12.つないだ両手
空の光が減退し、海の中はとっぷりと闇に閉ざされていた。
結界を纏った状態で、その中から飛翔してきたサクヤは、光魔球を操り、球形の結界に纏いついた雫が切れてから、近くの島に避難した。
巨大な蛸がどんどん出て来ていた、「異界の入り口」を塞ぐことに成功したのだ。一つは海中に浮遊し、一つは砂底の凹みのように見え、一つは深海の底に開いていた。
ジークが言っていた通り、結界の中の酸素が無くなる事も無かったし、体力が無くなる事も無かったが、緊張から息が上がるのは抑えられなかった。
海の中で、縦横無尽に泳ぎ回る蛸達は、過密が故に互いにぶつかり合ったりしていて、海の上空で「敢えて近づかなければならなかった時」よりも、避けるのは簡単だった。
距離を測りながら、自分達の方からサクヤに向かってくる蛸達の、脚や頭を神気の刃で切り取れば良いのだ。
そんなこんなで、何とか場は守り切った。
光魔球を消し、サクヤは砂浜に寝転んだ。月はとっくに沈んでいる。おまけに空には黒い雲が流れている。
ササヤはどうしてるだろう。
そう思って、サクヤは目を閉じた。
あの子、なんで、アンバーって名乗るのを気に入っちゃったのかな。まぁ、響きはカッコイイけどさ。友達がつけてくれた名前だからって言ってたっけ。
あんなおとーさんや、おかーさんなんかの付けた名前より、友達の付けてくれた名前のほうが良いよね。私にも、名前を付けてくれる友達が居たら良かった。
ヤイロ父さんは、私の名前が好きだって言ってたけど、なんでだっけ。あ、そうそう。「朔夜」って言う当て字が綺麗だって言ってたな。
月齢を重んじる地方では、朔夜は一日目の事。新月の夜空が見える日。真っ暗な空が、そんなに綺麗なものかなぁ?
そう思って、サクヤはうっすらと目を開けた。雲が晴れ、目が闇に慣れてきたので、ひどく明るい星空が見える。都会では絶対に見られないような、自分では光らない小さな星まで。
「綺麗……」
そう呟いて、サクヤはぼんやりと片手を夜空に向けた。
途端に、頭の中に砂音が聞こえてきた。つい数時間前まで、うるさく指示を飛ばしてきていた声が聞こえる。
――サクヤお嬢ちゃん。休憩中か?
――ジークさん……だよね?
――ああ。海の中はどうだった?
――三ヶ所、大きな「入り口」があった。全部塞いで、蛸も大体やっつけた。お化けじゃない蛸以外は。
――やるじゃん。初戦にしては上出来。
――何? 大怪我してピーピー言ってたほうが良かった?
――いや。こっちも大忙しでね。そこで、ちょっとしたお知らせだ。
そう言ってから、ジークはこう告げた。
――ササヤが苦戦中だ。補助してやれる余力はあるか?
それを聞いて、サクヤは砂浜からがばっと起き上がった。
――北に居るんだよね? 助けに行けって事?
――いや、お前はその土地を動くな。
補助しろと言ったり、動くなと言ったり、ジークの指示の意味が分からない。
ジークはマイペースに続ける。
――遠方に居たササヤから、助力を願われた事は、過去になかったか?
――分かんない。
――よく思い出してみろ。夢の中でも、無意識の中でも、なんかあったはずだぞ。
――夢の中と無意識の中を、どうやって思い出すの?
――屁理屈言うな。とにかく、その時と同じように、ササヤに力を分けてやれ。お前が主なんだからな。
どっちが屁理屈だと思いながら、サクヤは考えた。
ササヤが力を必要としているなら、確かに助けたい。この土地を動かないまま、ササヤを助ける方法は……と考えて、ヤイロから聞いた事を思い出した。
ササヤとサクヤの力は同等。しかし少し種類が違う。サクヤの力は、ササヤを作り出すことに注がれている。
ササヤが、私の分身なんだったら、私の力が、今でもササヤに注がれているんだったら……そう思って、両手を合わせて、祈るように握りしめた。
もう一度目を閉じ、心の中で念じた。「私に力を。ササヤを、あの子を……私達を、救うための力を」
サクヤの体を覆っていた羽根が、ぞわぞわと増殖するように動き出す。星の光が、雨のように月色の鎧に降り注いだ。閉じたままの目の前に、自分のものとよく似た、羽根を纏っていない片手が伸ばされる。
――ササヤ。ううん、アンバー。
サクヤは念じながら、ゆっくりと握りしめた両手を解き、差し出された手を両手で包み込んだ。
――受け取って。
つながれた手の中で、瞬間的な発光を伴う、神気の伝達が行なわれた。
凍り付いたドレスのようなアンバーの鎧が、急激に密度を増した。ドレスの上に胸当てと肩と腕を守る装甲が付き、氷のロングブーツを履いていたような脚にも、膝と脛を守る装甲が発生する。
長時間の戦闘で疲弊していた体に神気が追加され、体の周りを白い冷気が波のように包んだ。
「ガーネット!」と、アンバーは龍を呼ぶ。盾を備えているほうの手を、地面に向けながら。「火炎を!」
察しも良く、白い龍は魔力を込めて深く息を吸い込むと、赤ではなく青い炎を宿した吐息を、凍れる大地一面に解き放った。
その火力の流れに、アンバーの神気が追加される。神気を纏った炎は、「悪しき者」だけを限定的に焼いて行く。
夜空が明るく照らされるほどの火力で、地面を這いずる者達は焼き消されて行った。炎に焼かれながら、その者達は、ある方向に避難しようとした。
闇と梢に覆われて見つけ出せなかった、その者達の出入りする「入り口」を発見した。アンバーは氷の槍を握った手に、あらん限りの神気を込める。
増幅状態にある今なら、少しは無理が出来る。いや、多大な無理も出来る。
針葉樹の森の中に大穴を開けていた、その「入り口」に槍を突きつけ、滝のような氷の刃を降り注がせる。埋まってしまえと念を込めて。
白いドラゴンと少女は、喉を鳴らして呼吸をしながら、その日の戦いを終えて「安全地帯」まで退避した。
見上げるほど体が大きく、一口で人間を数十人は食べられそうな大きなのドラゴンだったが、安全地帯に到達すると、急に体の大きさが小さくなった。
それでも、アンバーよりはずっと大きい。背を預けて眠れそうなくらいの大きさはある。
「ガーネット。あなたをクッションにして良いかな?」と、アンバーは地面に座ってから聞いた。
「好きにしろ」と言うガーネットの肉声は、思ったより高い。
「あなた、雌なの?」と、アンバーが聞くと、ガーネットは人間のように笑いを噴き出した。
「確かに、生物としては雌だな」
そう言いながら、ガーネットはアンバーの近くにドサッと座り込む。四肢を折り、脇腹が少女の背の辺りに来るように。
「お前も、雌だろう?」
「ああ。その表現、嫌だな」とアンバーは言ってから、鱗に覆われている柔らかい脇腹に寄り掛かり、「失礼したね。許して」と続けた。
「分かれば良い」と、ガーネットは言ってから、「眠れ。お前が人間でないとしても、疲労が残るぞ」と、自分も首を地面に預けながら諭した。
「うん。あー、目が疲れた」
そう言って、アンバーは首を上に向ける。
新月の夜のような満天の星空が、其処に在る。
「綺麗……」
そう呟いて微笑んでから、アンバーは瞼を閉じ、瞬く間に眠りの中に沈んで行った。




