5.戦場・願祷洛
空中で、何かの火花が散っているように、連続的に光るものがあった。何処かの自治体が、昼間に花火でも上げているのだろうと、一般民達は思っている。
魔力や霊力をもって空を見上げていたら、そこで扇を片手にひらりひらりと身を翻して舞っている少年と、その手足から放たれる霊的な力と、それに撃ち取られている魔性の者が見えたはずだ。
岩石で出来た巨大な蜻蛉の姿の魔獣は、少年の手にした扇から放たれる真空波で八つ裂きにされ、細かな塵になって風に飛んで行った。
願祷洛の都市部では、一般的な家に住む少女の名前はハリシャと言った。
平日だったその日も、朝の決まった時間に起きて、学校に行くために「適切な」服装を選ぶ。
十四歳の女の子達に許されているファッションは、フェミニン過ぎてもアウト、パンキッシュ過ぎてもアウト、無難過ぎると「ダサい」と言われてアウトになる。
中学受験に合格した時から、両親達は「期待される人間になりなさい」と口うるさく言ってくる。
ハリシャは頭の中で「はいはい」と返事をして、自分で作った灰色のダメージデニムを履き、黒地に青い模様の入ったキャミソールの上に白いシャツを羽織る。
長いウェーブの髪はポニーテールに纏めた。
靴は何にする?
ハリシャは頭の中で考える。
黒のパンプスか、紺のスニーカー? 色を合わせ過ぎかな。黄色のサンダルにしよう。
そうイメージしてから、リビングに移動する。先に食事を摂っている父親の背の向こうで、テレビジョンがニュースを告げている。
砂漠地帯からの、強風による砂塵被害の様子が見受けられ、今日の外出にはマスクをつける事を勧める、だそうだ。
マスクをつけるなら、何色かな?
またハリシャは考え始める。
考えながら、カウンター席に置かれている金属製のトースターに、食パンを二枚差し込み、電源を入れた。
バス停を目指していると、公園の近くを通った時に、急に喉が痛くなってきた。煙の中に頭を突っ込んだように、周りがうっすらと黒い煤に覆われ、喉と鼻と、おまけに目まで痛い。
これが砂塵被害の件? 嫌だな。早くバスに乗っちゃいたい。
そう思って、マスクの上から口を手で押さえ、目をしかめて、反射的に俯いた。
頭上で何かの爆ぜる音がする。花火がうるさい、とハリシャは思った。次に公園の木の梢から幹のほうに掛けて、枝の折れる音がした。それに続いて、砂袋でも落としたような、ドスッという鈍い音。
音のほうを見ると、不思議な服装の少年が倒れていた。まだ七歳くらいの小さな子だった。
何? 木にでも登ってて、落っこちちゃったの?
ハリシャは少年のほうに歩み寄った。
「ねぇ、君。大丈夫? 怪我してない?」
そう声をかけ、ハリシャは公園の敷地に踏み込む。草地に身をぶつけた少年の手に触れてみると、皮膚が熱を持って赤くなり、所々擦り傷とひっかき傷のようなものがある。
人を呼ぼうか。でも、遅刻しちゃう。
そう思ってから、学校の医務室が思い浮かんだ。
そうだ、医務室に連れて行けば、手当てがしてもらえる。医務の先生から、大きい病院に連れて行ってもらえば良いし。
その考えを助けるように、彼女に声をかける者がいる。何時も同じバスを使っている同級生達だ。二名の女子と、一名の男子。
「ハリシャ。何してんの?」
「この子が、木に登ってて落っこちたみたいなの。目を覚まさなくてさ。学校まで運びたいんだけど」
「え? 病院に連絡すれば?」
「搬送車を待つより、バス待ったほうが早いじゃん。それにほら、搬送車は元手が……」
同級生達は、「あー」と納得する。いくらファッションアイテムをたくさん持っていようと、選ぶマスクの数があろうと、彼等は常に元手が足りないのだ。
同級生達に手伝ってもらい、ハリシャは見知らぬ少年を医務室に運び込んだ。
医務の先生は、目を覚まさない男の子の様子を観察してから、患者の状態をハリシャ達に告げる。
「後ろ頭にたんこぶが出来てる。それと、手足に少し火傷したみたいな痕がある。鼻と口の周りにすごい量の煤がついてるね。濃い煙を吸い込んだみたいな感じだ」
医務の先生はハリシャ達を見る。
「この男の子がいた場所の近くで、火が燃えてたり、煙が漂ってたりはしなかったかい?」
同級生達は、「分かんなかった」とか、「見なかった」と、首を横に振る。
ハリシャには思い当たる節があった。少年を見つける直前、急に呼吸器と目が痛くなった症状に。その事を話すべきか迷ったが、その煙のようなものが、何処から流れて来てたのかは分からない。
余計な事は言わないでおこう。
そう選択して、ハリシャは少年を医務室に置いたまま、始業のベルと共に教室に向かった。
医務の教師は、脱脂綿と綿棒と消毒アルコールで、患者の口と鼻を拭いてあげた。
不思議な服装の少年が着ているのは、倭仁洛の民族衣装だ。確か、着物と袴と言うものだ。
何故、七歳くらいの……恐らく倭仁洛の少年が、着物を着て木登りをしていて、鼻の孔が真っ黒になるほど、煤を吸い込む事になったんだろう。
そう思っていると、朝から、何処かの自治体が上げているんじゃないかと噂されていた、花火の事を思いついた。
木に登って遊んでいた少年を、誰かが花火で撃ち落とした?
一度考えて、流石に違うだろうと考え直した。
仮にそうだとしたら明らかな傷害罪だ。そんな馬鹿な事をする奴がいるのか? と。
それがもし居たとしたら……と想定すると、あの花火は自治体が打ち上げていたのではなく、非合法で悪質な誰かの仕業では? と考えられた。
花火の音は、さっきから聞こえない。少年が目を覚ますのを待ってる間に、犯人が逃げてしまうかもしれない。
医務室の教師は電話で、「異常な状態で木から落下してきて、意識を失っている少年がいる」と言う知らせを、警察に届けた。
ユニソームは、愉快そうにゲル状の体を震わせていた。
「ようやく一手取れたぞ」と。
眺めている映像は、願祷洛のマナムの様子だ。
白衣を着た教師の視線から採取した映像では、この土地を守っていた「主」は、高神気を纏った状態が解除され、体に多少の物理的損傷を受け、邪気の吸引による意識障害を起こしている。
石蜻蛉を「余らすのも無駄になる」と言う理由で、一匹残らず送り込んでみたのが、功を奏したらしい。
「数の暴力には押されるものだな」
一緒に地上を観察しているバニアリーモが言う。
「しかし、一ヶ所取ったからと言って油断するな。明識洛を落とせないと、後が事だぞ」
「分かっている」と、ユニソームは声を濁らせる。「早々に、大陸に移住しなかったことを悔いているよ」
「大陸に移住してたらもっと大事だ」と、カウサールの声が聞こえた。
やはりゲル状のその生物は、頭部の周りで眼を水平に回転させている。イライラしているらしい。
「フォリング族から伝令が来た。飛空部隊が壊滅寸前だと。大陸中央部では、巨悪の姉弟が好き放題に暴れているようだよ。奴等への対策はどうする?」
「そうだな……」と、ユニソームは思考する。そして決定した。




