9.魔力的実験
――こちら、アルーシュ。アン・セリスティア。緊急の用件。応答を願う。
もう少しでアーニーズを全滅させられると言う時に、通信が入った。アンは攻撃の手を止めて、上空に退避し、応答する。
――こちらアン。用件とは?
そう応じると、アルーシュと名乗る者により、願祷洛でマナムが魔獣に打ち取られた事が告げられた。
通信先の人物は言う。
――外的なダメージも負っているが、何より邪気を吸い込んだことによる、意識障害が大きい。誰か、邪気の浄化が出来る人員は居るか?
アンはちらりとガルムのほうを見て、それからちらりとアーニーズのほうを見た。
それから通信を送る。
――それは、直ちに、って事ですよね?
――出来る限り、直ちに。
――分かりました。すぐに派遣します。ちょっと変わった人員になるけど。
――どれだけ変わってても構わないよ。裸じゃなきゃね。
――了解。
そう応じてから、アンはエニーズを迂回して飛び越え、巨大な赤子の手と剣で打ち合っていたガルムの神気体を、抱きつくように箒の上にかっさらった。
――ちょ、ちょちょちょちょっと……。ねーちゃん! 何すんの!
念話を使おうと思わなくても、頭の中で念じた言葉は伝わってしまう。
たぶん、神気体越しで無かったら、ガルムの鼓動が急激に倍速になったとか、実の姉に対しては絶対言えない危機的な心境であるとか、そう言う事も伝わってしまっただろう。
――ごめん。ちょっと、飛びながら話すけど。
――どっちかって言うと、すぐ降ろして!
――降りたら、あの赤ん坊に踏みつぶされると思うけど。
ガルムがアンの肩越しに後方を見ると、確かに獲物を追う熊のように、巨大な赤ん坊は手足で這って追いかけてくる。
その状況を見て、ようやく頭が冷静に成った。心臓が変にもにょもにょすると言う理由で、地面に降りている場合じゃない。
ガルムは、落ち着こうとして呼吸を深めたが、自分の魔力香なのか姉の魔力香なのか分からない、湿度のある花の蜜の香りのせいで、余計頭がのぼせ上りそうだ。
においを感知しないように、口呼吸を数回続けてから、自分に「落ち着け落ち着け」と言い聞かせつつ、姉に問う。
――あー……。はい。で、何なの?
――君の持ってるペンダントを、しばらく借りたいんだ。たぶん、アンバーから受け取った物でしょ?
――ペンダント……銀の?
――そう。それから、アンナイトの機能の中に、『魔力感化』は存在する?
――あるよ。更新されたばっかりの機能だから、どの程度有効かは分かんないけど。
――私達も、ちょっとした実験をしてみよう。
――私た……じゃなくて、実験って?
どちらかと言うと、この時のガルムは「私達も」のほうの意味が聞きたかったが、あまりにもその欲求が下らないので心の中に封じ込めた。
アンはちょっと首を動かして、ガルムと視線を合わせると、そっと唇を寄せてきて……神気体の唇の横を通り過ぎ、頬をすり抜けて、耳元に囁いた。
地面ギリギリを滑るように飛んでいた箒が、アンとガルムを連れて上空に舞い上がる。巨大な赤子も、獲物の後を追って、手を空に伸ばし、足で立ち上がる。
赤子の頭上を背後まで飛び越える時、タイプスリーの体はバランスを崩した。生き残っていたアーニーズ達が、タイプスリーを守る術を放とうとする。
「今!」と、アンは合図を出した。
ガルムの背についている、翼のような腕から、アーニーズの一体に「魔力感化」が発される。発動条件は、魔力の放出時。
雷に打たれたように、青い瞳のアーニーズが全身をひきつらせた。放出していた魔力が別のアーニーズの魔力と混ざり合い、感化が伝播して行った。
願祷洛の総合病院に運び込まれたマナムは、イズモに見守れながら、心電図に脈拍を刻んでいる。
道士であるイズモの能力では、マナムの意識障害を回復させる事は出来ない。せめて、自分に霊媒の能力があれば……と、イズモは無力を心の中で嘆いた。
皮膚の火傷と擦り傷や打撲は、イズモの能力で治せた。だが、体内に吸入された邪気――向こう側のエネルギー――は、削除しきれなかった。邪気を増殖させずに、抑え込むのが限界である。
カツカツと言う、踵を鳴らす音が複数近づいてくる。
誰の足音だ?
そう思って、イズモは顔を上げた。其処に、白い髪の六人の女性が居た。濃い茶色のサングラスをかけ、オリーブ色の靴を履いて、白いワンピースを纏って。
先頭を歩く女性は、首に銀のペンダントをしている。その女性は、イズモの前に来ると、サングラスを外した。魔力を持った朱緋色の瞳をしている。
「お待たせいたしました。アン・セリスティアの使いの者です。こちらが、マナム・ロータス様ですね?」と、その女性はアンとそっくりな声で言う。
イズモは、その「アンとそっくりな外見と声の女性達」を見つめ返し、彼女達が強力な神気によって「操作状態」である事を知った。
「直ちに、エネルギー除去の術式を行ないます」
朱緋色の瞳の女性がそう言うと、その後ろに居た五人の女性達は、ベッドに横たわるマナムを取り囲む。
少しだけ人差し指と中指を組んだ状態にして両の手を広げ、その手から「浄化」の力を放った。
マナムの体から、青白い光が煙のように立ち昇って来る。だいぶ高濃度の邪気を吸い込んでいたようだ。女性達は真剣な顔で少年の容態を見つめ、細かく術を操った。
青白い煙が止むと、女性達は指を組んで広げていた手を重ね合わせ、「増幅」の力を送る。
生体エネルギーを増幅された少年は、弱まりかけていた呼吸が落ち着き、意識を覚ました。
女性達は手を下ろし、少年のベッドから一歩下がった。朱緋色の瞳の女性が、手の仕草で、イズモを少年の近くに招く。
「マナム。大丈夫かい?」と、イズモは声をかけた。
「先生……。僕、負けちゃったんだね」と、周りの様子を見て、マナムは困ったような様な声を出す。
「多勢に無勢って言うだろ? 私も、サポートが追い付かなくてすまなかった」と言って、イズモは優しく少年の肩に手を置いた。
「まだお困りでしょう?」
朱緋色の瞳の女性が言う。
「私達は、マナムの回復と、補佐をするために此処に来ました。マナム、イズモ、共に戦いましょう」
「あなた達は、何者なんですか? アンとはどのような……」
関わりがあるのか、と言う事を問いたかったが、その前に朱緋色の瞳の女性は、自分の唇の前に人差し指を立てる。そして繰り返した。
「私達は、アン・セリスティアの使いの者です」
看護師が、患者の容態の変化に気づいて医師を呼びに行くのを見つけ、五人の女性達は、一人一人退室して行った。
「医師の許可が下りたら、再戦の準備を」と、朱緋色の瞳の女性は言い、サングラスを目に戻す。それから、イズモの隣をすり抜ける時に、「それ以上の事は、お互い秘密でしょう? アルーシュ」と囁いた。
マナムの体を支えたまま、イズモは去って行く女性の後を見る事も出来ずに、ぎゅっと目を閉じた。




