22.夢見姫の目覚め
明日かも、と言ったら明日には相手は待っているもの。そう考えた通りに、やっぱり黄色いワンピースの女の子は花畑で待っている。
アンはそっと背後から歩み寄り、少し俯き気味の女の子の背に、ぽんっと手を当てた。
女の子は振り返ってアンを見つけ、表情を和らげると、また膝枕をねだってきた。アンは膝に女の子の頭を乗せて、ゆっくりとした声で語り始めた。
神託所を目指して山を登っている間、急に周りが暗くなり始めました。空に雲がかかってきたのです。
坂の下から、神託所を見上げた時。黒い雲の中から、一閃の光が舞い降りました。それは翼を持って、片手に刃を備えたローブ姿の女神でした。
お姫様は女神の前に跪き、片手を差し出しました。だけど、あまりの事に何を聞けば良いのか声が出ません。
女神はそれを見て、刃を振るいました。ほんのわずかに皮膚が切れるくらいの、小さな傷がお姫様の手指につきました。
血が一滴滴り、凸凹なはずの山の斜面を、血が意思を持って居るように這い回ります。その血の筋により、お姫様と鏡の中の女の子を囲む綺麗な三角形が描かれました。
そして、次の瞬間には、お姫様達は夜の大空の彼方に居ました。
その中は確かに暗く澄んでいましたが、真っ暗と言うわけではありません。遠くには大粒の星が光っていて、あちこちで小さな星々が渦を巻いています。
お姫様達は、今まで一束しか見たことの無かった銀河が、数十も数百もある姿を初めて観ました。それ等は一定の法則を持って渦を巻いており、その中心には銀河を引き寄せる力が集まっています。
その銀河の渦は、夫々が人の目のように見えました。
お姫様がそれに見惚れていると、また手の平の傷から一滴が滴りました。
お姫様の足元にあった銀河に、お姫様の血が混ざります。そして、その銀河の渦は赤みを帯びて光り始めました。
それは、暗黒の皮膚に金色の虹彩を持った、瞳孔の赤い瞳に見えました。
「流転の泉だわ」と、鏡の中の女の子は言いました。
其処は確かに、お姫様と鏡の中の女の子が来た銀河の渦でした。それから、流転の泉そのものと成ったお姫様達の銀河は、多くの力を生み出しました。
お姫様の元居た国では、現姫が笑った事で笑顔が奪われ、泣いた事で世界から涙が奪われました。そして、人々に残ったのは怒りだけだったのです。
みんな不機嫌になって、もめごとだけではなく、諍いや、殴り合い、切りつけ合いが国中に蔓延りました。
何かの神様のようなものが与える「笑い声」に浸るために、誰かを殺めて笑う者と、殺められる時に笑う者と、それを見て笑う者が現れました。
そんな事をしても、心の何処かでは不機嫌なので、みんな心の底からは満足できませんでした。
ついに国の中で争いが起こりました。それは不気味な物でした。兵士達はみんな、ヒョロヒョロの体をしていて、歩兵隊も騎馬隊も、武器を持って大笑いしながら体当たりし合うと言う有様でした。
その国が壊滅するのを見て、牧師の身なりをした魔性の者は、にたりと笑って何処かに消えました。
お姫様と女の子はどうなったかって? 彼女達は翼を持った女神に導かれて、世界の運命を回す三女神と成ったのです。紡ぎ出し、時を数え、切り取る者。それが運命の三女神です。
今日も、銀河の渦はその三女神達が回しています。貴女のお友達に、そっくり同じな顔をした女の子はいませんか? もしかしたら、現姫と鏡の中の女の子が、生まれ変わった姿かもしれませんよ?
そう語りを終えると、それまでまどろむようにお話を聞いていた黄色いワンピースの女の子は、大きな目をパッチリ開いて大袈裟に瞬かせた。
――そのお話は、お姉さんが考えたの?
そう聞かれて、アンは首を横に振った。
――私のお母さんが、昔聞かせてくれたの。
――お姉さんには、お母さんが居るの?
――昔はね。今は居ない。
そう聞くと、女の子は視線を下げてから答える。
――私も、お母さんは居ない。お父さんも居ない。居るのはきょうだいだけ。
アンも、自嘲を浮かべながら言う。
――じゃぁ、私と同じだ。きょうだいは、男の子、女の子?
――男の子。何時か、私、その子と子供を作るの。
そう聞いて、アンはなんだか変な感じがした。
人間は血が濃すぎると、体が弱くなったり、次の子供が生まれにくく成ったりするのに……でも、この子は、近親婚をする習慣がある国の子なのかな? と、二秒くらいで考えた。
――事情はよく分からないけど、その子と仲良くね。
――うん。だけど、その子、家出をしちゃって……。あれ? 私、なんでこんな所にいるんだろう。
女の子がそう心で言葉を発した瞬間、アンの霊体は列車に衝突されたみたいに吹き飛ばされた。女の子の意識の中に作っていた空間から弾き出されたのだ。
自分の意思で離脱するのと違って、霊体でも全身を叩かれたような衝撃があった。
痛ーい! と言ったつもりで、「なーん!」と鳴いた。ミュウミュウの体に戻ってきたらしい。体中が神経痛になったようなダメージを受けて、痛みのあまり「なーお。なーお」と鳴き続けた。
当直の看護師が猫の声に気づいて、看護師用の休憩室を覗いてくれた。
「ミュウミュウ。どうしたの?」
体痛いです……と訴えたくて「なーん……」と力なく鳴くと、当直看護師は喉を掻いてくれる。「急に寂しくなったの? 安心してね。脚はもうじき治るから」
いえ、脚じゃなくてなんて言うか…あ、首気持ち好い。
そんな事を思っていると、自然と喉がゴロゴロ鳴った。




