21.夢見姫・その続き
翌日も、アンは目印の花畑に出かけた。思った通り、其処で女の子は待っていた。二人は目を合わせると、にっこりと笑い合って、とても大好きな人にそうするように、額を寄せ合った。
そして並んで座り、アンは昨日の話の続きを語り始める。
フィロソフィの国は、国境を薔薇の園で囲まれています。でも、其処に辿り着くまでには広い広い砂の海が広がっていて、歩こうとするお姫様と鏡の世界の女の子の足を絡めとりました。
二人が砂の海で転んだ時、お姫様の目に砂粒が入りました。とても痛くてお姫様は涙を流しました。すると、涙の落ちた場所から池が出来て河が出来て、砂の海の中をゆるやかに流れ始めました。
鏡の世界の女の子は、鏡の中から二人が乗るのに丁度良い船を取り出しました。
女の子もお姫様も、ずぅっとオールを漕ぐ力はありませんでしたが、流れのままに船を滑らせて、時々引っ掛かりそうになる岸辺を避ける事くらいは出来ました。
そんな風に、二人は砂の海の果てまで、大輪の薔薇の園の中まで、するすると流れに乗って行ったのです。
さぁて、現姫の居なくなってしまったフィロソフィの国の王宮では、とても困ったことになっていました。
笑い声を取り戻した人々は、それっきり、誰一人として、涙が流せなくなりました。
その代わり、いくら笑っても笑っても苦しくなくなって、痛いのも怖いのも分からないほど愉快で、みんな笑気ガスに酔っ払ったみたいに、笑い転げるようになりました。
王族も貴族も平民も、左官屋さんも大工さんも農夫さんも、何の仕事に就いていない人も、笑って笑って笑い転げました。
ご飯もお水も口にしないで笑い転げるので、何日かした頃にはみんなパタパタと床や地面に倒れ込むようになりました。
倒れ込んでも、笑い声は止められません。終いには毎日の笑い過ぎで、気絶する人達も現れました。何日もご飯を食べていないので、気絶するのは当たり前かもしれません。
これは大変だと、笑いながら王様は思いました。そして「神はさらなる生贄を欲している」と思いました。
そこから、国の中で唯一笑っていなかった牧師を問い詰めました。「神を慰める生贄は何が必要なのだ?」と、畏れるように聞きました。
その牧師は、「身代わりでは成らないのです」と答えました。
王様は、何のことか分かりました。神は、現姫の命を欲していると知ったのです。その時、王様には娘が五人と息子が二人いました。
王様は、現姫を探し出すために、大笑いしていても、まだちょっとだけマシだった、馬と兵士に国中を走らせました。
勿論、見つけ出した時には、今度こそちゃんと現姫を処刑するつもりでした。
お姫様と鏡の世界の女の子は、河の向こうから薔薇の花の好い香りがするのに気付きました。ようやく国境を越えられるのです。
その先にあるはずの「厳格なる山脈」には、神様の言葉を知っている愛智者達が居るはずなのです。
牧師のように祈祷するわけでも、救いを求めて聖書を開くわけでもなく、色んな事を調べて知識を蓄えて、自分の頭で考えて、仲間達で考えを言葉にして議論する、不思議な人達です。
大昔にはそんな人達がたくさんいたと聞いたことがあるけど、と、お姫様は思いました。その頃は、たぶん神様と人間は近い所に居たのね、とも思いました。
「厳格なる山脈」の中を、お姫様は靴が擦り切れるまで歩きました。
最初に出会ったフィロソフィアは、気分が好さそうにすやすやと眠っていました。起こすのは失礼だと思ったので、お姫様は素通りしようとしました。
でも、鏡の中の女の子はそのフィロソフィアを背を叩いて、「お寝坊な愛智者。彼処の言葉を聞かせちょうだい」と言いました。
フィロソフィアは目を瞬いて二人を見ると、「やぁ。良い日和だ」と言って伸びをしてから、「平和とはね。虹と同じものだよ。其処に在る時は見えないんだ」と言って、また腕を枕に眠り始めます。
今の言葉はあまり役に立ちそうにないと思って、二人はどんどん山脈を歩いて行きました。色んな所でフィロソフィア達が眠っています。
そんな人々に逢う度に、鏡の中の女の子は「お寝坊な愛智者」と声をかけるのです。
「生命が熱を内包するのはね。この星と同じ事さ。火炎の山から噴き上がるもの。あれがこの星の血液だ」と唱える者。
「毎時毎分きっかり十五度。きっかり十五度」と、繰り返す者。
「魔獣なるもの胚から生まれた。人も形は胚から出でる」と、呟く者。
「どうにも思い出せない。ああ、どうにも思い出せない。力の生まれる場所は何処だ」と、寝言を言う者。
五人目のフィロソフィアは、何やら思い出そうとしているようなので、二人はそのフィロソフィアの考えている事を詳しく聞いてみました。
どうやら、そのフィロソフィアは「流転の泉」と呼ばれる、不思議な力を発現する泉を見つけたのに、その場所を思い出せないと言うのです。
「アラリウス神託所に相談に行きたいのだが、ごらんの通りサンダルを失くしてしまってね。私の代りに出向いてくれないか。場所はこの山の天辺だ」
そう言って、五人目のフィロソフィアは山脈の中で、一際高い頂を指差します。
「『流転の泉』が何処かを聞けば良いのかしら?」と、お姫様が聞くと、「何にも聞かなくても、神託と言うのは訪れるのだよ」と五人目のフィロソフィアは言いました。
そこまでのお話を、黄色いワンピースの女の子は目をキラキラさせながら聞いていた。魔力が抑えられているらしく、瞳の色は朱色に近い。
女の子は聞いてくる。
――その続きは?
アンは答えた。
――また会った時に話してあげる。
――次は何時会えるの?
――何時かなぁ。そんなに遠くない内かも。
――明日だったら良いな。
――かも知れないね。またねお嬢さん。
――お嬢さんじゃないよ。私の名前は……。
アンは片手の指を差し出し、女の子に言葉を切らせる。
――貴女は、まだお嬢さんで良いの。
アンはそう残して、人差し指を立てた手から五つの指を全部立てて手の平を見せ、手を振る身振りをすると、女の子の意識の中から離脱した。




