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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第一章~死霊の町の一週間~
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26.生きた聖物

 木曜日朝六時四十五分

 朱を帯びる緋色の瞳――朱緋眼――で、アンはイブで在った少女が完全に死霊の樹木と一体化したのを目視した。

 目の前にあった一個の命を、死霊から助け出せる可能性は消えた。

 アンは箒の柄を握っている腕が震え出した。殴れる何かがあったら、拳を振り下ろしていただろう。

 ――落ち着け。

 アンは自分に言い聞かせた。

 ――生存させる以外の救い方も、在るだろう?

 アンは唇をかみしめ、その意思を実行する事にした。

 イブを取り込んだ死霊の樹木の、一刻も早い削除。

 動き出したこの植物なのか動物なのかも分からない生物の影響で、地上では混乱が広がっている。

「外部からの邪気の供給を断て。果実を生みださせるな」と、ランスロットの声が間近で聞こえた。辺りを見回しても、霊符も姿もない。

 アンは、ポケットが(ぬる)い事に気づいて、ランスロットがまたどこかの霊符からペンダントに憑依したのだと気づいた。

 果実を生み出している枝への攻撃を試みた。頭ほどの大きさの火炎球を空中に作り、連続して投げる。焼かれた果実は瞬く間に消滅したが、別の場所では別の実が熟そうとしている。

 それ等を撃ち取りながら、アンはある考えを提案した。

「ランス。以前の『ウィルス』と同じものを作れる? 今すぐに」

「複製品ならある。以前より効能は限定できない。そもそも、この樹木には『朱緋眼保有者』と同じ性質があるのか?」

「無いことは無い。この樹木の『意思』になってる者は、アダムのコピーだから」

 そうやり取りをすると、ペンダントの中に、あの「朱緋眼保有者崩壊因子」と同じ感覚がし始めた。

 アンにとっても気分の良いものではない。強い洗剤を使った時の塩素臭を嗅いでいるようだ。

 因子を放つ術を使うにしても、幹への距離が遠い。梢を焼いて、せめて枝の一端にでも近づく必要がある。

 動く樹木は果実を生みながら、梢を振り回して暴れ狂っている。

 意識を侵食された地上の人間達は、痙攣のように腕を振り回したり、頭を抱え込んで悲鳴を上げたり、ナイフや銃と言った武器を手に取り、目についた人間を攻撃し始めている。

 ある家から逃げ出してきた婦人は、肩を切りつけられていた。そしてその婦人も、家の周りをうろついている泥人間から、邪気の浸食を受ける。

 彼女は、その傷ついた細い腕で持ち上げられるのかと思うくらいの、一塊の大きな石を手に取ると、自分を追ってきた男の頭にそれを投げつけ、怯んだ男からナイフを奪い取って、男の体を八つ裂きにし始めた。

「普通の方法じゃ、間に合わない」

 そう呟いてから、アンは口元を引き締め、中央地区の南側寄りから南地区に移動しようとしている死霊の木の周りを、箒に魔力を込めながらハイスピードで旋回した。

 青い光の筋による陣が敷かれ、アンが片手を薙ぎ払うのと同時に、巨大な結界が起動する。

 巨樹の動きが一時的に停まった。

 それを好機と、ランスロットの霊体が結界に侵入する。枝の一端に取り付き、触れた手の平から直接「朱緋眼保有者崩壊因子」を送り込んだ。

 一秒も置かずに枝から離れようとしたが、動く樹木の防御反応はそれより早かった。結界の機能が、一部砕かれる。

 葉を付けた梢の塊に殴られ、ランスロットは霊体の破片を散らす。エネルギー粒子が梢に触れた。


 ターナを取り込んだ樹木は、「危険な物」と一緒に、「危険を癒す物」がその身に触れた事を感知した。

 壊されるもんか。壊されるもんか。

 死霊の樹木の中で発せられる生存本能の声が、幹をねじらせ、梢を操る。

 ランスロットの霊体は、粒子を搾り取るように何度も枝葉に殴られ、次第に散り散りになって行く。

「アン!」と、ランスロットは衝撃に耐えながら声を飛ばす。「結界を縮小しろ! こいつを握りつぶせ! ウィルスが効いてる間に!」

「でも!」と、アンは一瞬行動をためらった。

 霊体を限定的に攻撃するにしても、それでは結界の内部に居るランスロットまで巻き込んでしまう。

 怒ったような声が、ランスロット本人から飛んでくる。

「早くしろ! ドラグーン清掃局員!」

 アンは、自分の中の甘えを律した。

 ――誰一人失わないことなど、不可能なのだ。

 アンは片手を結界にかざし、ひどく硬いものを握りつぶすように、指に力を入れる。

 結界に包まれた死霊の木は、ガタガタと震え出し、潰そうとする力に抵抗して、結界の内側いっぱいに枝を伸ばした。

 アンの手が、震えながら、魔力を握った。片手で林檎でも握りつぶすように。

 一気に結界が縮小し、死霊を、そしてランスロットの霊体を、圧縮する。飛沫ひとつ溢す事も無く、アンは死霊の木を消滅させた。

 手を開くことは出来なかった。震える指を折ったまま、拳を握りしめ続けた。

 ――やろうと思えば、出来るじゃないか。

 ずっと昔に、ドラグーン清掃局の鬼教官から言われた、唯一の誉め言葉が思い出された。

 いや、それは誉め言葉だったのだろうか。普通の人だったら、ひどく傷つくはずの皮肉だったのかも知れない。

 その時に出された課題は、補助する基軸を何も使わずに、邪霊を憑依させた犬の魂を消滅させる事。

 ――成すべき事をやれ、どんな条件があろうとも。

 アンは、かつての教えを守った。

 そして、戦友を自分の手で殺めたのだと理解した。

 彼女の頬を、涙が伝った。


 明るい庭が見えた。青々とした芝生と、白い雲と、澄み渡った青空。

 そこにはテーブルクロスのかかった円卓があり、美味しそうなご馳走が並んでいる。一回も見た事の無い食べ物だったが、形状と香りから「とても美味しそうだ」と分かった。

「ターナ。何処に行ってたの?」と、五歳くらいの子供の姿になったアダムが声をかけてきた。「席について。アップルパイを取ってあげようか?」

 小さなアダムは、八等分に切られているこんがりした甘い香りの物を、自分の隣の席の皿と、自分の席に一切れずつ分けた。

「さぁ、ターナ。食べよう」と言って、彼は自分の隣の椅子を手で示す。

 なんで、私を、木に括りつけたの?

 そう聞きたかったが、その時のターナの着ている白いワンピースの裾は、膝下までで風に揺れている。

 おずおずと足を踏み出し、席に近づいて、腕の力でどうにか椅子の上りついた。身体を半回転させ、着席する。

 その様子を見て、「よく出来ました」と言って、小さなアダムはターナの頭を撫でてくれた。

「アダム……」と、声をかけようとすると、小さなアダムは笑顔を作ったまま、「ううん。僕の名前は、エム」と答えた。「書き方は、アルファベットのエム。すっごく覚えやすいでしょ?」

「どう書くの?」と、ターナが聞くと、男の子は、ターナの手の平に記号を書いた。「これ一文字」

 ターナは、自分の手の中に温かいものが燈った気がした。それを握りしめ、エムに微笑みかける。エムは歯を見せて笑顔を作り、頷いた。

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