29.想像の余地
魔力の剣に胸を貫かれたサクヤは、体中が、月色の鎧と、羽根を模した神気の塊に包まれた。彼女は瞳を開いたまま動かない。死亡したわけではない。しかし、術が時間を要すれば、死亡する危険がある。
アンは地面に置いていた箒を手に取ると、サクヤの周りに結界を敷き、その外で別の円を描いて、通信の術を起動した。
「ジーク。残り時間は?」
「三時間二十五分って所だよ」と、返事が返ってくる。「『出産』までは何分かかる?」
「時間はかけさせない」と言って、アンは通信をハウンドエッジ基地に飛ばした。
「こちら、アン・セリスティア」と、アンは声をかける。通信の向こうで、複数人のざわめく声がする。恐らく、軍人達の「本当に幽霊から通信がかかって来た」と言う反応であろう。
アンは構わず続ける。
「ガルム・セリスティアと、アンナイトの準備は完了していますか?」
「充分に!」と、整備主任が勢いよく答える。
「ガルム君」と、アンは霊体になってから、夢枕と幻視以外で初めて弟に声をかけた。「頼みたい事は、分かってるよね?」
「充分に」と、ガルムはちょっと声を震わせながら言う。アンは通信先の弟の顔を見ないようにしているので、笑い出しそうなのか、泣き出しそうなのかは分からない。
「それでは、少し待って下さい」と、アンは言い、通信の陣の外側に、二重になるように別の正円を描く。「私が三数えたら、照射をお願いします」
アンは円の外に出て、先ほど書いた外側の正円に片手を向け、魔力を送った。青い光が円の縁に走る。それから、魔力を込めたままの箒を逆さに構えて、数を数えた。
「壱、弐ぃぃいいいいいい……参!」と唱えると同時に、アンは箒の房で円を叩く。円を描く魔力が、中央にめがけて集中する。
同時に、ハウンドエッジ基地から、予定の場所に照射エネルギーが送られて来た。
アンの作った陣の中にガルムの神気体が現れ、一瞬だけ姉と目を合わせて頷くと、力が導くままに、地面の底へと消えた。
ガルムの神気体は、赤い光を放つ液体が満ちた空間を、ゆっくりと降下して行く。
途中途中で、溶解寸前の赤子の魔獣を見つけた。人の子の姿をしている形が全体的に溶けて、手足や頭だけの部分が、マントルの流れに乗って溶けながら浮かんで行く。
姉が言うには、魔神達が作っているほうの魔獣だ。名前はエニーズ。それが地下に居ると言う事は、地上にはその帰りを待っている、アーニーズと言う魔獣が居るはずだ。
アーニーズは、アンの魔力構造と容姿をモデルにして作られた、岩石質の肌を持つ魔獣だ。彼女達は、また絶望の表情を浮かべているだろうか。それとも、もうエニーズを失う事に慣れてしまっているだろうか。
あれが、ねーちゃんと同じ顔じゃ無かったら、速攻で潰せるんだけどな……と、ガルムは考えた。
「ガルム・セリスティア。赤子のような事を考える余裕はないはずだが」と、以前よりスラスラと喋るようになったアンナイトが言う。
「分かってる。『ターゲット』は何処だ?」と、ガルムは声に発する。
「星の核の中だ。恐らく、エニーズからの攻撃を回避するために、逃げ込んだと予測される」
「核に触れることは可能か?」
「不可能だ。神気体も溶解されるだろう」
「だとしたら、大地の赤子は生きているのか?」
「だいぶ縮小されているが、生体反応はある」
実際に星の心臓の様子を見て、ガルムはその視覚情報をアンナイト越しに、管制室のモニターへ送った。通信の術を通しているアンの視覚にも、その様子が映る。
「ガルム君」と、アンはガルムの神気体に声をかける。「これから帝王切開をするから、執刀して。今、メスを渡す」
アンはサクヤを囲んでいる結界に片手を当てると、もう片手を通信と転送の陣にあて、遥か地下に居る弟の神気体に力を送った。
メスと言うには大振りな……昔の人が使った長剣のような、エネルギー体がガルムの手に握らされる。
「何とかしてみる」と、ガルムは応じる。
アンは念話で応じた。
――何とかしてくれ。
「アンナイト。核のエネルギーに影響されない位置まで接近する。範囲を教えてくれ」と、ガルム。
「エネルギーの影響を考慮して良いのなら、これ以上の接近は推奨しない」
「いや……。此処からだと、俺は赤ん坊が居る場所が見えないんだよ」
「視覚に捉えられる位置までの、距離を測るなら、残り四千メートル降下する必要がある」
「割と近いな」
「大地の赤子は、星の核の中央部まで、侵入できなかったのだろう」
そうやり取りをして、ガルム達は更に神気体を深みに沈めた。
確かに、大地の赤子は縮小された姿で、星の核の中に埋没していた。それでも、ガルムの神気体より何倍もでかい。
「これで縮小されてるほうなのか」と呟いて、ガルムは時間がないんだったと気づいた。肩慣らしのつもりで、手にした剣を薙ぎ払ってみる。すると、剣の先から流動の刃が発生し、星の核を傷つけた。
それにより、大地の赤子は新たな侵入者が居る事に気づいた。だが、怯える風でも、攻撃してくる風でもない。
核に開いた傷のほうに慌てたように泳ぐが、無情にも傷口は赤子の目の前で閉じた。
大地の赤子は、ガルムのほうを向くと、縋るような顔をして神気体の前まで泳いで来た。星の核の内部から、縁に手をつき、エネルギーの内部をひっかくような仕草する。
「自力で出られないのか……」と、ガルムは納得すると同時に、赤子に問いかけた。「言葉は通じるか?」
赤子は頷く。
「安心しろ。俺達は、お前を殺しに来たわけじゃない」と、ガルムは告げる。「だから、暴れるなよ。暴れられると、手元が狂う」
そう言ってから、ガルムはナイフを扱う時のように剣を構えた。赤子の居る場所に近く、さっきと同じ時間をかけて傷が修復しても、赤子が這って出られる位置を、切った。
空気中で聞けば、ぐばっと言う音が聞こえたかもしれない様子で、星の核の一部が裂ける。その裂け目に手をかけ、赤子は星の核から逃げようとする。しかし、傷口の修復する速度は早い。
ガルムは、思わず赤子の片手に手をかけ、吞まれようとする岩石質の身体を核の中から引きずり出した。
「よし!」と言う、姉の声が耳元で聞こえる。「ガルム君、その子を『運んで』!」
指示の内容は分かっている。ガルムは、赤子の片腕を掴んだままの神気体を、赤子ごと地面まで瞬間移動させた。
月夜の砂漠に、片手を白い神気体につかまれた、赤い光を放つ巨大な赤子が現れる。
赤子の放つ熱と魔力が消耗する暇を与えず、ガルムは赤子の腕を掴んだまま雲の上まで飛翔した。神気体が影響力を発せるギリギリの圏内で、滞空する。星から放たれる引力もごく弱い。
「見ろよ」と、ガルムは遥かに星を浮かべる夜空に向かって、指をさす。「何処かにお前が生きて行ける星があるはずだ。そこまで、飛ぶ力はあるか?」
赤子は口に指をやり、考えるようにしてから、頷いた。それから、魔力で自分の体を包むと、鋭く光を放つ、何処かの恒星に向かって飛翔して行った。
大地の赤子が、最後は生まれた星に全く執着しなくなったのが、ガルムは少し不思議だった。
自分が食おうとしていた星に食われかけたのが、よっぽど恐ろしかったらしいな、と想像してその疑問を埋めた。




