メリューと約束1
青い空と白い町並み。晴れた昼の頃。風は緩やかで、カモメ達は見るべき魚群を視界の下に追っている。
バタートーストとハムエッグとミルクコーヒーとポテトサラダと生の果物と言う、外国の人のようなたっぷりの朝食を娘に食べさせてから、食器を片づけて、アシュレイはネクタイをしてスーツに身を包む。
メリューには、つい先週買って来た真新しい子供服を着せつけ、小さな靴下と靴を履かせた。
鞄に幾つかのファイルと、魔力データを刻んだ媒体として――一般には水晶だが――小型の端末を用意する。
それから、アシュレイはメリューの手を引き、メリュジーヌの屋敷へ向かった。
屋敷には赤毛と黒い瞳のメイドが居る。去年は居なかったが、何でも「ちょっとした理由」で仕事が出来なくなっており、今年になってようやく復帰できたのだと語っていた。
シャニィと名乗るそのメイドは、アシュレイがメリューを連れてくると、とても嬉しそうにその面倒を看る。
アシュレイ達が話し合っている間は、メリューにクレヨンと「お絵描き帳」を与えて、絵の描き方を教えたり、「お絵描きクイズ」をやったりして遊んでくれる。
「シャニィ。また頼んだ」と、アシュレイが娘を送ると、メイドは笑顔で幼子を引き受けた。
ジークにファイルと端末のデータを見せながら、アシュレイはメリューの成長過程について話す。
この町に来てから一年間で、メリューは人間の子供で言うなら四年間分の成長を見せた。だが、それからぷっつりと成長が止まった、と。
「急速な成長に関しては、足りなかった栄養が補われたからだとも考えたが、それなら身長か体重の増加が常にあるはずだ。だが、近日は、それ等が一切見られない。この成長のムラも、龍化の影響かも知れない。まだ予測だがな」
日付ごとに記録してあるメリューの身長と体重、それから口の中の歯の成長、脈拍数や血圧の測定値などの情報を読み、ジークは唇を舐めてすり合わせる。
メリューはこの町に来てから一年間の間で、人間の八歳児程度に成長している。
身長と体重の増加が、ほとんど停止したのは数ヶ月前。細かく言えば三ヶ月前。人間であればもうすぐ乳歯が抜ける頃のはずなのに、透過写真を見ても、乳歯であるべき歯の下に、永久歯が無い。
「メリュジーヌと同じ呪いには、かかって無いって事か?」と、ジークは聞く。
アシュレイは首を横に振った。
「メリューの胚は、完全に龍化したメリュジーヌの血液から作られた。血液にまで呪いが浸透していたなら、メリューの龍化は、メリュジーヌと同じ経緯を辿らないだろう。
生まれた時点で、龍化の呪いを身のうちに持って居るんだ。つまり、メリューは……」
そこまで言いかけた時に、廊下をトタトタと走って来る足音にジークとアシュレイは気づいた。
「アシュレイ。描けたの。見てー!」と言って、ノックもせずに部屋に飛び込んで来た少女は、真っ白いお絵描き帳の表面に描かれている、よく分からないものを頭の上に掲げて示す。
「上手に成ったな」と、アシュレイは絵を見て声をかけ、差し出されたお絵描き帳を受け取る。「鬣がちゃんと茶色で描けてる」
「うん。図鑑、ずうぅっと見たんだよ?」
少女は得意そうに鼻息を荒くする。
ジークが覗き観るには「黄色と茶色のエリマキトカゲ」に見えるのだが、話している内容からして、どうやらメリューはライオンを描いたつもりのようだ。
メリューはアシュレイに頭を撫でてもらって、大得意である。
無意味に同じ場所でぴょんぴょん飛び跳ねながら、自分の苦心を語る。
「女の子のほうは、たてがみが無いから、描くの難しいの。みんなおっきい猫みたいになるの。ライオンさんも虎さんも豹も、チーターも」
両手の指を合わせて、人差し指の中ほどを唇に当てながら、メリューは頬を膨らませた。
アシュレイは、メリューなりに「とても上手に描けたライオン」の前のページにある、失敗した絵もじっくり見る。
それから娘に声をかけた。
「それなら、色んな動物の、体の模様を描く練習をしたらいいんじゃないか?」と。
メリューはとても良い考えを聞いたと言う風に表情を明るくすると、「うん。そうする。返して」と言って、アシュレイの手からお絵描き帳を奪い返した。
「転ぶなよ」と、アシュレイが声をかけると、「転ばなーい」と返事をし、メリューはスキップするように廊下に出て行った。
トッタトッタとリズムを取りながら、恐らくシャニィのいる場所に戻って行く、幼子の足音を聞いてから、ジークは訊ねた。
「『つまり、メリューは』の後を聞いて良いか?」
「ああ。メリューは、今後、人の姿をした龍族としての成長をする可能性がある。身体機能は人型のまま、細胞の成長が龍族のそれに成るんだ。お前みたいにな」
「完全な龍族には成れないって事か」
「そうなる」
そう会話して、大人達は一度黙り込んだ。しばらく考えてから、ジークが言い出す。
「人攫いに気を付けたほうがよさそうだな」
アシュレイも頷き、こう返す。
「心配なのは其れだ」と。
明るい裏口が見える、片づけられた涼しいキッチンの中。作業台にお絵描き帳と図鑑を置いて、メリューは動物の体の模様を描く練習をしている。
シャニィはその様子を見ながら、移り気に成りそうになるメリューの「クレヨンの選び方」に注意している。何度も同じ模様を描いて、退屈になってくると、メリューは動物の背中の模様を緑やオレンジで描こうとしてしまうのだ。
クレヨン一本選ぶのでも、リアリティを求めるかリベラルを求めるかが問われている。
「ねー。青で描いちゃダメ?」と、メリューは訴える。
「駄目じゃないけど、目がチカチカしませんか?」と、シャニィは答えた。
「しないから大丈夫」と言って、メリューは青いクレヨンを手に取って、豹の体の柄の続きを描き始めた。
痩せっぽちの豹の黄色い体に描かれていた黒い模様の途中から、青い模様が描かれて行く。
そんな彼女達の背後を、ふわりと人影が通った。絵に熱中している二人は気づかない。
手袋をして、燕尾服のスーツを着た青年が、一通の封筒をキッチンの木箱の上に置く。その後、瞬く間に彼の姿は、空間の中に溶けて消えた。
ようやく気配を察して、シャニィが後ろを振り向く。
「エルトンさん……」と呟き、魔力の残っている場所をよく見ると、ジャガイモを閉まっておく木箱の上に手紙を見つけた。
赤黒いインクで書かれている宛名は、「メリューへ」とあった。
シャニィが見立てた所、手紙に呪いはかかっていない。封筒を開けてみて、中を確認する。真っ直ぐに綴りが書けていない、赤黒い文字が並んでいた。右上に集まるように歪んだ文字が綴られている。
「こんにちは。とてもまぶしいてんきですね」から書き出しの始まった文章は、難しい綴りの文字が間違って居たり、サイレントレターが抜けていたりする。
子供の書いた文字だろうか?
そう思って、差出人の欄を確認した。
文末に、「アーサーより」と、やはり赤い文字で書いてある。
赤いインクを使うのが好きな子なのかな、と思いながら、シャニィはメリューに「アーサーって言うお友達は居ますか?」と聞いた。




