24.鳥になる夢
木曜日朝六時
日光を遮る黒い雲の中を、一羽の鳥が飛んで来る。真っ白な鳩のような鳥だ。それはエデンの樹の梢にとまった。
エデンの樹の上で果実を食べていたターナは、もう十歳くらいの体を手に入れている。ターナは鳥の声に気にづいて、食べる手を止めて顔を上げた。
鳩を見つけて、ターナは不思議そうに首をひねった。なんだか、「アダム」と同じもののように感じる。
「アダム?」と、実際に声に出して聞いてみた。
リヤもその声に気づいて、ターナの近くに来る。ターナの見ている方向を見て、「何に声をかけているの?」と聞く。
「白い鳥が居るの。リヤには見えないの?」とターナが尋ねると、「生憎」と返ってきた。
ターナは、鳥が逃げない事を確認しながら近づいた。
「アダム。なんで、そんな姿になってるの?」と、ターナは問う。
――君にあげる力を持ってくるって言ったよね。
口を動かさない鳥から、声が聞こえた。
――本当は、もっとしっかりしたものを持って来たかったけど……僕には、これが精一杯みたいだ。
その声と同時に、白い鳥は羽を広げ、空中を舞う。
ターナが視線で追うと、鳥の姿は分解され、ターナの体には白い衣服が着せられた。薄衣で出来た、花嫁衣装のような服だ。
――さよなら、ターナ。僕はもう君に会えない。
そう残して、「アダム」の気配は消滅した。
ターナは辺りを見回し、リヤに、アダムが鳥になって現れ、自分に服を与えて消えてしまったと訴えた。
リヤは、確かにターナが白い衣服を着ているのを見た。そして、その裾が、エデンの樹の中に埋没している事も。
「ああ……。そうなのね」と、リヤは呟いた。「失敗だったのね。創世は行われない」
ターナは、リヤがひどく冷たい目をしているのに気付いた。
「ターナ。もう、果実を食べては駄目よ。いいえ、その様子では、果実の在る所まで移動できないでしょうけど。私達は、もう、貴女の成長を望まないし、面倒も看れない」
リヤはそう言い、蛇の半身をのたくらせて、ターナから少しずつ離れた。
「待って、リヤ。なんで、そんなこと言うの?」と、焦った様子でターナは腕を伸ばし、訊ねる。
「アダムの居ない貴女は、不完全だからよ」と、リヤは言う。「不完全な者を『創世者』には出来ない」
そう言って、彼女は、エデンの樹の中の一本の枝を上り始めた。発電所の方向に伸びている枝だ。
幼子の姿はどんどん遠くなり、リヤは太い木の枝が柔らかくしなだれる場所まで来た。
失敗作を憐れんでいる時間はない。すぐに皆に報告し、次の行動をとらなければ。
「さようなら、ターナ」と残し、枝を這い、枝の先から、発電所の敷地に飛び降りた。
突然の孤独に襲われたターナは、何が起こったのかを全く理解できなかった。急に服を着せられて、服を着せられたらリヤが居なくなってしまった。失敗だと言って。
私達は、もう、貴女の成長を望まないし、面倒も看れない。リヤの残した言葉を思い出し、私達と言うのはリヤとアダムの事だろうかと考えた。
長いドレスの縁から踏み出そうとして、布に足をとられた。バランスを崩して樹の天辺で倒れる。よく見てみると、服の縁がエデンの木の天辺に融合している。
ターナは倒れた姿勢から、身を起こそうとした。その時、足の裏に異状を感じた。くすぐられているような、足を付いている場所が波立っているような感覚だ。
素肌の足の裏が、少しずつ、波立っている場所に吞み込まれて行く。
ずぶっと、足首までが沈んだ。
私は、食べられるんだ。今までこの木の実を食べていたみたいに、この木に食べられてしまうんだ。
そう直感して、ターナは初めて「自分の意思」を持った。
食べられるのは嫌だ。自分と言う個体を失うのは嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。
恐怖に駆り立てられ、埋まっていく足元から逃げようと、震える手で木の幹を掻いた。しかし、捕らえられた足は動かない。
ターナの体はガチガチと震え、心臓は早鐘を打ち、喉を鳴らしながら息した。その間にも、エデンの木は、残った主を取り込もうとする。
逃れようとするターナの力に反して、波は深みを増し、脛の中ほどまで呑まれた。
ターナは、悲鳴を上げた。
補給所から飛び立ったアンの箒の先には、再びランタンの明かりが燈っている。
アンに支給されたものは、駐屯地の宿泊施設に置いてきてしまったので、マーヴェルに支給されたものを借りてきたのだ。
北地区に向かって飛んでいたアンは、邪気で出来た樹木の方から、甲高い声を聞いたような気がした。
その声が聞こえてきたと同時に、樹木の枝が空を埋めるように伸び始めた。異変が起こり始めている。
「アン・セリスティア」と、ランスロットからの通信が聞こえた。「シェル・ガーランドからの伝言だ。『地下の光源は全て潰した』そうだ。術の起動と同時に、他の清掃員達は、地上から樹木の撤去を試みる」
「了解」と答え、アンは箒に浄化の魔力を込めながら、町の北地区の空を一周した。箒の房から伸びた青白い光が、北地区上空を覆う。アンは町を囲む崖の上に着地し、ランタンを外した箒を逆様に構えて、数える。
「壱、弐ぃいいい……参!」
声と同時に、空中の光の帯へ、魔力を込めた箒の房を叩きつけた。
北地区の方で、派手な爆発音が聞こえた。青白い光が風を伴って広がり、北地区を覆っていた高濃度の邪気が、一掃される。発電所の周りでは、其処に備えられていた殻がギラギラと瞬いた。
死霊の樹木が動き始めた。マンホールから根を抜き取り、複数の肢がある虫のような動きで、樹木は町の南側に走る。
「術式、展開!」と、ナズナ・メルヴィルが声を飛ばす。複数の清掃員達が作った結界は、移動する樹木を捉え、その場に括りつけた。
であるが、動きを完全に封じたわけではない。天空に伸びる枝は増殖を続け、ついさっき削除されたはずの北地区方向の枝まで再生しようとし始めている。
「ワルター!」と、メルヴィルは通信を起動して呼びかけた。「死者の樹木が増殖しています! エネルギー源の位置を!」
「フィン・マーヴェルが解析を急いでいる。エネルギー源を突き止めるまで、各所で増殖部分の削除を!」と、ワルターは返事をする。
「たぶん無理です!」と、半ばやけっぱちでメルヴィルは応じた。「結界を維持するだけで、手一杯で……」
そう答えかけて、メルヴィルはある音に気付いた。
高レベルのエネルギー体を吸収したとは言え、町の一区画の邪気と邪霊を一気に削除するのは大仕事だ。
崖の上で、膝から頽れたアンは、地面に立てた箒の柄に縋り、肩で息をして、数回深呼吸をした。それでも心臓は騒ぐ。
彼女が見守る目の前で、死霊の樹木が動き出した。悠長に状態を整えている場合でもないらしい。
「アン!」と、マーヴェルの声が通信で届いた。
「はい!」と、アンは驚いて返事をする。
「死者の樹木の上空に向かえ。エネルギー源は、行けばすぐ分かる!」と、マーヴェルのほうも焦った声を返してくる。
「了解!」と、アンは返事をし、位置を正した箒の先にランタンをかけてまたがり、空中に飛んだ。




