25.愛してるぜ相棒
最短距離の麓からでも三日かかる神殿までの旅は、斜め横からの緩やかな斜面をゆっくり進んでいると、実に七日を要した。
食料と水が無くなったら城に引き返せと言われていたが、元素精霊の力を得た事で、綺麗な水には困らなくなった。
空っぽになった水筒を両手で持って、ポンポンとその側面を叩くと、見る間に清潔な水が水筒から溢れてきた。
そして食べ物であるが、食べられる木の実が生るタイプの木々に、土龍の力を込めた手で触れると、木の中にエネルギーが送られ、果実が実る。
植物の性質を知っていると奇妙な事に思えた。木の実が実るのは、本来、捕食者に種を運ばせるためのシステムである。
花が咲いて枯れるのは目にしたが、どうやって受粉しているんだろう……と、サブターナは考えた。
後でサリアに質問した時に分かる事だが、大体の花と言うのは咲く時、既に雌しべと雄しべが触れあっており、開花と同時に自動的に受粉されているのだ。
人間が果樹園で筆を使って、果実の受粉を積極的に行うのは、開花の時の受粉ミスが起こったり、実の成り具合が偏ってしまったりしないための生産者の知恵である、と。
七日の旅の間、三日間は確実に水と野生の果物しか食べてなかったサブターナとサリアは、若干スリムになって、若干夫々の鎧を重いと思うようになって、常にお腹の虫が鳴ってしまうのを気にしながら、山頂に辿り着いた。
支柱が数本倒れている有様は変わらないが、神殿の中には女神像がある。両の腕を、すらりと空に掲げた女神像が。
サブターナが、彫像の美しさに目を奪われながら、その前に進み出ると、女神像の両手の先に、青白い炎が燈った。
まるで雷を集めて凝縮し、そのエネルギーをプラズマ状に安定させたような、不思議な炎だった。
「幼子よ。永久の火は戻った」と、神殿中に女神の声が響く。
サブターナは、朱緋色の目に光を宿し、口元をほころばせた。女神の言葉に応えるように、頷く。
女神は言う。
「汝の禁を解こう。呼ぶが良い。『力よ、これへ』と」
サブターナは、女神像と同じように、空へ向けて両手を伸ばし、「力よ、これへ」と唱えた。
実に数週間ぶりに聞く自分の声は、美しくも無ければ凛ともしていない、子供っぽい、やけに情熱のこもった声だった。
しかし、サリアは世界で最高の美声を聞いたように、目を見張った。
サブターナのかざした両手の間に、女神像の物と同じ、元素精霊のエネルギーが燈る。それは小さな龍の姿を取り、宙でくるりと舞うと、革の鎧に包まれたサブターナの胸の中に吸い込まれた。
今まで費やしてきた「全力」が、全て帰ってきたような。魂が満ちると言う事は、こう言う事なのだと語りたくなるような不思議な充足感が、サブターナの身を包んだ。
両目から涙がこぼれた。さっきまで「バイバイ」は簡単だと思っていた、感傷と感情、縋りつきたくなるような願いと思い入れ、そんな些末なもの達で心が溢れてくる。
きっと、愛情と言うのはこう言うものを言うんだ。大好きだ。みんな、みんな、大好きだ。
私はワガママかもしれない。利己的かもしれない。不完全で、未熟で、治さなきゃならない所だらけだ。だけど、命が空っぽになるほど力を尽くせば、一滴の思いでも実るんだ。ほんの一滴の、小さな思いでも。
サブターナは、それ以外は言語化できないほどの、強い力を感じ取り、それを我が身に吸収した。それは不思議な「悟り」だった。
力の集中が、体を抜けて、鞄のほうに移動した。そこで水龍の言葉を思い出したサブターナは、マァリから預かっていた「契約手帳」を取り出し、ページを開いた。
そこに、何が書いてあるのかはさっぱり分からないが、不思議な輪郭を持った図形か文字のようなものが焼き付けられている。
精霊達の使う、一種の印なのかもしれない、と納得しておいた。
異国のお坊さんは、敢えて生命維持が難しい場所に行ったり、体力的に辛い状態に成ったりしながら、世の苦難について考えると言う修業をするらしい。
そんなのと同じなのかなーと、感情の興奮が治まった後のサブターナは、サリアと手をつないで帰路に就きながら思った。
ようやくおしゃべりが出来るようになったので、サリアを相手に色んな事を話した。
果実が勝手に実る事についての謎解きや、水筒を泉に出来る手品が使えるようになったと言う冗談、それから、元素精霊の力を使ったらどんな事が出来るのかを、マァリと一緒に調べるんだと言う目標を。
蘇生術を覚えたかっただけのサブターナの知識欲は、もう別の気持ちに代わっている。
この力を使って不思議な事を起こして、「これが神の御業です」なんて唱えたら、聖人に成れちゃうかもなと言う、ちょっとした悪ふざけも考えるだけ考えた。
だが、今の世界でそんな事をしたら、聖人になるどころか、「人心を惑わす魔女だ」と言われて、処刑されてしまう事も知っている。
私はいずれ「イブ」にならなきゃならない。その時、今の世の中にある世界を選ばせてもらえないんだったら、エデンではとっても苦労する事になるかも知れない。
魔神も生きられるエデンを作って、其処で生きられる人間の祖となるために、私とエムツーは居るんだ。
針仕事を習ったのは正解だったかな。何かの素材で、生地と、「糸を通した針」を用意できれば、色んな物が作れる。
私とエムツーの間に作る子供は三人。全部男の子の予定。名前は、アベルと、カインと、セト。
セトの子孫は神の大洪水を生き延びて、いずれの世界に善き人類を残すことになる。
それが全部決まっている事だとしても、私達は、せめて、私だけは、三人の子を、等しく愛そう。
子供達の運命を知っていても、それが、生れる前から決まっていた事だとしても、区別も差別もする必要はない。全ては太陽と月と精霊と共に。
その鼓動を知る事で、世界が生きている事を確認できる。世界は、常に蠢き、拍動し、創り出し、滅ぼし、全てを循環させる。
大きな流れは、私達を包み込む。永久の火は、二度と消えないだろう。私と、私の子供達が生き続ける限り、二度と。
まだまだ、注意して様子を見てあげなきゃならない、八歳の「アダム君」は、今頃、家で退屈してるかな? 今回の旅のお話は、どんな風に教えてあげようか。それとも、教えられないかな。私の言葉が、まだ未熟だから。
ねぇ、未来の夫君? 君の奥さんは、自分が子供だって分かるくらい、随分と大人になってしまいましたよ。君が、何時までも頭が八歳の旦那様だったら、嫌いに成っちゃうかもしれないよ?
どうか、私に、「アイシテイマス」なんて言葉を言わせてみせてよ。
そして私は、一番大事な人を知っている。一番肝心で、一番しっかりしてて、一番の私の味方。
私は、その私を、愛そう。
神殿最寄りの麓から、森林地帯の遠くに見える城に近づいて行く、月が燈るまでの半日の旅が、サブターナの記憶の中で、ひどく懐かしく、ひどく愛しいものと成った。




