葉を聞いて、マナムは反省すると同時に、戦いの意思を決め、頷いた。
バチバチバチバチと、火花の散る音を立てて、ハンナの屋敷を覆っていた結界が発光している。
まるでそこに居るのが当たり前のように取りついていた蝙蝠猿達も、電気ショックのようなエネルギーを浴びて、驚いたように結界から飛びのく。
だが、長時間の絶望を味わわされたハンナの恨みは深い。彼女は、魔獣に対して追加の攻撃を送った。雷撃のような閃光が、結界内部から蝙蝠猿を射抜く。
体中が焼け爛れた魔獣は、ぼとりぼとりと地面に落ち、塵と化して消滅した。
逆探知が成功してから、敵の持っている「マーヴェル家」の魔力組成情報を削除し、別の情報に書き換えた。それから、ハンナのものと同じ魔力を使っていた「彼等」を発見できた。
根城を知るまで、もっと演算に時間がかかるはずだったのだが、其処をショートカット出来たのは大きい。
蝙蝠猿を始末してから、ハンナは通信の術式を組みなおした。
異空間に行ってしまったカーラも心配だが、何より最初の情報を与えた以外、全くサポートの出来ていなかったキーナのほうが気がかりだ。
あの頑張り屋さんの事だから、一人で無茶をしている可能性がある。
元気で明るい妹なんて、全力で演じなくても良いのに……と、ハンナは思った。
思ってから、キーナの努力を演技だなんて言うのは、彼女に失礼だと思い直した。
水晶版に、キーナが居るはずの乾燥原が映る。向こうもまだ夕方のはずだが、思ったより空が暗い。雨が降っているらしい。
キーナの持っている力の波を追うと、地面に倒れたまま眠っている彼女と、その肩に手を置いて力を送っている何かの霊体が見えた。
――見つけてくれたね。
その霊体は、ハンナにも聞き覚えのある念話を送ってくる。
植物のネットワークを介して伝えてくる、特殊な念話だ。
――後の事は、任せて良いかな?
ハンナは、情報を取得している画面に置いた手が震えてきた。
息を吐き、数回大きく瞬きをしてから、通信越しに念話を返した。
――任せておいて。ありがとう、ジェームス。
――どういたしまして。
そう答えて、少年の霊体は姿を消した。




