30.レールの上
分裂体が持ってきた情報を受け取ったバニアリーモは、複数ある意識の中で情報を融合させ、情報網の中に、「王の目」が起こした異常を行き渡らせた。
ユニソーム達に対しては一向に無関心な、あの「理性の王」に、何が起こったのか。
「バニアリーモ。姫の『お出かけ先』は?」と、カウサールが聞いてきた。
「南の森の、小さな月型湖の傍らだ。今は、姫本人の意思で、こっちに戻ってきている最中だな」と、バニアリーモは言う。「エムツーは、姫にフラれてしまってご傷心のようだ」
それを聞いて、カウサールは呆れたように笑い声を抑える。
「旅から戻って『ようやくまとも』な状態になったのに、更に少年の勝手で引っ張り回されたら、姫も怒る。人間が忍耐力を持つには、体力と気力の余裕が必要だからな」
「サブターナの、今後の暮らしはどうする? 彼女としては、『管だらけ』も容認できるようだが」と、バニアリーモ。
「もう、赤ん坊扱いも必要あるまい。彼女も八歳だ」と、カウサール。「サブターナはサリアを気に入っている。彼女達を共同生活をさせてみよう。女性としても変化があるかも知れない」
「サブターナも、心構えとしては、十分に愛情深い娘だが?」
バニアリーモがそう聞くと、カウサールは、「心は在っても、どう表現するかを学ぶ必要がある」と返す。
「承知したよ。同胞。しかし」と、バニアリーモは話を変える。「『王の目』の様子だが、伝聞だけで想像できる状態ではなかった。まるで、かつてのノスラウのようだったよ」
それを聞いて、カウサールは沈黙した。彼等は生物の機能として、ショックは受けない。与えられた情報から、何かを思考しているようだ。
「『理性の王』が、『ノスラウ』に?」と、カウサールは確認する。
「動機の根源は不明だが、王の目が『食欲』と言う感覚を持っているとするなら、そのようなものを見せていた。これを見てくれ」
そう言うと同時に、バニアリーモの触手の一つが、透明な箱状の空間を指す。其処に色彩の付いた光が集まり、黒い闇の中に金色の虹彩と縦に長い赤い瞳孔を見せる。
泥沼の中で唸るように、「アダム」と唱える声も再生された。
カウサールは応える。
「なるほど。まさしく、『ノスラウの如く』だな。しかし、私にはどうも、恐怖に基づいた食欲には思えない。その点では、王の目は『非ノスラウ』だ」
そう言ってから、こう続けた。
「放浪者の妻を石化から解除した力を、知っているか?」
「『削除能力』だろう?」と、ユニソームの声がする。「そして、何の話だ?」
カウサールは、説明するより先に、触手の一本で「箱」を示した。立体映像で再現された「王の目」は、まだ其処にある。
「エムツーが我々に疑問を持つようになった原因だ」と、カウサール。
ユニソームは興味深げに目玉を伸ばし、鬼気迫ると言う風な「王の目」を凝視する。
それを確認するような間をおいてから、カウサールが言う。
「『王の目』が、エムツーに対して何かを欲しているとすれば、先日彼が使い方を覚えた能力だろうな。我々には扱えない型の力だ。エムツーの今の状況は?」
「打ちひしがれるのをやめた所だ。最寄りの村に向かおうとしている。彼をこれからどうする?」と、バニアリーモ。
「『逃亡生活』を送ってもらおう。知恵を使える、より強い個体として成長させるために」と、カウサール。
「時々、『敵』を送り込むか」と、ユニソーム。
「それも面白い」と、カウサール。「彼のレベルに応じた、相応しい敵を用意しよう」
「相応しいと言うのは、どのような敵だ?」と、バニアリーモ。
「最初は、ごく弱い敵を与える。そして、戦闘技術や能力の発達度合に応じて、『なんとか始末できる敵』を送り込む。少しずつ育てて行けば良い」
カウサールはそう言って、触手を伸ばし、透明な箱の中の粒子をエムツーの姿に変えた。
エムツーは再び一ヶ月弱をかけてメルヘスの家に戻った。サブターナを連れて来れなかった理由を話すと、「サブターナが自分の意思で『城に留まる事』を選んだなら、仕方ない」と、メルヘスに言われた。
エムツーは、自分が居なくなってもサブターナは殺されないだろうか、これから何を目的に過ごして行けば良いのかと、口にした。
メルヘスは「お前が生きていればサブターナも殺されない」と励ましてくれて、「身の振り方を考えるより、少し落ち着け」と言って、ココアを用意してくれた。
細かいココアの粉末と砂糖を、少量の湯で練ってペーストにした後、たっぷりの湯で引き延ばし、牛乳で割る。
「火傷しないように飲めよ」と言って、メルヘスはカップをエムツーに手渡す。
お礼を言ってココアを飲んでいるうちに、心の中に何かが蓄積して行くような気がした。そして最終的に、「サブターナと何時でも一緒で居なきゃいけい時期は、過ぎたんだ」と言う結論に落ち着いた。
食い扶持を稼いで、世界の事を学んで、あの「王の目」から身を守れるようになるには……と考えて、エムツーはメルヘスに相談した。どんな方法で、生活してくための資金を得ることができるだろうと。
「お前、『変形』の力が使えるよな?」と、メルヘスは聞いてくる。「それから……サッシェ……俺の妻の事だけど、あいつを治した『回復術』があれば、治療師として生活できるんじゃないか?」
「住む場所は無くて良いかな?」と、エムツーは聞く。「なるべく、一ヶ所に居たくないんだ」
「それなら……。治癒術師のギルドに登録して、色んな所を旅しながら『治療師』として働けば良いんじゃないか? ギルドの保証によっては、仕事と一緒に、寝泊まりする場所も提供してもらえる」
そんなに便利な社会システムがあったなんてと、エムツーは目を丸くした。
「それって、子供でも登録できるの?」
「出来るさ。能力と、分別があればね」
メルヘスからそう聞かされ、エムツーは俄然とやる気が出てきた。
この後、エムツーは十三歳になるまでの五年間を、治癒術師としての仕事をしながら放浪して暮らすことになる。
緋色の瞳の双子はこの後も、敷かれたレールの上を歩いてくことになるが、それでも彼等は幸福だろう。自分の選んだ世界だと信じる場所で、息をしている限り。




