21.黙ってお出でなさい
先がどうなってるかも分からない山の中を、両の足で疾走する。そんな在り来たりで無謀な状況下に、サブターナとサリアは置かれていた。
絡まる草を引き千切り、服に幾つもオナモミの類を付けて、頭上をかすめた枝に髪の数本が絡まるのを見捨て、「永久の火」の神殿からほぼ九十度折れた山頂にある、「水晶の窟」へ向かって居た。
「三角岩を右!」と、サリアの声が飛ぶ。
サブターナは答えられない。忙しく息をしながら、空からも目立ってしまう「三角岩」までを走る。呼吸と筋肉の運動を一定に、空の敵を警戒しながら。
サブターナが喋れないのは、呼吸の他にも理由があった。「永久の火」の言葉が、目標地点までの一定区間を走り続ける間に思い出された。
支柱になる岩が砕けた様子があるが、無人の神殿は外形にかつての荘厳さを留めていた。そして、神殿の奥には大きな女性神の姿をした彫刻が祀られている。両の手を天に向けているが、右腕が折れていた。
「どなたか……いらっしゃいますか」と、おずおずとサブターナが声をかけると、女神像の方から、「力求める娘よ」と呼びかけが来た。「永久の火の片鱗、此処に現わせ」
言葉の意味を推測すると、サブターナが持っている精霊の力の片鱗を見せろと言う事らしい。
サブターナは、右の利き手を額に当て、すっと胸の前まで直線に動かす。風の力が開放され、サブターナを中心に、音を立てながら気流が渦巻く。
神殿の内に声が響く。
「力求める幼子よ。一つの禁を守り試練に参れ。其方の名を我に捧げよ」
少女は、言葉の意味を間違えて無いなことを確認しながら、「サブターナ」と答えた。
その周波率を以て、ルシフ種の力が彫刻に届く。ふわりと、女性神の彫刻から、凛々しい目をした、彫刻そっくりの右腕の無い霊体が現れた。
「サブターナ。望み深ければ、龍神を導け。食われるか、送り届けるか。今より、汝の一切の声を禁ず。向かえ! 『水晶の窟』へ!」
サブターナは、女神像の方から、「高温のエネルギー体」が発生するのが分かった。同じく異変を察したサリアの手を掴み、神殿の外に向かって走り出す。
最初の数メートルはサブターナの元気のほうが勝ったが、百メートルも走る頃には、サリアの持久力が上回った。
走りながら後方を確認すると、「永久の火」の神殿から真紅の火炎龍が飛翔するのが見えた。
この「龍神」達に食われないようにしながら、彼等を「水晶の窟」まで連れて行く……つまり、上手く隠れたりしながら「水晶の窟」まで逃げ切れと言う事だ。
赤い龍神達は、咆えることは無いが上空で火炎の流れる音を立てた。それを聞くようになると、サブターナ達だけではなく、大抵の動物や鳥達は火炎龍が来る前に逃げ出した。
直線的に逃げられる環境ではないのは、ある意味、サブターナ達にとって有益だった。障害物が多い事で、身を隠せるし、数体居る火炎龍達も、真っ直ぐには追って来れない。
おかげで、全力疾走しなければならないのは森が拓けている場所だけだ。疲れて来たら森に飛び込み、上手く隠れれば、岩陰や洞穴で数分から数時間休めた。
洞穴に逃げ込めた時、一晩、明かりをつけないまま野宿した。空では火炎龍の燃え盛る音が聞こえて、用意していた携帯食を食べても、味も匂いも分からなかった。
サブターナが声を出すことを禁じられているのは、サリアも知っていた。サブターナが、何か言おうとすると、サリアはサッとその口に人差し指を当てる。
そんな感じで、緊張した一晩を越えてから、灯蛍の明かりを合図に、交代で少しだけ眠って、次の日を迎えた。
食事を摂ったので、多少走り回れる体力は戻ってきているが、寝不足がどう響くかが危ぶまれる。
そして思った通り、室や窟の目印である三角岩を曲がる頃に、サブターナの体力は尽きかけてきた。
左足で踏み込んで、右に回る……時に、少し足がもつれた。そのわずかなもつれは右足を踏みこむときにカバーできたが、筋肉のリズムと呼吸のリズムが狂う。
喉を鳴らして息をし、心臓が止まらないように数歩歩いてから、サブターナは地面に倒れ込んだ。少女をかばうように、剣を抜き放ったサリアが火炎龍の前に立ちはだかる。
「此処までか?」
そう、火炎龍達は問いかけながら迫って来る。サブターナは大きく息を吸って、無理矢理呼吸を整えると、空を仰いだ。空の高みを常に泳いでいる大気の流れを、朱緋色の瞳に映す。
片手を空に伸ばし、天頂の気流を集めた。ゴロゴロと言う音を鳴らしながら、凍りつきそうな空気の流れが、サブターナへ向かって降り注いでくる。最初は細く、やがて唸りをあげて。
グオオオオと呻いたのが、気流の音なのか、龍神達の苦痛の声なのかは定かではない。プラズマ体が引き千切られ、サブターナを囲もうとしていた火炎龍達は気流の届かない場所へ散った。
サリアも、息が出来なくなりそうな気流を浴びながら、サブターナの体を抱え上げて走り出す。
サブターナは術の威力を抑える事が出来ず、しつこい冷風を天空からサリアの背に降り注がせ続けた。
そう言った経緯もあり、二人が「水晶の窟」に辿り着いたときは、「威厳ある試練の挑戦者」にはとても見えなかった。
髪はもつれ、服や鎧のあちこちには植物が絡みつき、冷風のせいで、サリアもサブターナも真っ青な顔をしている。
水晶で覆われた洞窟の外では、しつこい爆風が常に空から降りつけていた。その代わり、火炎龍達も窟には近づけないようだ。
「まぁ。真っ白なお人形だわ」と、何処からか声がした。洞窟の内部を固めている水晶の中に響くような、不思議な声だ。「大変なお客様ね。すぐに出入り口を開けなくちゃ」
その声が聞こえたと同時に、爆風が治まった。炎をたぎらせた火炎龍達が、洞窟の中に飛び込んでくる。そして、その入り口に入る瞬間、掻き消えた。
エネルギー変換が起こった、と、サブターナは目の力で察した。火炎龍だったものは、水晶の中に吸い込まれて光と化し、バリバリと音を立てながら洞窟の奥へ流れて行く。
サブターナは、サリアの肩を叩いて下ろしてもらい、洞窟の奥へ進んだ。
其処に、小さな泉があった。まるで光を水滴に変えて溢れさせているような、小さな泉。水のような長い髪を体に纏わせた小人の少女が、泉の中に浮かび上がる。
「ディウェーネン種からの祝福を」
そう言って、小人の少女は両手を差し出してくる。サブターナがそっと近づくと、小人の少女はサブターナの右膝に両手の指先を置いた。
「龍成る力をありがとう」
その言葉と共に、水晶の窟の天井は裂け、水の髪を持った少女は水龍と変わった。そして、その背にサブターナとサリアを連れて空高く舞い上がった。




