16.眠りの底で
宿で眠っている間、マコトは悪夢にうなされていた。
楽しく食事をしていた食堂の中の「みんな」が、突然湯気のように蒸発して消えてしまったのだ。
マコトは、ついさっき自分が「命の祈祷」を行なったのを思い出し、自分がみんなを消してしまったのかと思った。今まで感じたことの無かった、恐ろしい感情に囚われる。
文字で簡単に表してみるなら、それは絶望感と言う物だった。
マナムや、イズモ先生や、あの時食堂に居た、色んな人達……楽しそうだったり、つまらなそうだったり、食事より話に夢中だったりした、色んな人達を、何故自分は消滅させてしまったのか。
私は四歳の頃、マナムを見つけた。社の裏手で、しくしく泣いていた男の子を、可哀想に思った。だから、彼の姉になる事を申し出た。
でも、その前は? と、今まで考えてみたことの無かったことを思い浮かべた。
その前の私は、何処に住んでいて、何処から来たのだろう。何故みんなは、私に強い力があると言って崇拝していたのだろう。私は何者なんだろう?
出会った時は、マナムは私とそっくりで、着ているものの、髪型も、顔つきも、うり二つだった。どうして、それまで会ったことの無かった、全然知らない男の子と、そっくりなんだろう。
思考の渦に迷い込んだマコトは、体が何処か深い所に沈んで行くような気がした。落下の恐怖を覚え、目を閉じる。しかし、しばらくすると体はふわりと浮いた。
夢の中のマコトが目を開けると、辺りは赤く光る液体状の空間になり、目の前に巨大な赤ん坊が眠っている。その赤ん坊は、時々手足をばたつかせ、自分が身を預けている赤い空間で泳ぐような仕草をした。
すると、その体はゆっくりと空間を移動し、赤子は空間の端にある黒っぽい部分に手をかけた。赤ん坊の瞼はやけに凹んでおり、瞼の内側には眼球が無いように思えた。
においを嗅ぐように鼻を動かし、両手で空間の端を叩いて、脚で空間を蹴り、時々頭突きもする。そんな風に赤子が暴れているのを、マコトは不思議な気持ちで観ていた。
あれは何か、私と同じ者のような気がする。
そう思うと同時に、赤子が「気づいた」ように、空間をマコトのほうに泳いできた。巨大であるが、幼い作りの片手が、ゆっくりこちらに伸ばされる。
その手は、マコトの周りそっと包み込むように動き、マコトを脅かさないようにしている……わけでは無かったようだ。
まるで、油断させた虫を無造作に握りつぶすように、一気に手が閉じられた。
紙一重の所で、マコトの体は背中の方に引っ張られ、赤子の指を逃れた。マコトの背後に誰かいる。振り返ると、よく見知っている「先生」が、結界の中にマコトを匿ってくれていた。
――先生。
心の中で唱え、そう呼びかけようとすると、イズモは口の前に人差し指を立てる。それから、結界を操って赤い空間を移動し、赤子の手が届かない場所から、空間を見回した。
空間の中にある幾つかの穴から、目の前にいた巨大な赤子より小さい赤子が侵入してくる。その小さな赤子達は無数に居て、一体一体が結界を纏っていた。
巨大な目玉の無い赤子は、その小さな無数の赤子を恐れるように、距離を取ろうとする。
やがて、巨大な赤子は、空間の中で小さな赤子の群れにつかまった。小さな赤子の群れは、巨大な赤子の手足に食らいつく。その様子は、行軍を妨げるものを攻撃する蟻のようにみえた。
巨大な赤子が、音のない声で何か叫んだ。目は開いていないが、苦痛の悲鳴を上げているようだった。巨大な赤子が手足をばたつかせ、空間の穴から、赤い光が外へ零れて行く。
――此処から離れよう。
イズモの声が頭の中に響き、マコトは口を結んで頷いた。
額が熱を持って居るように熱い。気味の悪い夢から目を覚まし、マコトはハンモックの上に体を起こした。
隣のハンモックでは、マナムがすやすやと眠っていて、そのもう一つ隣のハンモックでは、マコトと同じように、イズモが体を起こす所だった。
マコトは、ふわふわ動いてしまうハンモックのバランスを取って、床にそっと降りると、足音を潜めてイズモの所に近づいた。
「先生。今、私、不思議な夢を見たんだけど……」と、状況を説明しようとすると、イズモは夢の中と同じように、口の前に人差し指を立てた。それから、念話を送ってくる。
――私も、同じ夢を見たよ。いや、マコトの居た場所と、同じ空間に居た。
――あれは、何だったんでしょう?
――唯の夢じゃない。あの場所で見たままの事が起こってるんだ。
――あの赤い空間は?
――地面の下だよ。星の中心部に近い場所だ。
――星って、空に浮いてる?
――それも星だけど、この大地も、星の一種なんだ。
そう答えてから、イズモは、丸い物を示すように両手を動かして見せた。
――星の内部は、あんなふうに、高温の赤い光を放つ液体で、満たされているんだ。
マコトは少し黙ってから、決意したように願った。
――その話、もっと詳しく教えて下さい。出来れば、今。




