お手紙来てるよ 2
ネイルズ地方は、クオリムファルンの政府が、独自自治権を認めている土地である。
かつては、クオリムファルンを取り仕切る王家の領土とされたが、ネイルズ地方自治組織とクオリムファルン政府の、話し合いによる平和的解決方法で、自治権を獲得した。
自治権を得てから、ネイルズ地方の人々は、「他所の国の王家に従った覚えはない」と主張し、自分達の自治区の本来の名として、エイデール国を名乗るようになった。
そんなエイデール国の北に、深い森林地帯の後、岩山の続く場所がある。その岩山の最北端は、頂を平らに削られた高山が存在する。
森林地帯の手前には湿地帯が在り、本来の雨期である一月から四月の間にたっぷりの降水を得ると、晴れ間の見えるようになる五月の頃に、様々な花が咲く。
多種多様な花が咲くが、どれも盛りを過ぎて散る時は、真っ黒に変色して割れるように砕け散る。その時、花を作り出す物質が硝子質に変質する事もある。
邪気の存在しない土地であるため、魔術的にも謎の現象であるとされ、今でも各所の研究機関で、その現象についての研究がなされている。
そんな謎の現象にちなんだその湿地帯の名は、黒散原野。
その黒散原野の先に、ちょっと変わった岩山がある。入り口は狭く、内部は広い洞窟を備えた、凸凹した岩に守られている、「隠れ住む」には打って付けの山だ。
洞窟の中には光魔球が燈り、多数の人間の子供達と、多数の大きな蜂の頭と蜘蛛の腹を持った魔獣、それから二名の大人の人間が住んでいる。
ある昼下がり、お下がりの服が擦り切れて来て、あちこちほつれたり、膝が破け落ちそうになったりしている子供達に、リネンの布で作ったシャツとズボンが与えられていた。
「ノリス。これ、表はどっち?」と、襟の円いシャツを被ったまま、子供の一人が聞く。
「首にタグが付いてるほうが後ろ」と、子供達を着替えさせている大人の一人、亜麻色の髪と灰色の瞳の女性が言う。
「霊媒さん。ニナが新しいズボン履けないって」と、別の子供の着替えを手伝っていた、年上の子供が助けを呼ぶ。
「ニナは新しいのは着なくて良いの」と、霊媒と呼ばれた黒髪の女性が答える。
「でも、着ようとしてる」と、助けを呼んだ子は他人事のように言って、問題の子がいる場所を指差す。
ニナと呼ばれている白っぽい茶色の髪の男の子は、リネンのズボンを足先に引っ掛けて、尻もちをついていた。その周りには、反・ニナの子供達が群がっている。
「何してるの?」と厳しい声で言って、霊媒は円陣を組んでいる子供達を、上から見下ろす。
見つかってしまった子供達は、「だって、ニナが……」とか、「一人で着替えられるって言うから」とか、ブツブツ言う。
ニナは推定年齢では八歳を迎えるが、それまでの暮らしで練習する機会が無かったため、片足ずつで立ってズボンに両脚を潜すと言うのが、まだ一人ではできないのだ。
「ニナにはまだ練習が必要なの」と言って、霊媒は手の指示で子供達を散らす。そして、ニナに向かって「貴方も、まだ自分は出来ないことがあるんだって、認識して」と説き伏せた。
大忙しが終わってから、ノリスは日課として水晶版を操り、情報を読んだ。
返信のボタンが光っている。送り主は、オリュンポスユニバーシティのガンド教授だ。
「親愛なるノリス・エマーソン。君の興味深い提案に対しては、我々も意欲的に議論し、実験データを蓄積している。三月に行われたマウスによる研究結果を伝えよう。
身体的不調で意識を失っていたマウスに関しては、概ね回復の様子が見られた。しかし、霊的不調で意識を失っているマウスに対しては、君の提案した方法では効果が無かったと言える。
意識を取り戻させる効果ではなく、その後の健康な生活に対しての効果だ。もっと簡単に書こう。あの方法では、霊的に意識を失くしている者の意識を覚ましても、無気力なゾンビと化すだけだった。
霊的な不調に陥って意識を失っていたマウス達は、目覚めても体を動かす事も出来ず、生命を維持するための行動は一切行えなかった。
これを人間に適用してしまったらと考えると、私は恐ろしい。霊的に異常がある肉体の意識を覚ましても、本来の生命体としての行動はほぼ不可能だろう」
そこまでを読んで、ノリスは一息息をついてから、舌なめずりをした。霊体に異常がある状態の人間にあの術を使ってはならない、その情報を得ただけでも、進展はあったと言う事だ。
ノリスは水晶版を操作し、お礼と共に「もう一つの提案」を書いた返信をしたため始めた。
遠い東の果ての島国の街では、石造りの新しい建物がたくさん作られている。見かけだけの石造りだが。
その国で度々起こる地震と言う現象に対して、石造りの家は脆いと言う事が分かっているので、表面は石のタイルを使っているが、内部は歪みに強い鉄の棒を網のように通し、コンクリートで固めていた。
娘達の新しい服を買うために、センド家の住人達は自家用車に乗って、シャンデリアが燈るデパートメントストアに出かけた。
ササヤとサクヤは、お互いの服を選び、夫々のコーディネートがどうだとか、辛口の意見を言い合っている。
ヤイロはその様子を微笑みながら見ていて、時々執事に何か囁いた。
やがて、お昼の時間になり、一家はデパートメントストアのレストラン街に出向いた。
おしゃべりをしながら食事を楽しんでいると、ふと、手袋をした誰かの手によって、ササヤの席に封書が置かれた。
ササヤが「配達人」のほうを見る時は、その人影は光の粉になって消えて行く所だった。
娘の様子をよく見て居たヤイロは、傍らに控えていた執事に囁き、執事は「ササヤ様。いかがされましたか?」と、お嬢様に聞く。
ササヤは、自分の手の横に置かれた封書を持ち上げ、表の宛名に「アンバーへ」とだけ書かれているのを見て、目を見張った。
ササヤとサクヤにしか見えない「不思議な手紙」を受け取ってから、ササヤはずっと落ち着かない様子だ。
サクヤは、あの「手紙」の中に何が書いてあったのかを、ササヤに訊ねた。だが、ササヤは「サクヤは、ヤイロ父さんの研究に協力して」と言う。「あの手紙の事は、私に任せて」と。
ササヤは、ヤイロにはこう告げた。
「私を、アンバーって呼ぶ人から、連絡が来た」
それを聞くと、ヤイロは静かに一つ頷いて、「サクヤの事は、心配せずに」と、サクヤの双子の姉に言い聞かせた。「絶対に、無理はしないように。どんな時でも、君達には逃げ込める場所があるのだからね」
ササヤは口元に笑みを浮かべ、長いサイドの髪を耳に掛けた。
「出陣の時は、新しいワンピースを着て行く。それから、茶色の皮の靴を履いて、髪を押さえるのに、ブロンズのカチューシャをする。それから」
ササヤは着ていたワンピースのポケットを探ると、その中から結紐で作ったブレスレットを取り出した。
「サクヤに、これを渡してあげて。私が暫く居なくても、悪い邪気から身を守れる」
ヤイロはビーズの付いたその結紐を受け取り、「きっと、帰ってくるんだよ?」と言って、娘の肩を優しく抱きしめた。




