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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第五章~緋色の瞳は二人して~
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9.酔っぱらいのメル公

 その旅人は、昼でも夜でも、常に酒のボトルを片手に持っていた。

 彼の周りには強烈なアルコールのにおいが立ち込め、やけに形の良いその唇を開くと、唯の労働者とは思えないほどそろった真っ白な歯列から、歯肉の中まで染み込んでいるような、饐えた果実のにおいを吐き散らかした。

 歯並びは良いのに、その風体と言うと、一通りズボンと上着は身につけているが、皮膚は泥と垢だらけで、旅をするためのマントにしては薄い作りの、もとは上品な首布(スカーフ)だったのだろうと思われるボロボロの布を、背のほうに泳がせている。

 身を守るものとしては、革の胸当てと、両肩から両手の甲を守るだけの革のグローブだけだった。それらの革製品も、どこかの野犬にでも噛まれたように、あちこち引き裂かれて穴が開いている。

 靴は長く歩いてきた様子を見せて、底は踵が欠け、足を包んでいる部分は、革作りでなかったら、今頃擦り切れているだろうと察された。

 彼は、正式な名を名乗らなかった。誰かが名前を聞いたときに、「メル……」まで言いかけて、「メルだ」と言ったので、その日からメル公と呼ばれた。

 メル公は、手持ちの酒がなくなる度に酒場に来て、決まって一番高級なワインかウィスキーを二ボトル頼んだ。浴びるように酒を飲んで、一晩で飲みきれなかった分は持ち帰る。

 その時、その口から多大な異臭を吐き散らしながら、酒場に居た者達に向かって、不思議な話を語って聞かせた。


 彼は昔、神なる者達が集まる城に住んでいた、しっかりとした役目を持っている神の一人だったのだと自称する。様々な神々と共に大きな城に住んで、その城の中で手紙を運ぶ仕事をしていた。

 その城はひどく巨大で入り組んでおり、一階の入り口から最上階の塔に行くまでに三時間と三十分を要した。だからこそ、城の者達は郵便配達人求め、その求めに応じて彼は働いていた。

 それなのに、神々は「選ばれた双子」と呼ばれる、七歳くらいの子供の言うことに()()()()()()()、彼から仕事を奪い、城から追放した。

 彼と同時期に仕事をなくした芸神の一人は、自分で考えた、踵を打ち付ける音を立てて踊ると言う、役にも立たない別の仕事で美味い飯を食っていたのに、彼は新しい仕事を考える(いとま)も与えられなかった。

「奴等は、いつもいつもいつも、地上のどこそこの土地に、有り余る資源があるぞって言って、せせこましい、下らない、戦争ってもので遊んでいるんだ。そのために知恵が必要だ、そのために力が必要だ、そのために理想が必要だってね。

 奴等は、自分達では戦わない。可哀想な魔獣達を操って、何かを殺すのも、何かに殺されるのも、魔獣達だけの責任にしちまってる。魔獣って言っても、殺された分だけ作りなおせる生き物だ。酷いもんさ。知能もあって、社会を作って生きられる生命にだって、同情なんてしやしないのさ。

 自分達は、戦争の後のいずれの世界で、『堂々と生きている神様』になるためにね! お笑い(ぐさ)ってやつだ」

 酔っぱらいのメル公は、どら声でい切り倒し、たまたま隣の席に座って、メル公の「薄汚いなり」と、「全身から放たれるアルコール臭」に眉をひそめていた人物の首元を、ぐいと引っ張る。

「よぉ。あんただって、奴等の戦争に巻き込まれたら、あっと言う間に干からびちまうんだぜ? 皮膚も肉も骨も、からっからのからっからにだ。もしくは、それか……」

 そう言って、メル公は、迷惑そうと言うより、既に怒っている隣の客の頭のてっぺんのカールした髪を毛を、ひょいとつまんでみせる。

「頭から」と言ってから、自分のずた袋のような靴で、やはりそんなに上等でもない相手の靴を蹴る。「足先まで、奴等にぜーんぶ食われるか。お情けがあれば、鉄砲玉になる新しい魔獣になって生き延びるか、どっちかさ」

 髪の毛をつままれ靴を蹴られた客は、怒ってメル公を突き飛ばした。

 背もたれの無い椅子に座っていたメル公は、椅子に留まる事も出来ないで、慣性のまま、床にどさりと倒れる。

 そんな時、背中を薄汚い床につけたまま、メル公はけたたましく笑うのだ。

「いよぉ。ご機嫌だな」と言って。

 此処まで異常だと、絡まれたほうも薄気味悪くなるらしく、突き飛ばしたほうは、残りの酒をグイッと飲んで料金を払い、店から出て行った。


 勿論、異常すぎるメル公の態度に腹を立てる酔っぱらいも、いないことはない。腹をたてられた時のメル公は、髪の毛越しでも腫れ上がっているのが分かるほどのたんこぶができて、目の周りが青黒く腫れて、髪の毛も衣服も引き千切られんばかりに殴られたり蹴られたりした。

 メル公は、てんでやり返しはしないものの、非常に打たれ強く、いくら砂袋が如く殴られても蹴られても、へらへら笑って「いよぉ。ご機嫌だな」と挑発する。

 時には、酔っぱらってる上に頭に血が上ったやつが、刃物や鈍器を取り出そうとした。そうすると、流石に酒場の女将も黙ってない。何せ、メル公は、なりは乞食でも、売り上げに貢献してくれる上客だ。

 片手に武器を持った者は、酒場で雇っている用心棒に引っ立てられて「外で頭を冷やすこと」になり、ボロボロになったメル公はカウンターの中に匿われた。

 酒場の女将が計算外だった事としては、カウンターの中に匿ったメル公を手当てをしている自分の娘と、無精ひげもだらしない黒い瞳のメル公が、ささやかな言葉を交わしていたことだ。

「そんな様子なのに、貴方、なんでそんなにお金を持ってるの?」と、娘はメル公に、薄い紅茶を差し出しながら聞いた。

 メル公は、香りが付いてるだけの冷茶を飲んで、少しばかり落ち着いた様子を見せた。

「この町に来る前まではね。俺は『宣教師』だったんだ。色んな土地を巡って、子供達に天地創造のおとぎ話を聞かせて、お小遣いを巻き上げる宣教師さ。中には、あんたより年上の子供も居たね。

 みんな、不思議なお話を聞きたがって、無い金をせっせと集めてきたよ。それで、革の財布が三つもぎゅうぎゅうになってから、この町に来て……酒ってものを覚えた」

 そうメル公は語る。

「こいつはとってもご機嫌なもんだ。体はあったかくなるし、頭はハッピーになる。ぐるんぐるんと天井が回ってくるくらいが、今の俺には丁度良いんだ」

 それを聞いて、娘はメル公の目の周りを濡らした布で拭きながら、「何か、忘れたいことがあったのね」と、囁いた。

「あったねぇ」と、メル公は言う。そして、「それを忘れさせてくれるかい?」と、冗談を飛ばした。

 そうしたら、その娘は意外なことに、こくりと頷いて、メル公の手に手を重ねたのだ。

「三日したら、風見鶏の下で待ってる」と残し、酒場の娘は店の奥に消えた。

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