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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第六章~哲学者のうたた寝~
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10.錆びついた記憶

「姿の無い者からの言葉を聞いたことがある?」

 そうハンナから問いかけられ、カーラは押し黙った。そして、「ハンナが思ってるのとは、たぶん違うんだと思うけど」と前置きをしてから、「あるよ」と答えた。

 カーラは、その声がずっと昔から聞こえていた事、七歳の頃から八年間、ずっとその言葉の求めるものを拒絶していた事を、ハンナに打ち明けた。

 それから、「私、それを悪魔の声だと思ってた」と言った。

「悪魔が、私に罪を自覚させるように、ずっと声をかけて来てるって。ハチドリ機は、絶対に動かしちゃならないんだって、そう思ってた。ううん、思ってる」

「その『ハチドリ機』は、何処にあるの?」と、ハンナは穏やかに訊ねる。

「私の部屋」

「見せてくれる?」

「うん」と言って、カーラはハンナを自分の部屋に連れて行った。

 樫の扉を開け、起毛のカーペットの上を靴で歩く。ベッドの向こう側にある衣装棚の引き出しに、それは仕舞われていた。

 乾いた小さな木箱を、カーラが戸棚から取り出す。ベッドの上に箱を置き蓋を開け、丁寧に包んでいた布を解くと、体がへしゃげて翼が折れている小鳥のカラクリがあった。

「事故があってから、ネジを巻いた事はある?」と、ハンナは聞く。

「無い。ネジも巻けるか、分からない。中が錆びてるかもしれないし」

 そう言って、カーラは隠すように、へしゃげたカラクリに再び布を巻こうとする。

「カーラ。私からもお願いするわ」

 ハンナは言う。

「『ハチドリ機のネジを巻いて』」

 その言葉は、カーラの耳には、何時も聞いていた姿の無い者の声と、重なって聞こえた。

 カーラの手が震え出す。冷夏と呼んでも良い季節の中で、カーラは顔に脂汗を浮かべた。幼い頃は認識できなかった「出来事」の記憶が、頭の中で渦を巻く。

 ずっと、ハチドリ機を匿っていたつもりだった。水巻鳥のおじいさんを悲しませたくなかった。妹が死んだのは、ハチドリ機のせいじゃないと信じたかった。

 そうなれば、それを妹の指にとまらせた自分に罪があるのだろう。妹の死の原因は、「カーラ」だ。その罪を、布に包んで、箱に閉まって……永遠に、ネジを巻いては成らない。

 カーラは目を大きく見開いて、息が細くなり、肩を震えさせ始めた。極度の緊張状態になっている。

「カーラ。息をして」と、ハンナが肩を支え、声をかけてくれた。「ゆっくり吐いてから、ゆっくり吸うの」

「う、うん……」と小さく返事をして、喉を鳴らしながら息を整えた。

 しばらくして落ち着いてくると、カーラは「ハチドリ機を動かしたら、何かあるの?」と、訊ねた。

「貴女の……貴女を守ろうとしている者が、それを望んでいるから」

 ハンナは部屋の中を見回し、影を見つけた。

 それは、カーラと同じ年くらいの子供の足跡だった。透明な何かが其処に居るように、二つの足跡が起毛のカーペットの上にある。

「『ハチドリ機のネジを巻く』。それだけを、八年間、求めていたんでしょ?」

 カーラは、ハンナが誰に話しかけているのか分からなかった。でも、音のない声に耳を澄ます方法を使うと、その「透明な何か」が居る場所から、次々に言葉が聞こえた。

 八年間、カーラに呼びかけていた「姿の無い誰か」は、心の中にたくさんの言葉を閉まっていた。

 ――もう、考えなくて良いんだよ。

 姿を持たないその声は言う。

 ――だから、「ハチドリ機」のネジを巻いて。

 カーラは、布の中から、ひしゃげたハチドリ機を掴みあげた。震える手で、少し歪んでいるネジに手を掛ける。ネジを巻くと、ゼンマイの巻き上がる音がする。一回、二回、三回……。

 その瞬間、ハチドリ機は崩壊した。ボディのつなぎ目が割れ、錆びた内部構造が露出し、羽ばたこうとした羽は床に落ちた。カーラの手が、錆で赤茶ける。

 その手の中から、青白いハチドリが飛び立った。ハチドリはカーラの周りをくるくると旋回し、窓から飛び立って行った。

 ――水巻鳥のおじいさんの所。

 姿の無い者は、足元からゆっくりと青白い輪郭を得ながら、カーラに語り掛けてくる。

 ――カーラが十五歳になったことを、教えに行ったの。

 ――あなたは誰?

 カーラも、透明な「彼女」にそう呼びかけた。

 ――私は、キーナ。ずうっと、ずうっと、待ってたの。貴女に名前を告げられる時を。

 その声は、次第に肉声を帯びる。キーナはカーラとそっくりな、でも、カーラよりずっと子供っぽいような表情を浮かべて、カーラと同じ声でこう言った。

「『私』をありがとう、カーラ。今まで、ずっと伝えたかった」

 そう言って、キーナは自分とそっくり同じ背丈のカーラの肩に手を回し、優しく抱擁した。

「私が呪いになってしまう前に、カーラに伝えたかった。カーラの身を蝕んでる、悪い力に、カーラが憑りつかれてるって教えたかった。やっと、伝えられた。カーラ、今ね、私、ようやく『私』になったの」

 言葉を発している本人も、文脈や伝えたい事が混乱しているのは分かっているらしい。しかし、長年の間、留め続けた言葉と言うのは、そう簡単にほぐれない。

「憑りつかれる?」と、カーラは聞いた。

 キーナは涙声で答える。

「水巻鳥のおじいさんは、良い人だった。けど、あの人の来た場所から、呪いを持ってきてしまって居たの。それが、ハチドリ機の中から、ずっとカーラを……カーラと私を蝕んでたの」

 カーラが流すことの無い涙を、キーナは幼い子供のようにぽろぽろと溢す。

 ハンナはしばらく黙って見ていたが、やがて、実体化したキーナの肩に手を添えた。

「話したい事が、たくさんあるのは分かる。でも、キーナ。今は、貴女の事を調べさせて。貴女が本当に安全に成ったことを、確認しないとならないの」

 そう声をかけると、キーナは手の甲で目を拭って、しっかり頷いた。

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