お手紙来てるよ 4
青い海が見える、白い町でのことである。
朝焼けを隠す薄雲がかかっていたと思ったら、日の出と同時頃には千切れ雲が浮かび、昼には青が眩しい晴天となり、昼下がりに向けて気温が上がり、夕方には急に曇って土砂降りが来た。
何とも大忙しな空模様であるが、一日の間の変化として、空を悠々と見上げている暇のある人には、面白い一日だったのではないだろうか。
「スコールが治まったら星が出るかも知れない」と、その暇人は気象観測日記に書く。天を睨み続ける白い髪の彼女は、サングラスで覆った澄んだ青い目を、レンズの下で瞬かせている。
彼女の手元には日記の他にスケッチブックがあり、どの時間にどの方向から太陽が射し、影が自分の真下に来たのは何時だったか等の、メモがされている。
日が暮れてからは、家の中のガス灯の明かりの他に、光魔球を燈し、スケッチブックに何度も星座早見表を重ね合わせながら、その日の黄道が星空のどの位置を通ったかを読んでいた。
「どのくらいずれていそうですか?」と、メイド服姿の赤毛の少女が言う。適温で淹れてから氷で冷やした紅茶のボトルと、ガラスのグラスを手に。
彼女が唯のメイドではない証として、その漆黒の瞳は「霊視」の力を宿して、確実に「霊体しか存在していない女性」の姿を見通している。
ベランダにペタンと座っている、白い髪と黒いワンピースの女性の隣に、魔力持ちのメイドは、トレーに乗せて布のコースターを敷いた冷茶のグラスを置く。
「ありがとう」と言って、天体観察をしている女性は、人間のように冷たいお茶を喉に流し、「うん。すっきり」と呟く。
それから、先の質問に答えた。
「季節的なものなのか、それとも『軌道そのもの』がずれてるのかは、ちょっと読み取りずらいけど、確かに変化してきてる。もうすぐ白夜の季節なのに、日がしっかり沈むし。メリュジーヌの言ってた通り」
そう返す彼女の傍らにメイドは座り込み、「少し、スケッチブックを貸して下さい。それから、その硝子の……えっと……」と、言葉を探す。
「星座早見表?」と、聞かれたほうは意地悪気にニヤつく。
「はい。それです」と、聞いたほうも照れくささにニヤついた。
メイドの娘は、観察者が記録していた太陽の動きと、硝子の板に描かれたこの地方で見える天体の位置を押しなべて見る。
「確かに、例年のこの季節の太陽の位置じゃありませんね。それに、星の位置もおかしくなってるみたいです。北極星が北を指してません」
「確かにそうなんだよ。小熊座の尻尾がね、何回観てもブレてるの」
話し合いをしていると、一匹の蝙蝠のようなものが、くるくる回転しながらベランダの縁にとまった。
「あー。すっごい眩暈する」と言って、ベランダの縁に腰かけた、黒い髪と白い肌の黒い燕尾服の青年は、手袋をした手をその瞼に押し当てる。「セリスティア。どの程度ずれてる?」
「今、それについて話してた」と、白い髪の魔女は言って、自分が算出して描いた「今日の黄道」の図と星座早見表を重ねて、青年に差し出す。
「いや、専門的なものを見せられても分からんよ」
青年はまだ気分が悪そうな様子で言う。「この硝子に描いてある図形は?」と、とりあえずやり取りはしてくれるようだ。
「この、真ん中にあるスプーン型の星が、小熊座。その尻尾が北極星。で、その北極星は、肉眼で見るとほぼ北にあって、全然動かないはずなの」
白い髪の魔女はサクサク説明する。
青年は分からないなりに説明を聞き、「はずなのに?」と聞き返す。言葉の筋から、何か変化があったことは分かっているのだ。
「今の所、小さな小さな楕円を書き始めてる。少しずつ、位置が南にずれて来ている」と、怖い話をするように観察者は答えた。
「それで地面を叩くと酔うのか」と、燕尾服姿の青年は前髪を搔き、愚痴る。「反響魔力がおかしいはずだ」
「磁場にもおかしな所があるんですか?」と、メイドが聞く。青年は答える。「専門用語は知らんが、今まで自分が『こっちが北』だと思って覚えてた流れの方向が、毎日微弱に歪んで行ってる」
「今の所はそのくらいか……」と呟き、白い髪の彼女は気づいたように顔を上げた。「そう言えば、みんなに手紙は渡してくれた?」
「それを伝えに来たんだ。ちゃんと届けた」と言って、彼は上等な子羊の手袋に包まれた手を、ひらりと振ってみせる。そこに、二通の封筒が現れる。
「お返事だ。こっちはアン・セリスティア。こっちはシャニィ・ルーンに」
宛名を見ながら、青年は人差し指と中指で封書を挟み、気取って封書を差し出す。
「私にも?」と言って、シャニィ・ルーン宛ての封書を受け取ったメイドは、大きな漆黒の眼をパチクリさせる。
アン・セリスティアのほうは、受け取って封を開け、内容をざっと読んで「うん」と頷く。
「太陽が真横から照らすようになる前には、何とかなるかも」と、アンは見通しを立てた。
「何とかしてくれよ。大魔法使い」と言って、青年はずっと腰を掛けていたベランダの縁に、革靴の両脚を乗せ、くるりと背を向ける。「それじゃ、帰るわ。お疲れ」
「気を付けてね」と、アンはその背に声をかけた。
「どーも」と答えると、青年の姿は闇に溶けるように小さな蝙蝠の姿に代わり、やはり少しくるくる回転しながら飛んで行った。
蝙蝠の姿が夜の闇の中に消えてから、熱心に手紙を読んでいたメイドは、「ああ!」と、声を上げる。「牛の心臓を冷やしておいたのに!」と言って両頬を覆い、わたわたしている。
「しょうがないよ。ビーフシチューにすれば良い」と、アンは言う。
「アンさんは、心臓入りシチューは、お好きなんですか?」
「得意じゃないけど、腐らせるよりは良いかと」
「そうですよね……。でも、この事は、ちゃんとメリュジーヌ様に『正確に』報告しますから、それについては、アンさんは何も誤魔化さないで下さい」
「口裏合わせるくらいやるよ?」
「いいえ。私の事で、メリュジーヌ様の交友関係に、泥を塗るわけにいきません」
中々に、このメイドの雇用主に対する忠誠心は強いようだ。
「はい。承知しました」と、アンは答えた。
「じゃぁ、これから早速煮込みます。煮詰めるまでどのくらいかかるかな……」と、シャニィは指を折って考え始める。
「出来上がるのは、明日でも大丈夫だと思う」と、アンはアドバイスした。
「そうですね。一日置いたほうが美味しいし」と言って、赤毛のメイドはエプロンを正して、「楽しみにしてて下さい」と言い残すと、キッチンのほうに足音も無く帰って行った。
本当に、不思議な子だよなぁと、アンは思う。
シャニィと言う娘は、まだ十代なのに、家事の手際も良く、他人に気も回せて、料理も洗濯も掃除も「完璧」にやりこなすのだ。
おまけに魔力持ちで、今は雇われている身の上だが、財産を得たら、家事に特化した魔法使いとかを育成して、起業する事も出来るのでは……と、アンのほうが商戦を考えてしまう逸材だ。
世に、掃除を専門にする魔法技術集団が居るんだから、家事を専門にする技術集団が居ても良いだろうなぁと、グリルチーズサンドしか作れない「大魔法使い」は思うのであった。




