21.呪文じゃない言葉
木曜日深夜三時
補給所に戻って来たアンは、フィン・マーヴェルに、エムに起こった事と次第を話した。
マーヴェルは、「『大天使』って言うものが、エム・カルバンに憑りついているって事か?」と、問い質す。
「正確には、摘出された魂に力が宿ってるの。エムの体を壊しても、転写を行なえばいくらでも別の器を用意できる」と、アンは菓子パンを食べる合間に言う。
「この事は、ニュースブックには書かないでね。出来るだけ早急に、何とかするから」
アンが曖昧な事を言うのを、マーヴェルは少し訝しい気持ちで受け取った。
「分かった。だけど、『何とか出来る』ための手立てはあるのか?」
そう尋ねると、アンは口をもぐもぐさせながら頷く。パンを飲み込んでから、「それも、説明は出来ないけど、何とかする事は出来る」と、やはり曖昧な事を言う。
「一時間だけ眠らせて。それから……マーヴェルさんは、『状態回復』以外の回復方法は使える?」
「『保存』と『浄化』と『祓い』なら使える」と、フィンは答える。
「じゃぁ、私に『祓い』をかけて」とアンが言うと、「一時的に魔力が使えなくなるぞ」と、マーヴェルから注意を受けた。
「それで良いの。一時間は眠ってるだけだし」
そう言いながら、アンは蜂蜜を含んだパンをお茶で飲み下した。
「短時間で集中的に効くようにしておく」と言って、マーヴェルは片手をアンの額にかざし、術を送り込む。
マーヴェルの手の平から、微熱を冷ますような涼風を受けて、アンは「祓い」が起動した事を知った。
念のために箒を掴んでみたが、魔力の感触は分からなくなっている。
「よし。時間が惜しい」と言って、アンはランスロットの宿ったペンダントを持ったまま、ベッドの備えてある仮眠室に急いだ。
セピア色の空間に、アンそっくりの小さな人形が寝かせられていた。小さなとは言っても、三歳児程度の大きさはある。球体間接人形と言う、手足が動かせるタイプの人形だ。
黒い衣服から、首と喉、そして胸元が露出している。ランスロットはその人形の真正面にしゃがみ込み、デコルテの中央部分に霊符を貼った。
人形は爆発するように砕けた。その内側には、三歳の姿のアンが居る。白い前髪の下で、ゆっくり瞼を開く。青く透明な瞳が、ランスロットを見つめ返す。
「この意識を取り戻すのは、十四年ぶり」と言いながら、アンは体を起こす。「初めまして。ラム・ランスロット」
「ようやく普通に呼んだな」と、ランスロットは返す。「それじゃ、処置を始めるぞ」と言って、アンの額に、別の霊符を貼った。
「うん。しばらく、言葉でも説明して良いかな。意識のレベルによっては、解析できない部分もあると思う」と言って、青い目のアンは目を閉じ、話を始めた。
朱緋眼を持つ前のアンは、生れながら強い魔力に恵まれていた。
だが、人間としての躾を受ける時、それをコントロールすることは出来なかった。怒られたショックで泣き叫ぶと、彼女の身の周りに在った物がしばしば壊れた。
時計が逆回転を始めると言うのはまだ良いほうだ。小物や本や花瓶や額に入った写真等が独りでに動き、渦を巻いて空中を飛び回る事もあった。
両親は、成長すれば魔力もコントロールできると考えた。
三歳になるまでの三年間を入念に育児に費やしたが、一次反抗期を迎えたアンが癇癪を起すようになると、彼等はすっかり諦めてしまった。
荒れ果てた家の中から、自分達の身の回りの荷物だけを持って去る時、「これからは、好きなように生きなさい」と言い残して、玄関の鍵を閉めた。
親は居なくてもお腹は減る。キッチンには食料があると知っていた彼女は、手の届く範囲の色んな物を食べて飢えを凌いだ。
最初は保存棚の中に在ったパンや、燻製肉など、比較的まともな物を食べていたが、調味料棚から砂糖を取り出して口に運ぶ時もあった。
家の鍵を開けるのは、「怖い事」だと教えられていた。鍵を開けると、他人が家の中に入って来て、住人に対して悪い事をするのだと。
アンはその教育から、自力で家の鍵を開けるのを拒んだ。
会話をする者もおらず、育ちかけていた言語能力は次第に失われて行った。
食料を粗方食べつくしてしまった後、生き延びる方法として、魔力を使うようになった。
アンが「喉が渇いた」と思うと、部屋の中に在ったコップに透明な水が満たされた。「お腹が減った」と思うと、ダイニングのテーブルに置いた皿にパンが現れた。
「体が痒い」と思うと、衣服が脱げて、風呂の方から湯気の香りがするようになった。
最低限、アンが覚えて居れば良い事は、風呂に入って体を洗う事と、お腹が痛くなったらトイレに行くことくらいだった。
服の着替え方は覚えていたが、上手く服を着るには時間がかかった。
ボタンを掛け違えていても、誰も注意しないし、アンも「寒くなければ良いや」と思っていた。
長く身に着けていて、衣服の肌触りが悪くなると、着ていた服を脱いで、家の中に残っていたタオルや、古びた両親の服を、新しく体に巻き付けた。
汚れてしまったほうの服をどうすれば良いかは分からなかったが、当時のお気に入りだった服だけは、日光の差す床に干しておくと、いつの間にか綺麗になっていた。
家の中と言う小さな世界で二年間生き延びた後、アンは児童福祉団体に保護された。
離婚をする事にした両親が、「以前生れた子供はどうしたのだ」と、公的機関と夫々の両親に問い詰められ、家の中に閉じ込めて育児放棄して来たと話したのだ。
「あの子は、普通の子供じゃないんです。一人で生きてても、生きて行けます」と両親は言ったが、何処が普通の子供じゃないのかは口を割らなかった。
アンは保護施設で暮らす間も、一人きりで生きていた時と同じように生活しようとした。
そこから、魔力の保有が発覚して、それに応じた別の施設に移送された。
その後に、施設を全壊させ、町を壊滅させると言う事故を起こした。
「事故の時の事は、私の意識には存在しないの。たぶん、吸収された贄達が知ってるよ」と、自分に術を施しているランスロットに、幼い姿のアンは言う。
「彼等と話をする時は、絶対に言っちゃならない言葉があるから、気を付けてね。呪文とかじゃないけど」
「その言葉って言うのは?」と、ランスロットは聞く。
「『死後』とか、『生前』って言う言葉。彼等は自分達の体がもう無い事を自覚してないんだ。それで、死んでるって説き伏せようとすると、パニックを起こす」
アンはそう答えて、額に貼られた霊符をちょっと摘み上げ、空間に座ってる自分を見下ろしているランスロットと視線を合わせた。
「貴方も、『お前はもう死んだんだ』なんて言われて、この世界から消える事を望まれたら、嫌でしょ?」
霊体としてしか存在していないランスロットにとっては、アンのその言葉は納得の出来るものだった。
「確かに、呪文より理解はしやすい」と言ってから、術の操作を変えた。「後は、二回の『吸収』の時に、どう魔力構造が変化したかだな」




