11.欠損
協力的な町の住民と、一軒だけある医者の所に連絡を入れて、シャニィを運び出したのが十五時頃。意識を失った赤毛の娘は、左腹に刃を突き立てた状態でぐったりしていた。
治癒をするにしても、腹に刺さっている異物を安全に取り外して、腹圧による内臓の損傷や、急激な血圧の低下、流血に伴うショックなどを最低限にしなければならない。
そのため、状態を維持したまま大病院のある大きな町まで搬送車で運ばれて行った。
ジークにとってはそれからが大忙しだ。
ケーキナイフとは言え、刃の先端による強打が加えられた右腕の装置が、異常を訴えている。
計器の色んな部分に、それまでにない誤差や乱れが発生し、操縦者が行動と入力で思うままに操れた装置の中で、どんどん演算に狂いが出てきている。
おまけに、十五時台にはハンナやアルーシュからの非常通信が、何度も来ている。
ええい。何故お前達はすぐ俺に頼るんだ。
そう思ったが、普段だったら余裕で返事を返しているはずなのだから、向こうも、ジークの方で不測の事態が起こってるなどと、思わないだろう。
向こう二件でも異常があった事が分かったのは良かろうてと、気を紛らわす。
シャニィの件が起こる直前も、サクヤとやり取りをしていたのだが、あの娘はちゃんと言った通りに「海に飛び込んだ」だろうか。
そんな事を危ぶみながら、ジークは、この右腕はもう使い物にならないと判断した。
まず、体を動かすのに邪魔になる配線を幾つか外す。着脱時の機器の様子を見るため、ゴーグルだけは付けたままだ。
右の手と腕に装着していた配線と装具を取り、手首までは人間の腕そっくりのそのパーツの、肘の付け根の接続部分に手をかける。接続部のロックを二ヶ所解除すれば、後は自動で外れる。
左手で重たい右腕の手首を握っていると、体から外れた其れはぐにゃりと力を失った。腕の一部になっている装置が、緊張から解き放たれたように煙を上げる。
物理的な不具合を、術でカバーしていた状態だったようだ。
使えなくなった腕を、装置の外の床に投げ落とし、機器の間に置いてあるスペアの腕に手を伸ばす。その機器の隙間には、スペアの右腕が五、六本仕舞われている。
腕の束の中から一本の腕を取り出して、下腕の肘の切り口を、体のほうの肘の周りについている融合装置に接触させ、腕同士の内部機器が呼応するのを待つ。
取り付ける方の腕の角度が調節されて、やはり自動で腕と肘の融合装置が機能する。ゴーグルに「欠落箇所融合」の文字が現れた。
その間、ジークは至って無表情であり、当たり前のように腕を付け替えている。外から見るとだいぶシュールだろう。
手首と指先の動きを確認し、融合装置の付いている肘までの辺りに、装具を着けて行く。
人差し指と親指を除く三つの指から、手の平と肘下の皮膚全体まで、金属で出来ているグローブのような装具をつけ、リング状になっている端を融合装置の端に、ガチッと音がするまではめこむ。
それから、さっき外したケーブルの色と形を見分け、天井や壁から伸びているそれらを、肩や首や足や腕にどんどん繋いで行く。
右腕は物が起動するまで待たなければならいので、接続は一番最後だ。他に、椅子状になっている「安置席」の再起動をする。
通信を起動したままで、無理矢理立ち上がってしまったため、再起動した後、所定位置への通信を通すす所から始めなければならない。
「向こうの狙いは演算の邪魔と、情報網を麻痺させる事、かな」
ケーブルの一部を口の端で嚙んで引っ張って置きながら、ジークはもごもごと独り言を言う。左足にある装置の突起も使って別のケーブルを引き寄せ、足を膝に乗せて右腕のほうに誘導する。
腕が温まってくる感覚を確認してから、肘の周りの装置にケーブルを接続する。空中で指を動かしてみると、その動作による機器の反応がしっかり返って来た。
ゴーグルの中に映し出される映像が、次々に切り替わっている。ジークの居る国での時刻は十九時。
「よし。最優先事項は…」
そう呟きながら、記録されていたハンナとアルーシュの通信を聞く。
アルーシュのほうは、何時間か前に事態が好転したらしい。「アンの使いだと言う人物達と、行動を共にする事になった」そうだ。
ハンナのほうは、通信音声のノイズがひどくて、通常の状態では何を言っているのか全く聞き取れない。そこで、ジークは「翻訳」をしてみる事にした。
一度、通信の中に宿っている魔力波を拾い出し、一言一言の「発音の崩れ」をクリアにして、ハンナの国の言葉で何を言っているかを探った。
彼女は、こっちの国のほうの言葉を喋っているはずだが、頭の中で言葉が置き換えられる時の、「原形」を追ってみた。
そうすると、若干だが魔力波が正常になる。
「魔獣に・屋敷を・囲まれて・いる。結界が・正常に・機能・しない。術が・阻害・されて・いる。魔獣を・追い払う・方法を……」
そこまで聞こえてから、「駄目よ! カーラ!」と言う悲鳴が大音量でヘッドフォンの中に響いた。
ジークは何時もの癖で、大袈裟に表情を崩すと、ちょっとだけヘッドフォンを耳から浮かせ、「うるさいのぅ」とぼやいた。
ハンナは、気の狂いそうな思いで、途切れた通信画面を見つめていた。一時間ほど前にもジークに通信を送ったのだが、音声が正常に届いた気がしない。
屋敷の周りには、相変わらず蝙蝠猿が群れたかっており、結界に刻まれた印も解除できないでいる。
何故、こんなに簡単に自分の居場所がバレて、おまけに術の組成まで解析されてしまっているのか。
ハンナはそれを疑問に思った。
彼女の従姉妹にあたる、フィン・マーヴェルが、一連の仕事を持ってきた時、彼女は「私の存在が知られている危険はある」と語っていた。
マーヴェル家の者の魔力組成を知っているのか、と、ハンナは気づいた。
敵対者は、マーヴェル家の者の魔力を追ってきている。ならば、敵対者はハンナの魔力組成を使って、結界に印を刻んだのだろうか。
そう見当を付けると同時に、結界表面の印を観察した。確かに、ハンナの魔力と同じ組成の魔力を使っている。
これなら、逆探知する事が出来る。
通信の中に、砂音が聞こえてきた。ジークの方からの通信が来たのだ。
ハンナは飛びつくように術に答え、「ジーク。朗報よ!」と叫んだ。




