アンねーちゃんとチーズケーキ 1
ガルム少年が十二歳だったある日。
家に帰って来た姉は、珍しく挨拶も無く、リビングのテーブルに紙袋を置くと、お菓子作りの本を持って来て、「ベイクドチーズケーキ」と言うチーズで作ったケーキのページを指し示した。
「ガルム君、私に『誕生日プレゼント何が良い』って言ってたよね?」と、姉は満面の笑顔で言う。「これ作って」と。
「あ。うん。分かったけど……」とガルムは答えてから、「おかえり」と声をかけた。
「あ。うん。そうだね……」と、アンも本のページに指を挟んだまま閉じ、「ただいま」と返事をする。
気まずい空気が流れそうになったが、「それで、そのケーキを作れば良いの?」とガルムは聞いた。
「うん。割とクリームチーズと生クリームが、たっぷりいるみたいなんだけど、材料は全部買って来た」
そう言って、姉はキッチンの作業台にレシピ本を開いたまま置き、さっきの紙袋の所に移動する。
今にも破けそうな紙袋を抱え上げて、キッチンに戻り、チーズケーキに必要な材料を、戸棚の台の上にどんどん置いて行く。
「ストロベリーは何に?」と、ガルムが聞くと、「それを砂糖で煮込んで、ケーキに添えるソースを作ってほしいの。ピューレって言うんだって」と、答えが返ってくる。
「ピューレ……」と呟きながら、少年は作業台の上のお菓子作りの本を読み、「ケーキのほうは材料を混ぜ合わせ続けて、最終的に焼けば良いのか」と納得した。それから、「ピューレの作り方は?」と問う。
「ほとんどジャムと同じだって。粘りの少ないジャムって感じかな」と、姉は口頭で説明する。
「作り方は書いてないの?」
「生憎、レシピは分かんなかった」
「じゃぁ、試し試しで作ってみるよ」
「さすが。じゃ、期待してるね」
そう残して、姉はキッチンから撤退し、自室に着替えを取りに行った。
戸棚の台に乗っていた材料を、確認しながら作業台に映す。
砂糖、生クリーム、クリームチーズ、レモン、ストロベリー、ビスケット、バター、小麦粉、そして卵。
ガルム少年は、レシピ本を観ながら、必要な道具を用意し、材料を混ぜ合わせる順番に置きなおした。
まず、材料をレシピ通りに計量する。レモンは汁を絞り、その量を量った。
最初にビスケット台を作る必要があるらしい。ビスケットをボウルに入れて、分厚い木べらで砕いて砕いて、溶かしたバターを入れて馴染ませ、予めケーキ型に敷き詰めておく。
次に、薪ストーブに火を熾して、オーブンを温める。それから、木べらと泡だて器で、どんどん材料を混ぜて行く。
第一段階はクリームチーズ、砂糖、レモン汁。第二段階は卵と薄力粉。第三段階で生クリームを入れて掻き混ぜ、タネは出来上がり。
それをケーキ型に入れた後、オーブン内の温度を測る。
そんなに熱くない、百七十℃くらいのオーブンの中で約四十五分間焼き続ける。
その間にピューレ作りだ。
ストロベリーはヘタを取って小さくカットし、鍋にグラニュー糖と一緒に入れて水が出るのを待つ。果肉を潰しながら中火にかけ、沸騰させる。沸騰したら弱火にして、とろみがつくまで煮続ける。
煮込んだ後はレモン汁を加え、少し冷めるのを待ってから、おたまで中身をざるに引き上げ、空いているジャム瓶の中に濾す。
ケーキの付け合わせにするのであれば、そんなに量は要らないだろう。だが、姉は張り切っていたらしく、大粒の綺麗な果肉が揃ったストロベリーが十個も入っている袋を買って来ていた。
全部をピューレにするには量が多いので、三粒ほどを「飾り用」に取っておいた。
後は、たぶん何か飲み物を欲しがるだろうから、と予想し、鉄製のポットに水を入れて、薪ストーブのコンロに乗せた。
浴室のシャワーの音が止まり、「美味しいケーキ」を期待している姉の鼻歌が聞こえてくる。
ガルムは、オーブンの内部が、冷めすぎず熱くなりすぎないのを注意しながら、薪や炭を追加して、温度調節をしている。
しばらくすると、オーブンの中からキッチン中に甘い香りが広がってきた。
姉も風呂から上がってきた。部屋着姿で、髪を拭きながら、「わー。良いにおい」と、言って、洗い立ての髪ににおいをつけるようにダイニングに来る。
「冷めるのを待たなきゃならないから、すぐには食べれないよ?」と、ガルム少年は忠告しておいた。
「分かってるって。それじゃぁ、小腹のために……」と、まだ髪の雫が取りきれていない姉は、周りを見回し、ビスケット入れにしている大きな缶を探る。
二枚ほどのビスケットを手に取る。片方は、頭の円い人の形をしていた。
「あ。ジンジャーブレッドマン当たった」と、姉は嬉しそうに言い、「今日は輸入物の紅茶にシナモンとミルクを入れよう」と、細やかな贅沢を決定する。
オーブンの様子を見ている弟を振り返り、姉は「お湯沸いてる?」と聞く。
「沸いてる」と言って、ガルム少年はコンロの上でシュンシュン言い出した、ポットを指差した。
ジンジャーブレッドマンの頭部を口に咥えながら、姉は自分でお茶の用意をする。
料理はほとんど出来ないと言うか、覚える気のない姉ではあるが、紅茶を摂氏何度で淹れて、茶葉の浮き沈みを待ち、どの量だけの混ぜ物をすると言う事には、非常に気を配る。
茶が入る頃には、ジンジャーブレッドマンは腹の辺りまで食われていた。姉の口の周りから、その服と床にビスケットの粉が散っている。
木綿で出来ている柔らかい部屋着は、着実に菓子の粉を受け止めていた。指摘しなかったら、姉はビスケットの粉をつけたまま、寝室まで蟻の餌を運んで行きそうだ。
「ねーちゃん。食いながら移動するの止めたら?」と、弟は注意する。
「れ? らって、りょうれふふぁふぁってるふぁら……」と言ってから、姉は口をもぞもぞ動かし、ジンジャーブレッドマンを足先まで食い尽くした。
ビスケットの粉は、姉の服の胸元に散りばめられた。




