23.荒馬を乗りこなせ
水から上がるように、影の中から姿を現したサリアは、床に倒れ意識を失っていた。サブターナはようやく燭台から剣を離し、サリアに駆け寄って、首の脈に触れる。鼓動はある。息は……止まっている。
サブターナの瞳に、涙を伴う怒りが浮かぶ。一度床に置いた剣を手に取り、怒りに全身を震わせながら、再び燭台共の所に、足を引きずる。
呼吸を荒げ刃を振りかざす、少女の姿をした鬼神の体から、轟音を伴う冷風と、強力な緋色の魔力が放たれる。
「待って! 脈はあるだろ! 風の力と、水の力! その二つで、元に戻せる!」と、もうパニック状態の燭台達は叫ぶ。「その二つの力で!」
――お前達は。
サブターナの念話を聞いて、燭台達は震えあがった。
――人を騙すだろう?
その言葉と同時に、サブターナ三つ残っていたうちの二つの燭台の蝋燭を切り刻んだ。
最後の一個の燭台は、「うわぁあああああああ!」と悲鳴を上げ、刃を突き付けられたときに声を止めた。残った燈火は、サブターナの意図を察した。
「分かった! 僕が治す! 治すから!」
サリアが、青ざめた顔をしたまま瞳を開けた。呼吸も鼓動も正常に戻っている。後は、体力が戻るのを待つだけだ。
坑道の出入り口まで戻り、外が深夜になっているのを確認した。
灯蛍の明かりを頼りに、この大忙しの中でも「散々な事」には成らなかった、数少ない食料をサリアと分け合った。
長く日の持たない物から食べていたので、普段から柔らかいものしか食べていなかったサブターナが食べられる食料は、ビスケットや飴玉、そしてお湯に溶いたココアだけになって来ている。それでも、胃袋が空っぽの時に口にする物は、何でも美味しかった。ようやく、極度の表情の引き釣りや、指が震えるほどの怒りから解放され、サリアが用意してくれたココアを飲んで笑顔を浮かべた。
「サブターナ」と、サリアは呼びかけてくる。「それで、魔物って言うのは、何だったの?」
サブターナは、それを退治した証を、ポケットから取り出した。火の消えた、蝋燭の欠片を。
随分ぐっすりと眠って起きると、朝の光が東側の頂の向こうから射してくる所だった。
サリアと一緒に毛布にくるまっていたサブターナは、傍らの仲間を起こさないように、廃道の外に出た。そして、朝陽が登る所を目にし、綺麗だと思った。
遠くから、透明な水龍が虹を渡すように姿を現した。それを見ていると、ドゥーマーの廃坑の前で、水龍は水の髪を持った小人の姿に戻る。
「おかえりなさい」と、少女は優しく話しかけてくる。「あの子達ったら、永久の火が消えてから、好き放題やってたの。挑戦者が来ても、私を宮に入れないくらいにね」
そう言って、小人はすっかり気配の消えた鉱山の入り口を振り返る。そこを見ても、もう括られていた魂達は消滅している。水の髪を持つ少女は続けた。
「だから、貴女がやったことは何も悪くない。時には、信じないことも大切なのよ」と。
サブターナは少し考えてから、ポケットを探り、先日サリアに見せた蝋燭の欠片を取り出した。
水龍の少女はそれを見て、フフッと笑い、蝋の塊を指差す。
「まだちょっと、魂の欠片が残ってるわ。壊さないでーって言って、騒いでる。どうする?」
サブターナは何も答えずに、ちょっとだけ意地悪そうに笑うと、ポケットに蝋燭の欠片をしまった。
サリアも昼前までの十分な睡眠をとってから目を覚まし、サブターナの様子を見て、くしゃくしゃになっていた髪を手の平で撫でつけた。
「さぁ、死んじゃったドゥーマー達に代わって、また私が次の試練を紹介するわ」と、小人は言う。「ちょっと、『呼んで』来るから、此処で待っててね」
そう残して、小人は地面を蹴り水龍の姿になると、空中で体を折って、廃坑の上から地面の中に染み込んだ。
やがて、山の麓の方で、ゴロゴロと地響きが鳴り始めた。山の一部が陥没し、その穴から灰色の龍が天に昇る。その灰色の龍は、ドゥーマーの廃坑の近くをドロドロと周回し始めた。
いつの間に移動したのか、水龍が天空から声を飛ばしてくる。
「サブターナ。レッツ、ロデオ!」
その一言で趣旨を汲んだサブターナは、助走をつけて足場からジャンプし、灰色の龍の背に飛び乗った。
背中の鬣につかまると同時に、土龍はサブターナを落とそうとするように身をくねらせ、上下左右に暴れる。振りほどかれないように、手の平に渾身の力を込めながら、サブターナは龍の首のほうに少しずつ移動して行った。
鬣と言うロープを伝って、ロッククライミングをしているような気分だった。手が痺れるだとか腕が痛いだとかは、もう頭の外である。必死に龍の首を目指し、遂にその両の角につかまった。
土龍は、まだ暴れる。サブターナはどうしたら土龍が大人しくなるかを考えた。恐らくこの土龍も精霊の一種だろう。精霊達が望んでいる物は……と、マァリとの授業を思い出す。
「貴女、魔力を持っているでしょ?」
そうだ。魔力。そう気づいて、両手に自分の魔力を込めた。緋色の光に見えるそれは、サブターナの両手から土龍の角に伝わり、土龍の瞳のほうに集まって行く。
黒かった龍の目が、青ざめて行き、やがて紫を帯び、赤く輝いた。
グオオオオオオと言う、穏やかな龍の咆哮が放たれた。
赤い瞳になった土龍は途端に大人しくなり、サブターナの居る位置を脅かさないように、水平にゆったりと飛ぶように姿勢を整えた。
やった、出来た。
サブターナはそう思って、魔力の操り方を調節した。たぶん、角を握っている魔力を強くした方向に曲がってくれる……かもしれないと言う期待を持ちながら。
一度遠くに離れた土龍が、安定飛行しながら近づいてい来る。その頭の上に、サブターナが居る。龍を飛行させながら、小さな片手を、サリアのほうに一生懸命伸ばしてくる。
どうすべきかは、サリアも心得ていた。龍の背の中ほどに飛び乗り、鬣につかまる。
土龍は高度を上げ、ドゥーマーの鉱山があった場所から更に西に移動した、白い山頂へと向かった。
龍と成った水の小人も、その後を追う。
雪深い山頂から斜面を見下ろす場所に、土龍は着地した。
「最後の挑戦よ」と、水龍が教えてくれる。「此処の何処かに、『永久の火』を燈すためのキーが隠されてる。それを見つけ出してほしいの」
「この雪の中を?」と、サブターナに代わってサリアが聞いてくれた。
「ええ。永久の火は、ずっと昔に誰かがキーを盗んだことで、失われてしまったの。それから、この辺り一帯の何処かに隠された。もし、永久の火を望むなら、キーを探してほしい」
サブターナは、返事をする代わりに頷いた。




