20.静かな炎
木曜日深夜三時
ボーガンから放たれた矢が、邪気を発している照明を貫く。
バチバチと音を立てながら、破壊された電灯は瞬き、発光をやめて煙を発すると、機能を停止した。
地下に潜ってから一枚目の「浄化」の霊符を使い、ガーランドは邪霊吸引機の可動熱を冷ます。吸い込みの弱くなっていた吸引機は、正常な力を取り戻して、更にぎゅんぎゅんと邪気を吸い込み始める。
「だいぶ根が深いな」と言って、ボディバッグを閉じたガーランドは足元に置いていたランタンを持ち上げ、下水道の通路を照らし出す。
壁一面と言って良いほど広がった、木の根と言うよりカビか苔の塊に似た黒い根が、ランタンの光を嫌って虫のように暗がりに逃げる。
「ギナ。矢の数は足りるか?」と、ガーランドは相棒に尋ねた。
「百本とは言えない。七十と少しだ」と言って、ギナ・ライプニッツは担ぎ慣れた様子の弓の束から、一本を引き抜く。次の的に近づくまでに、ボーガンに矢をつがえ、魔力を練る。
「カツカツなのはお互い様だな」と、ガーランドは言って、ボディバッグを叩いて見せる。「『浄化』の霊符も、残りが少ない。五時間は掛けてられない」
「作業は素早く」と、ライプニッツは言って、シェル・ガーランドの肩を軽く叩く。
「分かってる」と返し、ガーランドはランタンの明かりを頼りに歩を進めた。下水道の各所に点在する電光を探して。
木曜日深夜三時十分
一つの実を食べるごとに、少しずつ体が育って行くような気がした。甘くて喉を潤し、お腹の満ちるものとして、少女は赤い実を食べ続ける。
芯を地面に投げ捨てるのは、既に習慣になっていた。
投げ落とされた林檎の芯は、形を変形して、地面で蛇や虫のような邪霊と化す。
七歳ほどの姿になった彼女を満足げに眺めながら、半蛇の女性は自分も果実を食べていた。幾つめかの芯をはるか下の地面に投げ捨て、「ターナ」と、少女に呼びかけた。
少女は、夢中で果実をむさぼりながら、視線だけを女性のほうに向ける。
「アダムが挨拶に来るわ。少し、食べるのをやめなさい」
ターナは果汁でべとべとの口元を手の甲で拭い、自分が齧っていた実を地面に投げ捨てた。新しい果実をもぎ取り、何処から「未来の夫」が来るのかを、見回した。
ごう、と言う風の唸りと共に、天空から大きな光が近づいてくる。
それは人の形をしていて、ターナ達の前に来る時には、目立たないくらいに減光した。
ターナよりだいぶ背の高いお兄ちゃんだ。光る翼と、光る衣を身に付けている。
「リヤ」と、その男の人は、まず半蛇の女性に声をかけ、親愛の抱擁をした。「育児をありがとう」と言って。
「私の役目ですもの」と、女性は片腕で抱擁を返す。「それより、目覚ましい成績よ。『大天使』から力を得なくても、木の実だけで四年分も成長した」
「へぇ。どんな木の実?」と、アダムは聞き、ターナのほうに目を向ける。
ターナは、アダムの視線に触れるのが嬉しいような恥ずかしいような気持ちで、両手で赤い果実を差し出した。
「林檎か。確かに、僕達にはぴったりだね」と言って、アダムはターナの、生れてから一度も洗っていない長い髪を撫でる。ターナが生まれ出でたのも、ほんの三十分ほど前の事だが。
「貴女が、アダム?」と、ターナは確認した。
「そうだよ。君の名前は?」と、アダムは優しそうに聞いてくる。朱に近い綺麗な緋色の瞳を笑ませて。
「ターナ」と、少女は答え、おぼつかなく説明した。「私、いつか、『イブ』になって、貴方を夫にするの」
「うん。そうだね」と、アダムは優しく答えた。「僕も、いつか『イブ』になった君を迎えに来るよ。その時に、君に与える力を、これから持ってくるから」
「ちから?」と、ターナは聞き返す。
「そう。僕と同じように、空を飛べて、不思議なことが起こせる、とっても強い力。
君のために用意してたものを、悪い人達に持って行かれちゃったんだ。だから、それを取り返してくる」と声をかけ、アダムはもう一度ターナの髪をなでると、「それまで待っててね。リヤの言う事をよく聞いて」と付け加え、巨樹の上を去ろうとした。
「待って」と、ターナは声をかけた。「木の実……。林檎、食べて行って。とっても美味しいの」
それを聞いて、アダムは少し困った顔をした。そして、「リヤに、そうしろって言われたの?」と聞いた。
ターナは頷く。
リヤも、優しい声で「ターナ」と呼びかける。「アダムに林檎を勧めるのは、貴女が『イブ』になってからよ?」
ターナはしばらく考えてから、「そう言うものなの?」と、リヤに聞き返した。
リヤは「そう言うものなの。まず、貴女はたくさん食べて、体を成長させなきゃならない。大丈夫。その間に、アダムは貴女に着せる『服』を取って来てくれるから」と答え、視線をアダムに向けた。
アダムは、瞼を閉じ、頷いて見せる。
「それじゃぁ、行ってくるよ。ターナ、リヤ。人間達が『エデンの木』を枯らそうとしてるから、気を付けてね」
そう言葉を残して、アダムは樹の上から、空のほうに舞い上がった。
地上の清掃を続けているモニカ・ロラン達の所にも、「アン・セリスティアが東地区の補給所に戻った」と言う情報がニュースブックで届いた。
担当である西地区に辿り着いた彼女達も、所々にある巨樹の根に手を焼いていた所だった。
張りつめていた緊張感が、何処となく緩む。
「気を緩めない! ドラグーンの局員に甘えるな!」
皆の緊張が途切れそうになったのに気付いて、ロランは声を飛ばす。
「その通りだ」と、遠距離の通信でワルターの声が聞こえる。
「アン・セリスティアはしばらく動けない。まずは、シェル・ガーランドとギナ・ライプニッツの『帰り道』や『抜け道』を確保しておくように。
邪気を払いながら、地下へ侵入可能なエリアを拡大せよ。アン・セリスティアには、北地区の大掃除を頼んでおく」
それを聞いて、作業を続けていた者達も、休憩を取っていた者達も、「北地区の事は考えなくて良い」と言う余裕を得て、気合を入れなおした。
その様子を横目で見て、ロランは「頼りになると言うか、他人を甘えさせると言うか」と、ドラグーン清掃局の名を少し恨んだ。
ナズナ・メルヴィルを含む、ウルフアイ清掃局の一部の清掃員達は、電気配管の撤去が済んでいる南地区に到着した。
此処には、大きな根は届いておらず、気分を陰鬱にさせる煙状の邪気が漂っているだけだ。
建造物はまだどっしりと構え、浸食による劣化も、ほとんど起こしていない。これから此処に、「災いの種」を呼び込まなければならないと思うと、気が引けるくらいだ。
メルヴィルは「通信」を起動して、ワルターに呼びかける。
「所定の位置に着きました。これから布陣を敷きます」
「了解。速やかに行動せよ」と、指示が戻ってくる。
「了解」と応えて、ナズナは他の局員達とアイサインをし、頷いた。




