27.ラグナロクで会おう
所定の位置に「空間移動」したアンバーは、臙脂色のベルベットのワンピースの裾を翻しながら、北西を見つめた。
空にかかる北極星は、段々と南に移動してきているそうだが、まだ大雑把に北の方向を見定めるための目印にならなる。
手紙に同封されていたキーカードに、通信の魔力を送った。
「こちらアンバー。スタート地点に着いた」
「初めまして。こちらジーク。セリスティアから話は聞いてるか?」
アンバーは少し黙ってから、「……聞いてない。アンは?」と聞き返した。
「術の導きに行ってる。俺はその……アンの助手だ。それで、そっちの天気は?」
「綺麗な満月と言いたい所だけど、西の方から雲が集まって来てる。一荒れ来そう」
「恐らく、道中の地上は大荒れになる。心してかかってくれ」
ジークと言う人物はそう言ってから、「キーカードの調子は大丈夫か?」と訊ねてくる。
「応答者がアンじゃなかった事以外は、大丈夫」と、アンバー。彼女は彼女で、久しぶりにアンと話せることを楽しみにしていたのだ。
「それは、すいませんでございました」と、ジークはふざけた言葉を返す。「今から『バトン』を送る。たぶん、そっちの目の前に着くはず」
その言葉と同時に、アンバーの目の前に、淡い光に包まれた一振りのナイフが現れた。
「刃は銀で作られてる、儀式用のごく脆い短剣だ」と、ジークの声が説明する。
アンバーは魔力のこもった短剣を受け取り、「鞘から抜いちゃダメ?」と聞いた。
「どぅあぁめ」と、ジークと言う変な奴は答えてくる。「実際にその短剣を使うのは、あんたの大好きなアン・セリスティアだよ。それまでは封印されてる」
「スタートの合図は?」と、アンバー。
「そう焦るな。後二分と十五秒後だ」と、ジーク。
「ギリギリね」
アンバーは自分の身の周りを結界で覆った。外からの視線と、空気抵抗を遮る結界だ。地面を蹴ると同時に、その辺の木々より高い位置に浮遊する。
「位置について」と、ジークはやっぱりふざけた声で言う。「よーい……」
ドン、と発音する声は聞こえなかった。火薬が弾けるような音が耳元で鳴ると同時に、アンバーの体が周りの結界ごと滑り出した。その高度は瞬く間に雲の上に届く。
そして、緩く北西の方角にある、北極の一端へ向けて飛翔した。
大地の中の赤子は、地殻の外で何かが起こっているのに気付いた。自らの安息を破る、何かが起ころうとしている。「そちらのほう」に泳いで行って、地殻に手を当てて魔力を探った。
何かを始めようとしている「恐ろしいもの」が居る。
何をする気だ。それを止めろ。
そう意思を発して、雲を呼び寄せた。だが、雷雨を起こせる雲が集まる前に、その「恐ろしいもの」は雲の外に飛翔した。
いくら雨降らせても、風を起こしても、成層圏ギリギリを飛翔している「恐ろしいもの」には届かない。
大地の赤子は、癇癪を起して地殻に額を打ち付けた。
そうしている間に、また「あいつ等」が現れた。外の世界から来る、自分と比べると蟻のように小さい赤子達。
大地の赤子は恐怖に憑りつかれ、マントルの中を逃げ回った。だが、その日の蟻のような赤子達は数と頑丈さが違った。何処へ逃げても消滅せずに追ってくる。
マントルの中で、逃げ場を失った大地の赤子は、遂に最後の逃げ場に侵入した。今まで、自分が捕食していた「星の心臓」の中に潜り込んだのだ。
その中で、生存が可能かどうかは分からない。だが、蟻達に食われて確実に分解されてしまうより生存確率は上がるはずだ。出来れば、蟻達が消滅してしまうまで、隠れて居られたら良い。
確かに大地の赤子が「星の心臓」の中に逃げた事で、小さな赤子達は手出しが出来なくなった。より高温な星の核に触れようとすると、蟻のように小さな体は、触れた部分から溶けて行く。
大地の中では、マントルと星の核の間で、赤子同士の睨み合いが続いた。
魔力濃度の低い、成層圏ギリギリを突っ切る飛翔の間に、アンバーは、自分を構成する神気が組み替えられて行くのを知った。しかし、抵抗する事はなくその変化を身に受ける。
髪は先から凍り付き、衣服は鎧のように硬化され、握っていたナイフは剣のように変形して行く。
大地の縁から光が見えた。彼女の居た土地では、沈んだばかりだった太陽に追いついたようだ。緩やかに北に移動しているが、白夜は起こらない。星の軸が変わって行っているのを実感する。
東の陸塊、ユラングリーグ大陸を中心とした、北の氷の上にアンバーは着地した。同時に、横殴りの暴風が、唯一鎧から露出していた頬を殴る。
私の困難には、冷風がつきもの。
アンバーがそんな風に思っていると、歩を進める先に、もう待ってる少女が居た。
褐色の肌をして、労働者服の丈夫な生地で出来たボトムスの上に、フラットなシャツとフード付きコートを着た、アンバーよりずっと薄着の女の子。
「貴女は?」と、アンバーは間の抜けた事を聞いてしまった。ここにいて、アンバーに片手を差し出しているなら、この子も「勇士」なのだ。
「名前はキーア。ササヤ、『バトン』を」と、女の子は言う。
アンバーはちょっと苦笑いをしながら、長剣のようになったナイフを差し出した。
キーアはそれを受け取り、目を大きく開いてハッキリとした笑顔を作ると、「ラグナロクで会おう!」なんて冗談を言って、大陸の南西へ向かって飛翔して行った。




