20.帰る覚悟
「食いながら聞け。まず、お前があの『封書』の中で見たものの事だ」
そう、メルヘスは語り出した。
「あれは、『王の目』だよ。それが、ノスラウの事をさすのか、それとももっと別のものを指すのかは、俺も知らされてない。だが、ユニソーム達も敬意を払う存在ではある。
魔神達の一部は、あの封書を受け取って、その命令に従うんだ。だが、普段は『紙』の中から出てこようなんて事はしない。俺が、あの封書を束で持って城中を走り回れる程度には大人しいはずだ。
それが、お前を『アダム』って呼んで、えーと……まるで噛みついて来そうな様子だったんだっけ?」
「そう」と、嚙みなれない固いパンを食いちぎりながら、エムツーは答える。「なんか、王様って言うより、化物みたいだった」
「そうか……。もっと理性的なものだと思っていたが、どうやら違うみたいだな」
メルヘスはそう言ってから、ちらっと隣に座らせている妻を見る。
妻は手持無沙汰な様子だが、エムツーが目覚める前に、メルヘスからちゃんとお説教をされて、メルヘスの話すことは一切メモしないようにと言い聞かせられていた。
そのメモのせいで、自分が一時的に石像になっていたと言う話も聞かされ、妻はすっかり怯えて夫から離れないくらいだ。
メルヘスは幼子にそうするように妻の頭を撫で、話しを続ける。
「それから、お前達の生活についてだけど……。そっちの方は、俺達も知ってた。検査場では、管だらけにされてるって。その事は、お前達が『本当の約束』が守れるようになるまで、秘密にしておく予定だったんだ」
「『本当の約束』って?」と、エムツー。
「『王の目』に服従する約束だ。魔神達や、ユニソーム達みたいに、絶対に『王の目』に逆らわない、その運命に従うって、約束できるようになるまで、お前達は眠らされ続ける予定だったんだ。
たぶん、魔神達は後五年の間に、服従のための教育をするつもりなんだろう」
「でも、サブターナは外に出かけたよ?」と、エムツーは言い、サブターナが精霊の力を集めるために、サリアと一緒に旅に出たと言う事を話した。
メルヘスは手で口を覆って少し考え、「それも恐らくは、『服従』の教育の一環なんだろうな。それから、お前が検査場を逃げ出せた事も」と告げた。
「僕の家出が……。まぁ、今頃バレてると思うけど」と、エムツーが言うと、メルヘスは返す。
「いや、検査場を出た時点でバレてる。ユニソーム達は、追放した者以外を易々と逃がすような莫迦じゃない。それから、俺の所に来るのも、俺達を助けようとするのも、奴等の計算内だ。検査場の出入り口は、この森に近かっただろう?」
「うん。町を挟んですぐだった。けど、それって『普通』じゃないの?」
その返事を聞いてメルヘスは悩んだ。確かに、毎日「家」から出る時に、目的地のすぐそばに玄関があるようになったら、それが当然だと思うようになるんだろう、と。
「普通の家の出入り口は、目的地の近くには現れないんだ」
その話から、メルヘスはエムツーに、実際に自分達の住んでいる小屋を見せながら、「普通の家」と、「普通の玄関」と、「普通の森の中」を観察させた。
一通り観察が終わって、エムツーは「普通」と言うのは、思ったより不便なんだと言う事を納得した。
「それじゃぁ、もし僕が……自力で、『家』に帰ろうとしたら、すっごく遠いのかな?」
「あんな所に帰りたいのか?」と、メルヘスは問い質す。
「うん……。出来る事なら、サブターナにも、メルヘスから聞いた事を教えたいし、それに……僕達、二人一緒に居ないと、『人類の祖の資格がない』って事になって、捨てられちゃうかもしれないんだ。
今まで作られた『アダムとイブ』達が、人類の祖に成れなかったのも、片割れを無くしたり、環境に適応できなかったり、体が大人になってから知識を与えられてたからなんだ。
ずっと前の『エデン』が、古い人類の力で壊された時も、アダムは力と記憶を失って、イブは身体を失った。それで、僕達の順番が回ってきたんだ。だから、僕は、サブターナを見捨てたくない」
エムツーはそう答えて、静かに拳を握った。
メルヘスは訊ねる。
「戻るって事は、お前が『余計な事を吹き込まれて』、またあの夢の中の家に戻るって事だぞ? それで良いのか?」
「ううん。もちろん、今までの環境を受け入れることは無い。だけど、サブターナを連れてくるチャンスが欲しい」と、エムツーは訴える。
「それは、少し考える必要があるな」
そう言って、メルヘスは、エムツーの足元に居る蜥蜴のリーガに気づいた。
「そのでかい蜥蜴は、どのくらいの知能を持ってる?」
「人間の話してることは、大体理解してる。後、ちょっとだけボディ・ランゲージも分かる。それから……」と言って、エムツーはその朱緋色の瞳に「力」を宿して、リーガを見つめた。
リーガの瞳の中に、エムツーの瞳が淡く滲んで見える。「こんな感じで、視界を借りる事も出来る」
メルヘスは「ふむ」と頷き、「多少、使えそうだな」と呟いた。
一日もしないうちに、エムツーは旅の装束と携帯食を用意してもらい、リーガを連れて「城」に向かう事にした。
サブターナが「城」から出かけたと言う事は、真っ直ぐ「家」に帰ることは無いだろう。「城」に帰ってきた所を、何等かのすべでさらってくる計画を立てた。
もちろん、エムツーが「城」の中に入るわけには行かない。そんな事をしたら、「僕の頭を赤ちゃんに戻して下さい」と言って居るようなものだ。
そこで、詳しい所はリーガに働いてもらう事にして、細かい事は現地に着いて、情報を得てから考える事にした。メルヘスには「そんな大雑把な事で大丈夫か?」と聞かれたが、「僕だって三歳じゃない」と答えた。
安息を手に入れた夫婦と別れた後、エムツーは「目の力」を使って、遥か彼方に憎き「魔王城」を見つめた。道を探しながら歩いて行ったら、一ヶ月弱はかかるだろう。
なるべく、サブターナより早く「城」の周りに到着する必要がある。なんだったら、山の中を歩き回っているはずのサブターナを引っさらって来ても良い。
最後に見た時は鎧を着ていたサブターナだが、今のエムツーの頭の中では、ドレスを着たお姫様になっている。
僕は魔王の手から姫を守る王子様になるのだ、と、エムツーは心の隅で覚悟を決めた。




