12.俗界の道士
イズモから「外の国」の話を聞かされた後日、マナム達は神社での仕事を無断でやめて、こっそりイズモに付いてきた。
旅の途中で必要になると思ったかは分からないが、編んだ長い髪に簪をたくさん差し、女の子が七五三で履くような、ぽっくりを履いて。
「イズモ先生の言う『外の国』は、此処よりも安全なの?」
緑の着物を着たマコトは、大きなきんちゃく袋の紐を斜めに肩にかけて、真剣な顔で聞いてきた。
マナムは、髪こそ整えて簪で飾っていたものの、ちゃんとした荷を持っているわけではなく、両手に着替えの着物と手拭いを抱えて持って居た。
イズモは、このきょうだいに何かが起こりかけていたことを察し、少しつらそうな表情を浮かべた。
「安全とは言い難いけど、『神の威光』のために、子供が人の道を外れなければならない環境ではないよ。いや、そんな環境には、私が連れて行かない。それで、分かってくれるかい?」
そう問うと、マコトは表情を変えずに頷いた。
さっきまで、「新しい仕事」を任されそうになっていたマナムは、変な顔をしていた。
僕はお風呂に行って、○○様の背中を流さなきゃならなかったのに……と。
事の真相は知らされないまま、マナムは、マコトとイズモと一緒に旅に出る事になった。
マナムの持って居た、質の良い布で作られていた着替えの着物は、服屋に売られて少々の路銀になった。
イズモは自分と子供達の体の周りを、移動できる結界で覆って、空中を飛翔する術を使う。
結界で外からの視線は遮られ、三人は誰に姿を見られることも無く、風の抵抗を受ける事もなく、かなりの速度で島国を移動した。
しかし、この移動方法は、イズモの霊力と気力が持つ間しか使えないので、一日で飛べる距離も限られている。
二時間に一回は、休憩のために人気のない地面に降りて、辺りが安全な事を確認してから、竹筒の水筒から唇を潤す程度の水を飲み、煎餅や揚げ餅を食べて一息つく。
山を越える途中で、木々の茂る山道に着地した時、イズモは長距離疾走をした後のように忙しなく呼吸をして、手の甲で額の汗をぬぐった。
「空を飛ぶ術は、そんなに大変なの?」と、マナムはイズモに質問をした。
「まぁ、多少は大変だね」と、誤魔化すようにイズモは答える。「私が二人を両肩に抱えて、脚で走ってるのを想像してくれれば、大変なのはわかる?」
そう言われて、マナムはイズモの体つきをよく見てみた。神職に就く者にしては、漁師のように筋肉質で、色黒な事もあって、外見はとても強そうに見える。
「あんまり大変そうじゃないけど」
マナムがそう言うと、イズモは困ったように苦笑いをした。
「外見と霊力の強さは比例しないんだよ」と、イズモの代りにマコトが言う。「先生。いずれ機会があったら、飛翔の術を教えて下さい」
「ああ……。そうだな。海を渡る時は、マコトにも手伝ってもらおうか」
イズモはそう決定してから、水を少しだけ飲み、「よし。今日中に、もう少し移動しよう」と言って、持って居た榊の枝を、ふわりと振るった。
イズモは、いつも榊の枝を持って居る。何日持って居ても、その葉は枯れ落ちる事は無く、みずみずしい緑を湛えていた。
社に泊まる時も、旅籠に泊まる時も、野宿をする時も、幼い二人の興味の対象はイズモの「不思議な話」だった。
その日も、山の中で野宿する事になった三人は、焚火を囲んで言葉を交わしていた。イズモが常に手にしている榊は、水の入った小瓶に立てて、焚火の熱が当たらない場所に置かれている。
「なんでその枝は枯れないんですか?」と、マナムが榊を指差して聞くと、「力が通してあるからだよ」と、イズモは答える。
「なんの種類の力ですか?」と、マコトが聞いてくる。
「そうだな……。君達の国の言葉では、霊気って言う物に近いかも」
「『かも』?」と、マコトは復唱する。
「うん。私も、よく分かってないんだ。この力が使えるのは、私の故郷の国でも『珍しい事』だから。この力が使える人は『道士』って呼ばれる」
「どうしって何ですか?」と、マコトは重ねて聞く。
「仙人の事だね。大陸の山の中に住んでるって言われてる、俗界と離れている人達だ。でも、私は俗界を捨てたわけじゃないのに、道士の力が使える。それで、おかしな事だってよく言われていた」
「誰に?」と、マコト達は声を揃える。
「色んな人達。親だったり、兄弟だったり、近所の人だったり、私の術の師匠だったり」
「もし、イズモ先生が仙人だったら……その力は仙術って言うものになるんですね?」
マコトがそう確認してきたので、イズモは「俗界を捨てた時は、そうなるね」と答えた。
「俗界を捨ててないから、その『力』は仙術じゃなくて……霊術になるんですか?」と、マコト。
その会話を聞きながら、マナムは、焚火で温められてぷつぷつ気泡の音がする土瓶が、さっきから気になって仕方ない。
イズモはマコトとのお話に余念がない。
「うん。その辺の区切りが、私にもよく分からないんだよ。師についてる間も不勉強だったからね。師も、よく分かって無かったと思うけど」
ついに土瓶がブクブクと泡立った。
「お湯が沸きました」と、マナムは報告する。
「じゃぁ、夕飯にしよう」と言って、イズモは三つの器に盛った糒にお湯をかけた。




