アシュレイと言う名の躯3
人工的癒着双生児の観察と、メリュジーヌの複製体の成長の観察。この二つが、最近のオクトーバー博士のお気に入りだ。
メリュジーヌから奪って来たか、もしくはメリュジーヌを傷つけた誰かから買い取って来た血液は、まだある。
彼女の複製体がこのまま成長して、もし、意識を持つ兆しや、龍化の兆しを見せたら、博士はすぐに「実験事故」を起こそうとするだろう。
アシュレイは、それを止めたかった。
メリュジーヌと言う龍族の女性が、アシュレイに語り掛けてくるジークと言う声の主と、どのような間柄かは、想像するしかない。
だが、ジークにとって、とても大切な存在である事は、メリュジーヌの名前を出す時のジークの声音から判断できた。
その「心」が伝わってくるからか、いつの間にか、アシュレイもメリュジーヌと言う女性を、何処かで敬うようになっていた。その心持ちは、自分の目の前で成長して行く、複製体にも向けられた。
ある日、オクトーバー博士が休憩するために別室に行った後、アシュレイは研究室の機器を磨く作業を行なっていた。
其処に置かれているポッドの培養液の中に、メリュジーヌの複製体が居る。アシュレイは、ポッドの表面をクロスで拭いて、ぼんやりと目を開けている複製体に微笑みかけた。
すると、ポッドの中の少女も、微笑むような表情を作った。
アシュレイは、培養液の中の少女を見つめ返した。少女はアシュレイの表情を見て、真似をした。大きく目を開き、呆気にとられたように唇をわずかに開ける。
アシュレイは、首を横に振った。少女も、首を横に振る。
動物の赤子が、親を見て真似る反射のそれだと、アシュレイは気づいた。アシュレイは、透明なポッドの表面に、片手を当てた。少女も、その手と合わせられる側の手をポッドの内側にあてる。
――眠っていなさい。良い子だから。
アシュレイは、念話を送った。
少女は、頭の中に響いた声を不思議がるように、視線を彷徨わせた。それから、アシュレイのほうを見つめ返してくる。
アシュレイは、頷いた。
――そうだ。私の声だ。
複製体の少女は、しばらく考えるように斜め上を見てから、口を閉じてアシュレイに視線を合わせる。
――まー、まー。
その念話を聞いて、アシュレイは目を瞬いた。少女も真似をして、目を瞬いて見せる。
――違う。私は、ママじゃない。
まだ理解できない言葉を聞いて、ポッドの中の少女は視線を斜め上に上げる。
アシュレイは、自分の胸に手を当てて見せた。
――私は、アシュレイ。言ってごらん。アシュレイ。
少女はその言葉をそっくり真似する。
――わたし……は、あしゅれい。
――違う。お前は……メリュ……メリューだ。
アシュレイはポッド越しに少女と手を合わせたまま、もう一度念話を送る。
――メリュー。
少女も、念話で復唱する。
――めりゅ……う。
――そうだ。良い子だ、メリュー。
そう呼びかけながら、アシュレイは微笑み、少女の顔を撫でるように、ポッドの表面を撫でる。
少女は、その動きを面白がって、同じようにポッドの内側を撫でる。アシュレイの表情を真似て、口の端を持ち上げてみせる。
やがて、ドア越しに廊下を近づいてくる博士の足音が聞こえた。
――メリュー。目を閉じて。眠っていなさい。
そう指示を出しても、まだ言葉を知ったばかりの少女は理解できない。アシュレイは緊張した表情を、ドアのほうに向ける。
少女もそっちのほうを見た。
足音がドアの間で止まり、レバーが倒れる。アシュレイは、ポッドから一歩後退った。
曇った表情で入室してきた博士は、ポッドの近くにいるアシュレイと、培養液の中に浮いている複製体が、アシュレイに向けて手を伸ばしているのを見つけた。
「これは……」と言って、博士は表情に歓喜を浮かべる。「意識を持ったのか!」と叫んで。
博士は声を出して笑いながら、ポッドのほうにどかどかと近づいてきた。少女は、突然現れた老人に驚いている。
「知能の芽吹きは……」
観察できたか? と、博士は助手に聞こうとしたようだ。しかし、後の言葉が発される前に、アシュレイは携帯していたメスで、老博士の背から、肺を刺した。
アシュレイは、手早く作業を進めた。事切れたオクトーバー博士の亡骸を、標本を作る時と同じように分解し、各パーツを標本の部屋の中に隠した。
流血で汚れた部屋の床を、血の匂いがしなくなるまで清掃し、遺骸の着ていた服と、返り血の付いた自分の白衣を、焼却炉で完全に灰にした。
これまでの仕事上、何かが死亡した事の痕跡を残さない方法は得意だった。そして、自分の存在を消す方法も。
金庫に保管されていた金属通貨を鞄いっぱいに盗み出すと、アシュレイは本当の罪人となる事を覚悟した。
ある限りの麻酔薬を用意し、三体――計六名――生き残っていた人工的癒着双生児の体に投与した。施設の外まで赤子の鳴き声がしたら、無人である事が発見されるのは早くなる。
始末を終えてから、ポッドのある部屋に戻った。培養液をポッドから排出し、複製体の少女を解放して、体を拭いて服を着せた。
大人用の服しかないので、人間にすればまだ三歳程度の体格しか持たない少女には、シャツはワンピースになった。
金品の入ったカバンを肩にかけ、少女の体を抱え上げると、アシュレイは研究所を抜け出した。何処かで、ジークの声が聞こえてくれる事を願いながら。




