15.気の触れる熱
「命」の祈祷の祝詞を唱えながら、マコトとマナムは袖の中の房鈴を鳴らす。
イズモは、二人が祈祷に集中できるように、その周りに結界を仕込んだ。
イズモ本人は双子を取り囲んでいる犬百足と四頭天道虫の向こうに居るのだが、妖怪達は神主の衣装を着たこの青年を、攻撃してこない。
狙いはあくまでマナム達であり、それ以外の要素は頭の中におさまっていないと見られる。
この妖怪達は、偶然居合わせたわけではなく、誰かから指示されてマナム達を狙っているのだ。そうなると、ジーク達の言っていた「魔神」と言う者の仕向けた阻害者なのだろう。
そんな事を悠長に考えている暇があるほど、四頭天道虫の動きは鈍く、頭の働きも遅いようだった。
頭一つにしか術がかかっていないと思ったが、その一つを封じた事で、知能はある程度の退化させられているようだ。
「命」の祈祷の最後に、双子は握り合っていた片手を解き、夫々の胸の前で両手を合わせると、「ひでりのそのに めいなりひびく しからばたえよ しからばたえよ」と、声を揃えて唱えた。
旱の園に 命鳴り響く 然らば耐えよ 然らば絶えよ
その言葉に括られた力が、双子の周りの結界を中心に、大気に熱を帯びさせ、砂を巻き上げる。
イズモは自分の周りにも結界を張ろうとしたが、既に彼は何かの力で守られていた。
火炎を伴わない熱波が、虫達を包む。その熱に脅かされた虫の体は、瞬間的に乾いて、体の表面を覆う殻から内部まで、砂になって崩れ出した。
熱は風を巻き起こし、四頭天道虫だけではなく、犬百足達も一緒に、砂塵と化して吹き飛ばした。小規模ではあるが、一帯で爆発でも起こったかのようだ。
イズモは自分の周りにある透明な防護壁の中で、呼吸を止め、吹き飛ばされないように踏みとどまった。
双子から、霊力の放出が止む。
「力が強すぎたよ。犬を消しちゃった」と、マナムは残念そうに言う。「名前を付けてたのに」
「どんな名前?」と、マコトは聞いてあげる。
「太陽丸と月丸。それから、土丸と風丸と……」と、マナムは指を折って数える。
「丸って呼んだら全員返事をしそう」と、マコトは言って、イズモのほうを見た。「先生。大丈夫ですか?」
「大丈夫」と返事をして、イズモは自分の周りの壁が解かれるのを察した。まだ周りの空気には余熱が残っていて、皮膚がピリピリしそうなくらい暑い。
「凄い術だね。これは、何の時に使ってたの?」
「普通は、祈祷師の念力を強くするためのお祈りなんです」と、マコトは明るく答える。「いつもは、こんなに力を込めないで、ほんのちょっと体が温かくなるくらいの力を送るの」
「それは……祈祷師が死んだりはしない?」と、イズモが冗談のつもりで聞くと、「殺める事も出来ます」と、マナムが得意そうに説明し始めた。
「悪い術を使ったりするために、念力を上げようとする人には、頭の中がおかしくなる程度の熱を与えるの。そうすると、その人はまともに考える事が出来なくなって、気が触れ……」
そこまで言いかけて、マコトが怖い顔をしているのに気付いた。
マナムは言葉を切り、首の後ろの毛を掻く。
「うん……。でも、それは、悪い事だよね……」と、マナムは呟いた。
「良い悪いじゃないの」と、マコトは弟を叱る。「そう言う仕事を、自慢するみたいに話すのは、とっても危険な事なの。私達は、『絶対の義』ではないんだからね。それに……」
そこまでハッキリ言ってから、マコトは一度口を閉じ、胸にためていた息を大きく吐いた。そして続ける。
「私達を守ってくれるのは、もう、先生しかいないんだからね」と。
イズモは、それを聞いて、困ったように眉を寄せ、口元は笑ませた。それから言う。
「私も、『絶対の義』ではないけどね。だけど、二人がすごい力を持ってるって言うのは分かってる。それに、今、術を使う時に私を守ってくれただろ?」
マコトとマナムは、それがどうかしたのかと言う風な表情のまま、頷いた。
イズモは眉から力を抜き、安心した表情を作る。
「そう言う風に、君達が他者を気遣える子達だって言う事は、もっと誇って良い事なんだ。力は、何かを守るために使いなさい」
そう言われて、マナムとマコトは顔を見合わせ、微笑んだ。近くにいる者にしか分からない程度に、口の端をごくわずかにだけ上に持ち上げる、あの島国の人々特有の笑顔だ。
齢六歳なのに、ひどく大人びて見えるのは、この二人があまり表情を変える習慣がないからかもしれない。
纏わりついて来ていた犬百足が居なくなったので、三人は予定を変えて道中の宿に泊まる事にした。部屋の中には、ハンモックと言う宙ぶらりんの寝床があり、宿の近くには風呂屋と食事処があった。
二週間、社での禊くらいしかしてなかった三人は、交代で風呂に入った後、食事処で温かい夕餉にありついた。
「この白い柔らかいの、美味しいですね」と、マコトが小麦粉の皮で包んで、茹でてある挽肉を食べながら言う。その白いものは、肉汁がたっぷり入った香りの良いスープの中に浮いていた。
「此処より北の方の料理だね。だけど、向こうのものより肉が多いな」と、イズモは答える。
「こっちのは餡子が入ってる」と言って、マナムは大きな饅頭を口に運ぶ。食いちぎった断面を見て、「白餡だ。少し花の香りがする」と言う。
「甘いものは、最後に食べたほうが良いよ?」と、イズモが言うと、マナムは「えー。だって、甘いもののほうが、お腹がいっぱいになるじゃないですか」と反論する。
確かに、血の中に糖分が満ちると、少量の食事でも満腹感がある。
「折角、久しぶりにまともなものが食べられるんだから、色んなものを食べて栄養をつけなさい」と、イズモは説きながら、香草と一緒に炒めた、肉と野菜の皿をマナムの前に置いた。
その他に、先の村で買った食糧から、腐りやすい卵と乳を選び、露店で買った果物と一緒に混ぜて飲み物にし、眠る前の夜食にした。




