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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第五章~緋色の瞳は二人して~
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19.それは世に浄化と呼ばれる

 空気と水と血液が混じり合い、耳元でごぼごぼと音を立てる。痛みも恐怖も悲しみも怒りも、麻痺していた。全ての刺激は強すぎ、摩耗した神経から、感覚は失われて行く。

 自分の命が助かるなどとは思ってみる暇もない。唯、妻と同じ所には逝けないだろうと言う事だけは分かった。これから、肉体を失った自分の魂は「あちら側」に転送され、あのゲル状の生き物達の慰み者になるのだ。

 栄養として使われるかか、エネルギーとして使われるかは分からない。意思は奪われ、隔離されるのか。それとも、意思など最初からなかったかのように根源ごと消滅させられるのか。

 そんな些末な感覚を覚えている時、彼の腕を掴む者があった。妻でも、永劫の者達でも、魔神達でも無い。幼い少年の、小さな手腕。

 傷ついた腕に絡みつくように回されたその手は、握っている者の体の大きさからは察せないほどの力を放ち、溺死しかけた男の全身を、水の中から引きあげた。


 衣服はぐちゃぐちゃになり、靴も水が入って、一歩歩くごとにじゃぽじゃぽ言う。水まみれになるのはすごく気持ちが悪いが、今はそれどころじゃない。

 森の地面に引きずり上げたメルヘスの体に手をかざし、エムツーは「変形(へんぎょう)」の術をかけた。

 何時も、森の木々を別種のものにしたりするときに使っていた術だが、魔神の体にも相応の効果はあるだろう。

 眼球の無くなっていた目に、再び眼らしきものが発生し、エムツーの記憶の通りの「メルヘスの目」が作られた。生憎、両眼とも同じものは作れず、少し虹彩の形が違う黒い目が揃った。

 それから、引き千切られていた手首を撫でて皮膚を元に戻し、かつての彼がそうであった通りに、俊敏に走れるほどの栄養が満ちた血液を体中に流した。

 新しい血液が急激に体に回った影響で、メルヘスは目を回し、体をビクビクさせてのけぞると、口の中から、飲み込んだ湖の水を吐き出した。ゲホゲホ言いながら呼吸を取り戻し、震える腕で体を起こした。

「メルヘス」と、エムツーは呼びかけた。

「なんで、お前が此処にいるんだ?」と、メルヘスは肘で後退り、警戒の様子を見せた。「まさか、ユニソーム達が……」

「違うんだ!」と、エムツーは意気込んで言う。「家出してきたんだ。メルヘスに、聞きたいことがあって」

「聞きたいこと?」

 そう聞き返されて、エムツーは昨日の昼間に知った事から順に話し始めた。


 メルヘスは、全部の質問を聞き終えてから、「答えるのは、少し待ってくれ」と言う。「もし、俺の願いを叶えてくれるなら、お前の知りたい事に答えても良い」

「僕が出来る事なら」と、エムツーは応じる。

 メルヘスは頷き、石にされた自分の妻がうずくまっている場所まで、少年を連れて行った。

 朝の光の中、ペンを片手に持ち、うずくまって何かを書いている途中のような女性の石像があった。肌着だけの姿で、長い髪を肩に乗せ、睫毛を伏せたその表情は明るく輝いている。

「綺麗な人だね」と、エムツーは思った通りを言った。

「そうだろ?」と、メルヘスは言い、「この娘を、人間に戻せないか?」と問う。

「元は、生きていた人なんだね?」と、エムツーは訊ねる。

「ああ。こんな精巧な石像が彫れる奴が居たら見てみたい」

 軽口が言えるくらいに回復したメルヘスの様子に安心し、エムツーは、今まで自分が学習した術を思い出してみた。

 石に変えられた人を、そっくりそのまま元に戻す方法。蘇生とは違う現象を起こさなければならないだろう。石に変えられた時点までのエネルギーを消滅させる? それとも、この人を石に変えている魔力を消滅させる?

 どちらにしても、何等かの力の削除の能力が必要だ。何の力を削除したら良いんだろう。

「メルヘス。この人を石に変えたのは、誰?」と、エムツーは聞いてみた。

「ユニソームだ」と、今度こそ、怒りをもってメルヘスはその名を唱えた。

 ユニソーム達の力。あれは、すごく複雑な力だ。だけど、この星にいる以上、何処かからこの星のエネルギーを得ているはずだ。この星にある力で、細胞の組成を変えるほど複雑な力と言えば、「向こう側のエネルギー」しかないだろう。

 それを削除する方法……。

 考えながら、手の平の中で魔力を練った。人体の細胞を石化させている「向こう側のエネルギー」を削除できる力を。

 青白い光がエムツーの手の平から湧きだし、空中で丸く形を作る。

 そのエネルギーで、うずくまっている女性の背にそっと触れた。

 少年の手の平の下で、魔力の変質が起こる。少年は、皮膚に鳥肌が立ち、雷に触れたようなショックを受けた。手の平を石像から放してしまったが、魔力は維持し続けた。

 うずくまっていた女性の周りから、青白い光の環が一瞬放たれた。それは、明らかにエムツーの魔力に呼応するものだった。

 白く石化していた体に、色彩と質感が戻る。メルヘスの妻は、目の前が急に地面になったことに驚いて、目を瞬いた。そして顔を上げると、ずぶ濡れになって自分を見つめている夫を見た。

 妻は笑顔を見せ、「どうしたの?」と聞いてくる。夫が、ふざけて不思議な力を使い、何かしたのだと思っているのだ。

「なんでもない」と言って、メルヘスは妻に抱き着いた。妻は水滴に小さな悲鳴を上げた。

 エムツーは、どうやら術が成功したようだと思って安堵した。

 そして、そのまま地面に膝から倒れ、眠り込んでしまった。


 夫婦の家に連れて来られたエムツーは、濡れた服を脱がされても毛布で包まれても、昼間の間一切目を覚まさなかった。

 毎日、身体を管だらけにされて眠っていた八歳の少年の体にとっては、夜通し起きているのは異常事態だったのだ。

 メルヘスの妻が、風邪をひかないように綿布団も掛けてあげると、エムツーは無意識にその中に潜り込み、手足を丸めて赤ん坊のように眠りつづけた。

 一頻り眠って、少年が寝ぼけた眼を開ける頃、メルヘスはすっかり少年に真実を告げる用意をしていた。

「起きたか、ぼうず。まずは、飯を食え」

 そう言って、妻の作ったミルクと野菜のごった煮と、買ってきていたパンを焼いたものを出してくれた。

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