5.自己防衛
植物の感覚からそれを見ると、現象はひどくゆっくりに見えた。
動物が素早く動く度に空気が揺れ、その空気の流れを植物達は全身で受け止めて、其処で何が起こっているかを察している。
カーラは、腫れている自分の頬を押さえたまま、危険のない場所まで後退った。けれど、逃げなかった。
何時ものように公園に行ったら、あるベンチの周りに群れていた少年達に、突然「薄汚い混血!」と罵られ、頬を殴られた。
衝撃で、カーラは膝を折り、頬を抑えたまま地面に座り込んだ。
少年達はカーラを取り囲み、「顔面をぼこぼこにしてから、服を脱がせてやろうぜ」と企てを述べた。
それを遠くから見つけた、少女の集団の一部が、こっちに走って来た。少女のうちの一人は、何処か別の方向に走って行く。
カーラは最初、その少女達も私刑に加わるのかと思った。だが、その女の子達は、少年達の肩を掴んで振り向かせ、襟首をつかむと、平手ではなく拳で、相手の頬を殴りつけた。
ある少女は、全身でぶつかるように殴って怯ませ、両手で突き飛ばして相手を倒してから、体の上に乗りかかり、腕や脚の関節が痛みを起こすように、骨を捻じる。
別の少女は、殴りかかってきた少年の拳を避けて、体ごと近寄ってきている鼻の下に、拳をめり込ませてノックアウトする。
もう一人の女の子は、手に持っていた本を素早く開き、その中から、青白い鳥の姿の精霊を召喚した。少年達が魔術を使い始める前に、その頭に鋭い嘴を突き立てる。
カーラの代りに、カーラのプライドを守るために戦ってくれているのか、それとも彼女達が、唯、虫の居所が悪かっただけなのか。
そんな事を考えているうちに、悪童達は逃げ出すか、戦意を喪失した。
さっき走って行った少女は、警官を連れて戻って来た。最寄りの交番から呼ばれた警官二名が、関節技を掛けられたり、ノックアウトされていた少年達に、容赦なく手錠をかける。
それから、警官達は、何故、乱闘になったのかを少女達に聞いてきた。
「いつもの事ですよ」と、本の女の子が静かに言い、カーラが難癖をつけて殴られた次第を、淡々と話した。
少女達に礼を言うと、「それより貴女、頬を殴られたでしょ?」と、本の女の子が良い、カーラの腫れあがっている頬に片手を添えた。
目のすぐ下で、何かが淡く光ったような気がする。その途端、痛みは治まった。本の女の子が手を離した後、自分の手で確かめてみても、腫れは引いている。
「貴女達は誰?」と、カーラは聞いた。
「この公園の近くの『学校の友達』達」と、関節技の女の子が明るく言う。「あんた、マーヴェルの家の人だろ? ハンナ先生と一緒に歩てるの、見たことある」
カーラは頷いて、この女の子達は、ハンナの知り合いなのかと納得した。
「何処の国でも、どうしようもないクズって言うのは居るから」と、ノックアウトの達人の女の子が、自分の拳に手の平をあてる。「貴女も、護身術は覚えたほうが良い」
「分かった」と答えて、カーラは思い当たった。そう言えば、今まで身を守るための術を教えてもらったことがない、と。
「先生によろしくね」と、本の女の子はそう声をかけてきた。
どうやら、ハンナは少女達に先生と言われる立場にあるらしい。付け加え、混血の一族と言う事で、マーヴェル家の人は、一部の人間にはひどく嫌われているようだ。
館に帰ってから、昼間の事情をハンナに告げた。
ハンナは少し表情を曇らせて、「もっと早く危険を教えておくべきだった」と言い、カーラの頬に手を当てた。
ジェームスが居なくなってから、植物のネットワークを知る事が出来なくなったハンナは、この二ヶ月ほど、カーラをあまり守れていない状態だった。
早急に新しい情報源を作り上げようと、ハンナ本人も「知覚的感覚網」を得ようとしていたが、ジェームスの術より高度な術は、日常の中で魔力を分散しなければならないハンナには使えない。
カーラの居る場所くらいは把握できていたが、今まで日常の中で「少しずつ夫々の居場所をずらす事で回避させていた危険」に、まさかたった二月の間で遭遇するようになるとは、思わなかった。
そうハンナから打ち明けられ、カーラは今まで自分が、「それとなく危険を回避するように指示されていた」事と、そのように逃げ回っていても、いつかは危険に遭遇するのだと悟った。
「ハンナ。私に、『身を守る術』を教えて」と、カーラは頼んだ。
「貴女の力は……」と、ハンナは言いかけて口をつぐみ、諦めるように息を吐いてから、「そうね。身を守る方法は大切ね」と決定した。
その日の晩は、夕食の後からずっと、ハンナは遠距離通信用のフォンを使って、何処かに連絡を取っていた。
翌日。マーヴェル家に、家庭教師が来た。勉強を教えるわけではなく、「守りと攻撃に特化した術」を教えるための、魔術の教師だ。
「私は、レジーナ・ローリッチと申します。一般市民に許されている範囲での、『護身術』を教えさせていただきます」
そう言って胸に手を当て、礼をしたのは、黒く長い髪をポニーテールに結った、黒い上着と白いシャツ、そして灰色のアンダースカートの上に黒い襞の多いロングスカートを履いた女性だった。
服の上から見た様子では、体つきは細身で、目元は眼鏡をしており、先日の少女達のように「喧嘩が上手」なようには見えない。
しかし、ハンナがこの人物を、わざわざ呼んだと言う事は、身を守る術に関しての専門知識がある人なのだろう。
そう考えて、カーラは「お願いします」と答えた。
レジーナが教えてくれた事は、体術と言う四肢を使って相手を攻撃する方法に、魔力を絡めた技だった。
対象物を殴ったり、手の平の底で叩いたりする時に、拳や手の平、それから腕と肩に硬化の術をかけて、相手には強い痛みを感じさせ、こちらが腕を壊してしまうようなダメージを受けない方法。
蹴りの動作をするときに、脛や足首や爪先の部分に、やはり同じ術をかけ、脚を壊すダメージを回避する方法。
その他に、自分の周りに、透明な硬い壁のようなものを発生させる方法。魔力で出来た透明な壁、それをレジーナは「結界」と呼んでいた。
「護身以外でこの術を使う事は、法的には禁止されています。『護身』の範囲ですが、相手が襲い掛かってきた場合か、もしくは遠隔からの攻撃を受けた場合にのみ適応されます」
「衣服を脱がされそうになった場合は?」と、カーラは訊ねた。
「それが精神的苦痛を伴う場合なら、この能力を使う事は『護身』と見なされます」と、レジーナは答えた。




