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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
エピソード集6
254/433

アシュレイと言う名の躯4

 逃亡の旅は、ひどく時間を長く感じさせた。宿に泊まるには身分証が居るので、主に路上暮らしを続けた。

 安全な水と食料が手に入るなら、町に依存する必要はない。時には、荒野の中を徒歩で突っ切る旅路もあった。

 時々、人の住んでいる土地を通る事になると、メリューは旅先の同い年くらいの子供達と友達になった。幼い者達が友人になるのは、直感さえ合えば良いのだ。

 でも、その友情は長続きしない。一日居た場所からは、次の日には移動するからだ。


 親代わりのアシュレイが言葉をほとんど発さないので、二人でいる時は、メリューも自然と喋らなくなった。

 そんな時は、二人は念話で会話をした。ある時アシュレイは、何故、自分達が旅歩かなければならないかを教えた。

 メリューが生まれた理由と、メリューの存在を必要としている人達がいる事。その人達が、いつか連絡をくれるから、それまでは決まった場所では暮らせない、と。

 メリューは夕食の干し肉を食べながら訊ねた。

 ――その人達は、何て名前なの?

 アシュレイは答える。

 ――分からない。だが、一人だけ知ってる。ジークと言う奴だ。頭の中で砂音がしたら、ジークが話しかけてくる。私達は、それを待たなくちゃならない。

 ――不思議なのね。

 そう言って、メリューの興味は、会話より、口の中でふやけて来た干し肉のほうに移る。

 グッと肉に噛みついて、口から飛び出ている部分を引っ張る。ブチッと言う風に、肉は嚙み切られた。

 小さな頬の片側に口の中の肉を寄せ集め、呑みこめるようになるまで咀嚼する。

 アシュレイは少女の頭を撫で、言い聞かせた。

 ――よく噛んで食べなさい。


 放浪の旅を始めて、約一年。

 大人用のシャツを着ていたメリューに子供服を与え、その子供服が土で薄汚れるくらいには、時間の経過した頃だった。

 道中に、ゴーストタウンがある。特に、追いはぎや盗賊の類は潜んで居そうにない。

 今日は此処で雨露をしのぐかと考えていた折、頭の中で砂音がし始めた。

 アシュレイは目を見張り、傍らに居たメリューの手を、しっかりと握った。

 空は夕暮れで、乾いた風が吹いている。砂と焼けた草地と乾燥した立ち木と壊れた家々と、車が走るための一直線の道。奇跡が起こるにしては、茫漠とした景色が見える。

 それでも、その声は聞こえてきた。いつもの、あの鬱陶しい声が。

 ――こちら、ジーク。聞こえるか?

 アシュレイは、笑い出したいのか、泣きだしたいのか分からない、歯がゆい感動を意識しながら、返事をした。

 ――登場が遅過ぎだ。機械もどき。

 それを聞いて、何か進展があったことをジークは察したようだ。

 ――こっちも、ちょっと込み入ったことがあってね。で、なんか変わった事あったか?

 ――大ありだ。一気には伝えきれない。ああ、観るのが一番早いな。出来る事なら、お前の目で観てみてくれ。

 そう伝えると、ジークは、何時も使う何らかの方法で、アシュレイの傍らにいる、幼い娘の様子を見止めたらしい。

 ジークが聞いてくる。

 ――その子供が、複製体か?

 アシュレイは答えた。

 ――決まってるだろう。


 西の大陸に居たアシュレイとメリューが、東の大陸の、メリュジーヌの屋敷のある町に引き取られたのは、それから四週間も経たない頃だった。

 住居と当分の生活用品と食糧を提供された、つぎはぎの皮膚をした「青年」は、四歳ほどの少女を抱えて、メリュジーヌの所に挨拶に出かけた。

 メリュジーヌが、メリューと二人で話がしたいと言うので、大広間に女主人と幼子を置いて、アシュレイはジークが居ると言う部屋に行った。

 部屋全体が大きな装置の中のような空間で、丸く背を覆う椅子のような透明な装置に座った、体中がケーブルや装具に覆われた人物がいる。その両目の様子は、幾重にもレンズとスコープを重ねたゴーグルに覆われていて、外側からは見えない。

 まだ、部屋にアシュレイが入ってきたことに気づかないその人物に、声をかけた。

「まさか、お前が実在するなんてな」と。

 ジークはぴくっと肩をゆすって、椅子のような装置から身を乗り出すように客人のほうを見た。

「その声、アシュレイか?」

「気に入らないか?」

「いや……お前……」と言って、ジークは爪の長い人差し指で、ゴーグルに取り付けられている無数の配線の隙間から、頭を掻く。「まぁ、どっちでも良いか。性別なんてよ」

「私に性別はない」

「胸がぺったんこの女に見える」と述べるジークは、少し不機嫌そうだ。「髪が長いからかもな。後で散髪でもすれば?」と。

「そうするよ」とアシュレイが答えると、ジークは不気味そうにもう一度ゆっくり客の方に目を向ける。「お前、本当にアシュレイか?」

 それを聞いて、アシュレイのほうも少し不機嫌になった。

 念話に切り替えて、嫌味を言う。

 ――頭にナイフでも突き立ててやろうか? 機械もどき。

 そのイライラした声を聞いて、ジークはいつもの調子で返す。

 ――それで死ねるなら幸せだろ。お互いにな。

 ――お前と同族扱いするな。

 言い合っている言葉と反して、アシュレイは笑んでいた。自嘲でも、苦笑でも、嘲ってるわけでもない、ひどく安心したような笑顔だった。

 それと同じ表情が、ジークの口元にも、うっすらと浮かんでいる。

 どうやら、新しい隣人達は、上手くやって行けそうである。


 その後、少年のような短髪に髪を切ったアシュレイは、メリューの教育と育児を任され、海の女主人メリュジーヌの庇護を受けて、医療師の道を歩むことになった。

 初期の知識は解剖学に偏っていたが、メリューの成長記録を取るうちに、様々な医学的知識が必要になり、龍族と人族に関する外科の知識も内科の知識も皮膚科の知識も歯科の知識も、調べものを重ねた。

 最終的には、メリュジーヌ達も認める、言わば総合小児科医になっていた。


 アシュレイが去った後の研究所では、そこを取り仕切っていたはずの高名な科学者が、被験者である赤子を死亡させて行方をくらましたとされた。

 行方不明者として登録された、オクトーバーと言う名の博士は、ついぞ発見されることはなかった。


 それが、東の大陸を襲った戦争の外側で起きた、痛々しくて憂鬱で悲しくて、ほんの少し救われた、小さな出来事。

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