24.思い出はパンケーキ
役所での手続きは滞りなく……終わらなかった。イズモの職業と収入から、子供を養育する能力があるかどうかを問われたのだ。一ヶ月分で良いので、収入を明らかに出来る証明書の提出を求められた。
それもそうだなぁと、マコトは思った。イズモ先生が霊術を使えるのは知ってるけど、それでどう言う仕事をしているんだろう。
イズモがその件で提出した書類は、大きな金額がまとめられたものではなく、先々月までイズモが定期的に働いていた、色んな医院や寺院や団体からもらった「お礼金」のメモのコピーだった。
そのメモは大判のノートブックくらいのファイルを、分厚く膨れ上がらせている。
役所の係員は、それ等のお金の出所を確認すると言って、一ヶ月ほどの期間を求めた。
マナムとマコトは顔写真の記録を取られ、それを警察署に提出された。国内の行方不明者の中に、彼等の記録がないかを調べるためだ。
一通りの「身分証の提出」を終えて、帰り道で洋風の茶屋――つまりカフェ――で、三人はドリンクを飲んだ。
砕いた果肉の濃厚なミックスジュースを、ストローで口に含む。酸味と甘みが気疲れした体にとても美味しい。
「何か食べなくても平気かい?」と、イズモは聞いてくる。
「大丈夫です」と、マコトが言う。
マナムは、「お腹は減って無いけど、良い匂いがする」と正直に言う。「あの甘い匂いは何ですか?」
「小麦粉を砂糖と一緒に練った焼き菓子だね。蜜とバターをつけて食べるんだ」と、イズモは答え、問う。「食べてみる?」
マナムは迷うことなく、「はい」と答える。
マコトは周りを見回し、確かに香ばしく甘い香りを放っている円形のお菓子を食べている人達を見つけた。思わずじっと見つめて、生唾を飲み込む。
その様子を見て、イズモはウェイトレスを呼び出し、「クラシックパンケーキを二つ」と頼んだ。
注文を受け取ったウェイトレスは、厨房のほうにメモを置きに行く。
マコトは、ちょっと表情を暗くして、ジュースのグラスに刺さっているストローをくわえた。
しばらくすると、ウェイトレスはバターを乗せて蜜をかけた、甘い香りのこんがりとした焼き菓子の皿を二つ持ってきた。
イズモは、子供達のほうを手で示す。
マナムは目と鼻の穴を大きくして、歓喜の表情を浮かべ、マコトは意外そうに目を瞬いている。
「先生の分は?」と、マコトが聞いた。
「私は、甘いものはジュースで充分なんだ。あー、そうだな。君達の国に居る時に、『団子』って言うのが美味しいって言うのは覚えたけど、こっちの国のほうの甘味はまた、別の味だから」
「いただきます!」と、マナムはちゃんと手を合わせて、カトラリーを構えた。フォークの先端とナイフの刃は自分のほうを向いている。
「マナム。それは反対だよ」と、イズモに言われて、「あ。こっちか」と言って、右手と左手を持ち変える。
「そうじゃなくて……」と言って、イズモが持ち方を教えようとすると、周りのお客さんの様子を見ていたマコトが、正しくカトラリーを持って見せて、「こうだよ」と言う。
マナムはうんうんと頷いて、右手にナイフ、左手にフォークを持ち直す。その先端と刃はひっくり返ったままだったが、マナムも何となく変な事が分かったらしく、手の中でカトラリーを転がして正位置にした。
口の周りを、蜜でべたべたにしながら、マナムとマコトは暖かいパンケーキを頬張った。
確かに、郷里の社で時々食べていた「団子」や「餅」とは違う甘さだ。蜂蜜とは違う蜜の風味が特徴的で、それが溶けたバターの風味と混じるとさらに馨しい。
パンケーキが半分になる頃には、二人は食べるのに夢中になりすぎたのと、慣れないカトラリーを扱うのが面倒くさくなって、手づかみで食べようとし始めた。
「それは待って」と、イズモが言う。「こう言う所では、手で食べないんだよ」
「じゃぁ、手で食べる場合もあるの?」と、マナム。
「うん。土地で違うけど、何でも手づかみで食べる文化もある。だけど、此処ではダメだよ。さじが用意されてるのに、手づかみでお汁粉を食べたりしないだろう?」
イズモの言葉から、二人はカトラリーの用意されている場所では、手づかみはマナー違反だと学んだ。
だけど、蜜の甘さで頭がくらくらしているので、自制をするのは大変だった。
べたべたの口とべたべたの手を、ナプキンでしっかり拭いてから、子供達は「ごちそうさまでした」を宣言した。
イズモは、手首につけている時計を見る。夕食には丁度良い時間だ。
「じゃぁ、今日の夕飯は、これで良い?」と聞くと、マコトは「はい」と答え、マナムは「もうちょっと食べられるけど……」と言いかけてから、姉に睨まれて「大丈夫です」と言いなおした。
お会計を済ませ、店の外に出る。辺りはすっかり暗くなっていて、表通りは電光の明かりでいっぱいだった。星が間近で燈っているような気がして、マナムとマコトはその様子を興味深そうに見回している。
イズモがタクシーを停まらせる。先にマナムが後部座席に乗り込み、向こう側の窓を独占する。イズモは真ん中に座って、手前側の窓はマコトが独占した。
連なる車のライト、昼間より明るく見える信号、店の窓のオレンジの明かり、オフィスビルの窓を透かして見える蛍光灯。
イズモが行き先を告げ、タクシーが走り出す。横に滑って行く夜景を眺めながら、双子はその景色を目に焼き付けた。




