13.犬百足
一番遅れていた「線」が、大きく南へ進んだ。海を越え、途中の細長い半島の上で止まる。ジークはゴーグルに映るその様子を見て、息を呑んで両手の指先を軽くぶつけた。
手を打ち鳴らすわけにいかないのは、彼の両手のほとんどが機械の塊に覆われているからだ。
それまで二週間の移動速度と、人間が自力で飛翔移動していると言う事から、後半年はかかると予想していたのだが、ほんの三週目で、大陸の南にある半島に届くまでに距離を伸ばした。
これは、アンが休暇を終えて帰ってくる頃には、「上手く行ってる」かも知れない。
そう期待を持って、ジークは「線」の移動した地点に焦点を絞ろうとした。
「ジーク。見るな」と、相手の方から声が飛んで来た。「今は間が悪い」と。
一度絞りかけたゴーグルの焦点をぼかし、ジークは大袈裟に顔を上にそらす。
「通信はオーケー?」と、ジークは上を見たまま手探りで通信機を操作する。
「短時間ならな」と、向こうから声がする。
「そちらの状況は?」
「戦闘直前」
「相手は?」
「山犬かな」
山犬と呼ばれるものが、唯の山に住んでいる犬なわけがない。獣の皮膚を持ち、野犬のような顔つきをした、胴体の横からムカデの脚を生やした何かだ。
様子を見る時の猫の尾のように揺られている尻尾は、それ一本がムカデの本体のような姿をしていて、節目を邪魔しない位置に無数の棘が付いている。
あの棘で叩かれたら、毒か邪気を植え付けられるだろう。
犬猫であれば、本来下の方に来るはずの四つ足も、関節が存在する太い虫の脚のように変形し、その爪先は六つに分かれて地面を捉えている。
「何ですか、これ?」と、緊張した風にマコトがイズモに声をかけ、イズモは「妖怪かもね」と冗談で答えた。マナムはイズモの背後に隠れようとしたが、そっちにも同じような化物が居るのに気付いた。
「囲まれてる!」と、マナムが恐怖の声を上げる。
「大声出さないの」と、マコトが弟に注意したが、遅かった。
マナムの大声を、威嚇の声だと判断した妖怪達は、先手を打とうと飛びかかってきた。
イズモが榊を振るう。
一瞬、イズモ達の周囲に閃光が放たれ、守護のための結界が起動した。それにぶつかった妖怪達は、霊力の影響を受けて身を跳ねさせ、体をそらす。
「どうしようかな……」と、イズモが呟く。
どうやら、大陸に到着すると同時に、このような――異国の言葉で言うならキマイラと言う――妖怪に出くわすとは思っていなかったようだ。
「先生」と、マコトが言う。「『惚』の祈祷を使ってみて良いですか?」
それを聞いて、イズモは少し考えた。このきょうだいが、自分達の住んでいた神社で「信者を恍惚状態にする祈禱」を使って居たのは知っている。実際にその現場も見せてもらった。
多数の妖怪を一気に黙らせるには、有効な手段だが、あの祈祷には、追加で変な効果もある。
周りの目は気になる事になるだろうな。そう思ったが、結界が機能しなくなるまで策を練っているより、思いついた手段を取ってみる事にした。
「やむえまい。やってみなさい」と、イズモは許可を出した。
マコトは、イズモの脚につかまってガタガタ震えていたマナムの手を取り、「大丈夫。いつも通りにやれば良いだけだよ」と声をかけた。
マナムは、姉が「惚」の祈祷のための祝詞を上げ始めるのを聞くと、やらねばならない事はすぐ分かった。
双子は片手を繋いだまま正面を向き、腕を両側に伸ばし、声を合わせて祝詞を唱え、簪を売ってもそれだけは手放さなかった、袖の中の房鈴を一定のリズムで鳴らす。
祝詞の拍子に合わせながら、シャン、シャン、と言う鈴の音が辺りに響き渡る。それと同時に、敵意を表してた妖怪達は尻尾を腹の下にしまい、犬の頭の表情を緩め、物寂しいようにクーンと鼻を鳴らしてみせた。
「先生。もう大丈夫です」と、マコトが口元に笑みを浮かべ、イズモの方を振り返った。
イズモは、用心しながら結界を解く。
犬百足とでも呼べそうな妖怪は、非常に慣れ親しんだ主人にそうするように、鼻を鳴らしながらマコトを達にすり寄り、喉をさらした。
マコトは、臆することなく犬百足の喉を掻いてあげる。マナムも、姉の様子を見てから、同じように別の犬百足の喉を掻き、頬の肉を掴むようにほぐしてあげた。
そして、マコトとマナムは、奇異な姿をした犬百足の群れを連れて歩くことになった。
ついて来いと言う合図は出していないが、妖怪の方がマナム達の姿を追うように、のろりのろりと歩を進めて来るのだ。
丁度、祈祷部屋で恍惚状態になった信者達が、「神成様」と呼びながら、別室に移るマコト達を追おうとする時のように。
イズモがこの術を知ってから推測した所では、一定時間、マナム達と離れていると、「惚」の術は解ける。でも、恍惚状態になった気分だけは頭が憶えていて、何度でも祈祷を頼みに来るようになる。
憂鬱症や、それに伴う悲観癖に囚われている者達は、一瞬でも憂鬱を忘れられると言う事から、祈祷に依存するようになってしまう。
恐らく、この犬百足達も、二度とこの恍惚状態が忘れられまい。次の場所まで移動する時まで、双子に魅入られたままになってしまうだろう。
そして、変な生き物ぞろぞろ連れている状態で、人前を歩くわけにいかないし、旅籠に泊まるわけにも行かない。
イズモが、妖怪と戯れている双子に、「ちょっと、近くの村まで食糧を買いに行くよ。他人の居る場所に連れて行くには、こいつ等は不気味すぎる」と告げると、双子は「はーい」と返事をした。




