20.夢見姫
休暇中、アンの霊体は色々と余計な事をやっていた。ガルムの夢の中に出てきた他に、普段会えない色んな人の夢の中に登場している。
その中の一件で、知らない女の子と遭遇することがあった。
八歳くらいで、セミロングの黒い髪をした、黄色いワンピースの女の子だった。その子は、大きな朱緋色の瞳を瞬かせ、自分の周りを怯えるように見回してた。
まだ朱緋眼の力を操りきれていない、幼い術師の夢に侵入してしまったのだろうと、アンは予想を立てた。
アンは言葉を発さずに、今にも泣きだしそうな女の子の肩を横から叩いた。
女の子はハッとしたようにアンのほうを見て、「誰?」と聞いてきた。
アンは結んだ口の前に、人差し指を立てる。
女の子は頷いた。そして、手を差し出してきた。アンがその手を握ると、女の子は何か言いたげな顔をしながら、上目使いにアンを見つめて来る。
「おうち。連れてって」と、女の子は見た目よりだいぶ幼い喋り方で言う。
――どこのおうち?
アンが念話で喋ると、女の子はちょっと考えてから返事を返してきた。
――私のおうち。
――残念だけど、それは知らないなぁ。
アンがそう答えると、女の子はがっかりしたように俯いて、でもアンの片手から手を離さない。
仕方なく、アンは女の子の頭を撫でてあげた。名前を名乗ろうにも、朱緋眼を持つ者が他人の名を気軽に呼ぶ事は避けたほうが良い。
女の子はその事が分かっているのかいないのか、名前を聞いたり名乗ったりしなかった。
しかし、その夢の中の空間の様相は、その少女の意識の影響を受けて、グニャグニャと歪み始めていた。白い幽霊のような影が、現れては消える。
――何か、楽しいお話をしようか。
アンはそう切り出した。
女の子は顔を上げて、不安そうな表情を消すと、こくりと頷いた。
そこで、アンは空間の地面に座り込む。そうすると、女の子は甘えたような仕草で一緒に座り込み、アンの膝をトントンと叩いた。
なんだろう? と思っていると、女の子はもう一度、アンの膝をトントンと叩く。
横座りになって、膝を倒すと、女の子は嬉しそうにアンの膝を枕にした。
アンは、その甘えを許可したしるしとして、横たわる時にクシャッと絡まり合った女の子の髪を撫でてあげた。
遠く遠くのお話です。ある所に、お城に囚われているお姫様が居ました。誰も手足を縛ったりはしないけど、そのお姫様は血筋と言う物に括られていました。
そのお姫様の血族はとても稀有であるとされて、お姫様はお城から出る事を禁じられていました。王様からだけではなく、大臣にも、騎士達にも、兵士達にも、毎日パンを運んでくる配達人にもです。
お姫様の行動は、いつも彼女の後をついて歩く書記係によって見張られていて、お姫様のする事は逐一、書記係がメモをしていました。
お姫様は、毎日鏡を覗くのが好きでした。銀を磨いて作った、お姫様のための一級品の手鏡でした。お姫様は毎朝鏡を覗いて、其処に映る女の子に「おはよう」と声をかけました。
そうすると、鏡の中の女の子も、「おはよう」と返事をしてくれるのです。その鏡の中の女の子だけが、お姫様の心の慰めでした。
お姫様は、十八歳になるまで、笑ってはいけませんでした。もちろん、微笑んでもいけません。三歳になった頃には、怒る事と泣く事も禁止されていました。
お姫様には、表情を隠すために扇が渡されていて、どうしても我慢できない時は顔を隠すことを教えられました。
ある日、お姫様は鏡の中の女の子とのおしゃべりに夢中になって、つい「フフッ」と笑ってしまいました。
そうしたら、鏡の中の女の子の顔が引きつりました。そして、何かに気づいたように、鏡の中にお姫様の腕を引き寄せたのです。
そのまま、するんと鏡の世界に入ってしまったお姫様は、自分とそっくりの女の子が「本当に」目の前に居るのを見て、目をぱちぱちさせました。
鏡の中の女の子は、お姫様の背後にあった「手鏡の入り口」を指差しました。
其処に、お姫様の頭に向かって鋭いペンを突き立てようとした書記係の姿が見えました。お姫様の姿が急に消えたので、不思議がっているようです。
鏡の中に入ったお姫様は、訳が分かりませんでした。でも、書記係が他の者に言った言葉を聞いて、震えあがりました。
「現姫が声を出して笑った。世界から笑い声は奪われた。現姫は夢の中に消えてしまった。血の生贄を捧げなければならない」
それを聞いた近衛達も、自分達が確かに「フッ」とも笑えなくなっているのに気付きました。
そこで、国を挙げての祭りが開かれ、その生贄にお姫様と同じ年齢の女の子達が集められました。女の子達は周りの様子が分からないように目隠しをされて、舞台の上に跪かせられました。
そして、執行人達がその首をスパンスパンと切って行きます。
頭を落とされた女の子の首から、だくだくと血が流れるのを観ていた人々は、目をギラギラさせて大笑いを始めました。
その瞬間に、牧師は唱えました。「神は我々を許された!」と。
鏡の世界から、色んな鏡を通して国の中を見回していたお姫様は、とっても怖い気持ちになりました。そして悲しい気持ちになりました。
その様子を見て、鏡の中の女の子は「きっと、本当の神様は、貴女の味方よ」と、お姫様を励ましました。
そして女の子とお姫様は、フィロソフィの国の薔薇園の彼方まで、女神様に会いに行きました。
そこまで話してから、アンは膝枕をしてあげている女の子が、ぐんにゃりしているのに気付いた。
ちょっと怖すぎたかな? と思って、女の子の顔を覗き込むと、女の子は気分が好さそうに目を閉じて、寝息を立てていた。
後半は、またこの女の子と逢った時に話してあげよう。
そう思いながら、アンは魔力を展開し、自分の周りに花畑を作った。またこの子と出逢ったときに、目印になるように。




