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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第一章~死霊の町の一週間~
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27.死者の国

 赤い砂の包む荒野に、熱された風が吹きつける。細かい砂が体を叩いて、ひどく居心地が悪い。

 片手で口と鼻を覆いながら、「あいつみたいに、マフラーでもつけてたら良かったな」と思った。

 永遠に沈まない太陽が照り付け、乾燥した空気が喉を乾かせる。

 人形(ひとがた)に宿った姿のまま、ランスロットは荒れ野を歩いていた。術を使ってみようと考えたが、自分の持っていた魔力は気配も感じられない。

 ――ラム。お前の往く先には、何があるのだろうな。

 病床の床で、師はランスロットにそう語り掛けた。

 まだ呼吸は安定していた。身体の劣化も酷くはない。医者に診せれば、あるいは命を長引かせられたかもしれない。

 それを提案すると、師は答えた。

 ――良いんだ。私は教えを守ってくれる弟子に巡り会ったからね。この世界での役割に、全霊を尽くしたんだよ。

 紙で作った人形に宿っていたランスロットは、生きている人間のような歯がゆさを感じた。

 ――教えは、必ず守り続けます。俺の体が消滅するまで。

 そう、決意の言葉を告げると、師は少し笑って、咳き込んだ。呼吸は安定していても、病は笑うと言う行動も許してはくれなかった。

 身を丸めた師の背を撫でると、その体が骨ばって、痩せてきていることに気づいた。気づいても、何も出来なかった。何もすべきではないと思った。

 誇り高き術師は、老いと病に身を任せて、衰弱して行った。

 ある日、発作を起こした際に呼吸が止まり、そのままこの世を去った。五十七年の生涯だった。

 遺髪を保存し、亡骸を燃やし、骨を拾って骨壺に収め、土に埋葬した。

 かつての事を思いだしながら、ランスロットは、彷徨うように足を進め、考えていた。

 ――決して絶望するな。決して歩みを止めるな。決して諦めるな。

 そう、何度も師に言い聞かされていた教えには、一つだけ許しがあった。

 ――もし諦めるのなら、全霊を尽くしたと自分を許せる時だけだ。

 ランスロットは、意識の中で師の言葉を反芻した。

 そして、まだその許しに身をゆだねる時ではないと悟った。

 ――まだだ。まだ、全霊は尽くしていない。俺は何もしちゃいない。あいつに、負い目を着せただけだ。

「戻らなきゃならない」と呟いたランスロットの手に、一枚の霊符が浮かび上がる。「俺は、お前達の相手をしている場合じゃない」

 音を立てて、ランスロットの足元の砂が波のように彼の周りから引いて行く。

 ランスロットは、足元に開いた獣の口の中に、霊符を叩きこんだ。

 解放された魔力から、閃光が放たれる。飽和した光が、空間を埋めた。


 木曜日昼十二時

 ファルコン清掃局、ウルフアイ清掃局、そしてドラグーン清掃局からの応援部隊が到着した。

 新しく派遣された人員は、予め生み出されていた邪霊達を清掃し、邪気に汚染された者達の救出に奔走した。

 人数の多さを競っても仕方ないが、ファルコン、ウルフアイ、ドラグーンの順番に、到着した人員は少なくなった。ドラグーンから来たのは三名のみ。

 そのドラグーン清掃局から派遣された、ダイナ・アベラールは、東地区の補給所に居ると言うアン・セリスティアの下に足を運んだ。

 静まり返った補給所の中、アンは椅子に座り、片手をぐっと握りしめたまま、少し俯き、身じろぎ一つしない。朱色と言うより、ほとんど赤に近い瞳は虚ろに床の何処かを見つめ、その頬には、涙が伝って乾いた跡が残っていた。

 アベラールは声をかけた。

「セリスティア。貴女はよくやった。だから……それは、もう、放しても良いんだよ?」

 アンは、約五時間以上、握った拳を緩められないでいた。そこにはもう何もないと分かっても、何もないと確認してしまうのが恐ろしかった。

「私は……。誰を助けられたの?」と、アンは乾いた声で呟いた。

「エム・カルバンを回復させたじゃないか」と、フィン・マーヴェルが言葉をかけて来る。「まだ眠ってるけど、起きれば、きっと……」

 貴女にお礼を言いに来るよ、と、言いたかったが、それが唯の気休めであることも分かっていた。

 マーヴェルは、口をつぐみカウンターに置いていた手を握りしめた。彼女は、疲れ切っているアンに、駆け寄る事も、寄り添う事も出来なかった。

 アンがその身に受けた業の重さを知っているからだ。

「私一人が来たのは、間違いだったんだ」と、アンは乾いた声で断言する。「火曜日に成れば、ネリアも動けたはずだった。その時、援護を頼むべきだったんだ。私は、驕ってたんだ。自分一人でも、どうにか出来るって」

 アベラールは首を横に振り、アンの肩に手をかけた。

「火曜日に成っても、アーヴィング家からの要請は無かった。依頼者からの直接の要求が無ければ、私達は動けない。ティアナ・アーヴィングが追加の人員を頼んだのは、つい昨日だ。

 セリスティア。何度も言うけど、貴女は貴女の出来る限りの事を行なった。貴女が、自分を責める思考に憑りつかれているのは、その、片手に握っているものの影響だ」

 アンは関節がほどけなくなっている手を目の前に持ってきて、焦点を合わせようと努力した。

 しかし、憔悴状態の彼女の力では、何も見えない。

「この中に、何があるの?」と、アンはアベラールに聞いた。

「『魂』だ」と、アベラールは答え、片手の指を二本上げる。「二つ」

 アンは、痺れて動かない拳をじっと見つめ、親指から順に、もう片手を使って、指をほどいて行った。握りしめ続けた関節は硬直し、ほぐすのには痛みを伴った。

 顔をしかめながら、一本一本の指を、不格好な形なりに緩めて行く。

 小指まで手がほどける。一見、何もないように見えた。

 マーヴェルがアンの手を見つめていると、ふわりと光の粒子が二つ、アンの手から離れた。

 一つは、すぐ隣の部屋に移動した。もう一つは、補給所ではない別の場所に飛んで行った。

「アン。見えたか?」と、マーヴェルは表情を希望に輝かせる。

 アンは目を瞬き、信じられないと言う思いで、首を振った。その朱緋眼の色が、淡く褪めて行く。

 呪に括られていたアンの瞳は、朝焼けのような朱色に変わって行った。強張っていた体から、力が抜ける。

 意識を失い、背もたれ以外の方向に倒れようとしたアンの体を、アベラールが支えた。

 フィンも、カウンターの向こうからアンの近くに歩み寄ると、白い髪の女の子の額に手を当てて、治癒を施した。


 木曜日十六時

 目を開けると、三歳くらいの女の子がいた。その子が、もうちょっとだけ育っていた時の姿を覚えている。

 ターナだ、と、エムは気づいた。

 女の子は心配そうにエムの顔を覗き込んでいる。その瞳は、少しだけグレーがかった黒になっていた。「起きた?」と、幼い女の子は聞いてくる。

「うん。起きた」と、エムはぼんやり答え、「なんだろう。なんだか、酷い事があった気がする」と言って、目元を押さえた。

「思い出さなくて良いよ」と言って、ターナはエムの手を握った。「私、エムと、ずっと一緒だからね」

「うん……」と、エムも手を握り返し、「ありがとう」と、恋人に伝えると、また目を閉じた。

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