28.起動!
キーアも、成層圏ギリギリを飛翔する間に、体に変化を起こした。彼女の体は青白く光るプラズマ体に包まれ、体中が熱の無い炎で燃え上がっているように見えた。
長剣に変形していたナイフの柄に、やはりプラズマ体のエネルギーが宿る。
本来、地表黄道と呼ばれる、星の中で一番太陽が照り付けるはずの土地を渡る間、その場所が少し北に動いている事が分かった。
そして、雲より下の至る所では、草木が枯れ、地面の割れる干ばつが起こっていた。
急がなきゃ、とキーアは思った。
大地の赤子は、もう私達の儀式には気付いているのだろう。恐らく魔神達にも気づかれている。でも、何故魔神達は阻害しに来ないのか。
そんな疑問を頭に浮かべたが、集中力を分散すると飛翔速度が遅くなってしまう。儀式の仕上げの時間としての猶予は、一晩しかない。
太陽を追いかけるように、西に飛んでいるキーナ達はまだ良い。最後の一本の線を務める事になる少女は、東へ飛ばなければならないのだ。
この儀式が終わるまで、絶対に見てはならない夜明の方向へ。そして、その線が通った後も、儀式は続く。それらを全て完了させるのには、一晩はひどく短い時間だ。
儀式が完了せずに、日の出を迎えてしまったら、恐らくキーナ達は神気を失い実体を無くす。それだけじゃない。大地の赤子が報復してこないはずがない。
私は帰るんだ。ちゃんと帰るんだ。カーラの所へ。ようやく抱きしめることが出来た、私の半身の所へ。だから、一秒でも早く、全ての戦いに、決着が……みんなが笑顔で迎えられる決着が、尽きますように。
そう願いながら飛翔するキーナは、炎のようなプラズマ体の翼を得た。体が滑るように先に進む。
キーナは、一閃の稲妻のように、大陸の南西に着地した。
とりわけ高いビルの上に、月がかかり始めた。其処に運ばれた緑の着物姿の少女は、人を待つように言われていた。その者は、炎の鎧をまとった、褐色の肌の女性だろうと聞いている。
少女は、此処から、つい最近覚えた術を使って、郷里の国まで飛ばなければならない。正確には、ヤイロ・センドと言う人に「剣」を渡さなければならない。
そんな事を思い出していると、雲が空を覆い始めた。雨が降ると気づいて、少女は自分の身の周りを結界で包んだ。
やがて、何処かで雷が鳴り出した。丸い結界の外を雨粒が滑る。幼い少女は、大きな落雷の音がする度に身をすくませた。耳を覆って、目を閉じて、体を小さく丸める。
「マコト?」と、知らない女の人の声がした。「マコト・ロータス?」
目を開けてみると、確かに青緑色の炎の鎧を纏った、褐色の肌の女性が、マコトを見ていた。その片手に、白い鞘に収められ、柄に碧い炎を燈した一振りの剣がある。
マコトは、勢い込んで何度も頷いた。
「貴女の番だよ、頑張って」と、キーナは声をかけた。だが、マコトは異国の言葉が聞き取れた風はない。剣を受け取り、困ったように笑んでから、空中にふわりと浮いて、小さく手を横に振った。
最後の線を描くために、マコトは東に向けて飛び立った。幼い両手に剣を抱きしめて。
雷を避けるために、雲の上まで飛翔して、薄くなった空気にぜいと喉を鳴らす。
時間はない。私は、世界の時間に逆らわなければならないのだから。
地面の景色が遠くを流れている。その流動は滑らかだが、それは錯覚だとマコトは察した。
イズモから教えてもらった事としては、東に移動する時は、地面が自分とは反対の方向に回っているので、高速で移動していると思っても、そんなにスピードは出ていない事がある。
マコトは口の中で「翔」の祝詞を呟き、結界の移動速度を上げた。自分の能力内で、出来るだけの力を術に注ぐ。
太陽の光が西の陸塊を越えて、こちら側に追いついてくる前に、儀式を終えなければならない。
例にもれず、マコトの体にも変化が起こった。
剣を捧げ持ちながら飛ぶ彼女の体は、十歳も年上の姿に変形し、髪が伸びる。身体の成長に合わせて膨張した着物の裾が風を含んで、まるで天女の羽衣のように見えた。優雅に天を泳いでいる風には見えないが。
海の真上を飛んでいる時、速度を測りかねた。急いで。急いで。そう念じて、手前に差し出して風を裂いている両手に、力を集中させた。
鞘の表面から、剣の内部に渡り、凝縮した風が纏いついた。
最後の「線」が、東の島国に到達する。夜明けまで、まだ四時間の余裕あり。ジークは思わず両手を握りそうになり、機器の角が人差し指と親指に刺さって痛い目を見た。
屋敷のバルコニーで、本を読みながら長い夜を過ごしていたヤイロは、自分の傍らに「娘によく似た気配」を感じて、そちらを見た。
緑色の美しい振袖を着た、髪の長い女性が、白い鞘に収まった長剣を捧げ持っている。「ヤイロ・センド様ですか?」と、女性は問いかけてきた。
「ええ。如何にも」と、ヤイロは答えた。
「あなた様に、この剣をお渡しするようにと、師と仲間から伝えられて参りました」と言って、女性は跪き、両手で剣を捧げてくる。
ヤイロは「分かりました。後の事はお任せ下さい」と答えて、剣を受けった。その途端、緑色の着物の女性は意識を失い、身につけている物ごと、六歳ほどの少女の姿に戻った。
ヤイロは執事を呼び、客間に少女を運ぶように命じた。そして、サクヤの下に行った。彼女は、予め自分の部屋で眠っているように言われていた。
「サクヤ。分かっているね?」と、ヤイロがベッドの端に座って優しく声をかけると、サクヤはうっすらと目を開け、「はい……」と小さな声で答えた。
ヤイロが、凍れる鞘と炎の柄、そして風の刃を着た剣を、サクヤの傍らに置く。サクヤは、片手でその剣の柄を握ると、眠りの中に戻った。
東の大陸全土の大地に描いた六芒星の中央。乾燥した冷たい夜の空気が満ちたその場所で、アンの霊体は待っていた。
晴れ渡った夜空の一点を見上げる。空から落ちてくるように、パジャマ姿のサクヤが落下してくる。アンは、着地地点を見定めて、サクヤの体を受け止めた。
そしてその目の前の地面に、空から落ちて来た一本の剣が突き刺さる。
「サクヤちゃん、ちょっとごめんね」と言って、少女の体を砂の上にそっと横たえると、アンは剣の柄を手に取り、魔力を込めて地面から抜き放った。
手に剣を構え、深く息を吸って吐く。ふわりと振り返り、アンは眠っているサクヤの隣に静々と歩を進める。まるで、練習していたような所作だった。
歩数を数えるように少女の傍らに来ると、逆手に剣を構え、目を閉じて集中力を上げる。
アンの両手と肩、そして手にした剣から、波打つような魔力が発される。
大陸中を使って大地に刻まれた、ガタガタの六芒星。その形を整えるように、イメージの中で線をずらす。
六芒星が、正しい形を取る。気が満ちた。
アンは目を開けると同時に、少女の胸元に向けてその剣を振り下ろした。
その途端、サクヤは覚醒する。
守護幻覚と、その主達が作った二つのデルタの中に、光が走った。




