表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第一章~死霊の町の一週間~
18/433

18.逆様の天使

 木曜日深夜二時三十分

 粘液の巨樹の上で、其処に熟れる実を食べている者がいる。

 下半身が蛇の姿を女性だ。彼女が枝からもぎ取る果実は赤く、形としては林檎のように見える。

「それ、美味しいの?」と、傍らに居た黒い髪の少女は聞いた。

 切られたことのない彼女の髪の毛は、前髪も後ろ髪も、肩につくほど長い。前髪を分けて顔を出している。その瞳は朱緋色をしていた。年の頃は三歳くらい。

「ええ。私達には、最高のご馳走よ」と、半蛇の女性は答える。「貴女も、どうぞ」

 そう言って差し出された実を少女は受け取る。そして、カプリと齧った。齧った部分から果汁が溢れ出す。

「甘い」と言って、少女は口の中身を咀嚼し、二口、三口と齧って行く。その口の周りは透き通った果汁でべとべとになった。

 半蛇の女性は、慈しむようにその様子を見て、少女の頬に手を伸ばし、手の甲で果汁をぬぐってあげる。

 少女は、不思議そうに「ねえ、リリス。貴女の事、どうしてリヤって呼ばなきゃならないの?」と聞いてきた。

「リリスは内緒の名前だからよ」と、女性は言う。「この事は、ターナと私だけの秘密だからね?」と、笑顔で言う。

「うん」と答えた少女は、真ん中の芯の部分だけになった果実に噛みついて、まだ果汁を啜っている。

「芯は地面に捨てて、新しい実を食べなさい。その方が栄養があるわ」と、リヤは言い、少女の背丈では届かない位置にある果実をもぎ取って、手渡す。

 それから幼子に言い聞かせた。

「ターナ、貴女は、いずれイブになるの。三人の子供を生んで、大切に育てるの。だけど、そのうち二人は死ぬ事になるわ。三人目が生き残るためにね」

 半蛇は優しく語り掛け、黒髪のターナは「そうなの?」と聞いてくる。疑問と言うより、確認のために。

「そう。世界を創生する神話の中では、そう決まっているの」と、リヤは説く。それから、彼女も確認する。「貴女が生まれた方法は?」

「えっと……。エムの肋骨を取り出して、それから作られたの」と、ターナは以前から聞かされていた言葉を返した。

「違うわ。エムじゃなくて、彼はアダム」と、リヤは訂正する。「彼の肋骨の細胞から、貴女は作られたの。アダムは貴女のオリジナルであり、世界に名を付ける者であり、夫よ」

「おっとって何?」と、ターナは聞く。

「貴女を守って、養ってくれる人。子供を身ごもると、人間は体の自由が利かなくなるの。その間に、貴女の面倒を看てくれる人の事を、夫って呼ぶの」

 リリスがそう説明すると、ターナは頷いて、「それじゃあ、とっても大事な人だね」と答えた。

「ええ。私が貴女の面倒を看るのも、いずれアダムの妻になる時に、必要な事だからよ? 私が木の実を取ってあげたように、アダムにもこの実を食べさせてあげて。とても喜ぶわ」

 リヤから新しい実を手に受け取り、ターナは「うん」と元気に頷く。そして、また赤い実を齧り始めた。


 地上では、各清掃員達により、巨樹と化した邪霊の撤去作業が行われている。

 各所でマンホールを吹き飛ばして伸びた根は、瞬く間にどんどん成長して、巨樹を支える立派な根っことなっていた。

 アーヴィング夫人から支給されたランタンの炎を軸に殻を展開して、一本一本と樹の根を焼いて行く。

 ウルフアイ清掃局の局員にとっては、個別で担える仕事ではない。

 複数人、最低でも二人で地下道を囲む陣を組んで、じりじりと炙り焼きにしている。

 樹の根っこは「炙り焼き」でも、表皮からボロボロと崩れてくる。それに気をよくしていると、他の場所から局員の悲鳴が聞こえてくる。

 別の位置にある根が太り始めたのだ。おまけに、多少の火炎を浴びせても燃えず、攻撃に対しての防御の様子を見せた。

「アンは、何処に行ったの?」と、ナズナ・メルヴィルが周りの清掃員に聞いた。

 清掃員の一人が、ニュースブックを開いて、「置手紙を残して姿をくらませたらしい。手紙に書かれていたのは……『挟み撃ち』だそうだ」と述べる。

「挟み撃ち……」とナズナが復唱した時、ジープが一台、割れて凸凹になっている岩盤を走ってきた。

 運転席からはギナ・ライプニッツ、助手席からはシェル・ガーランドが姿を現わす。

「状況は分かってる」と、シェルは自分達のニュースブックを叩いて言う。本をギナに渡し、「地下に潜入する。邪気の発生源になってる光源を壊す」と言い出した。

「その……貴女の体についてるのが、『邪霊吸引機』なの?」と、ナズナは聞く。

「その通り。実体化してる邪気に邪魔されずに、地下に潜るなら必要だ」と、シェルは説明する。「私とギナで光源を壊すまで、この周りの地区のマンホールを『浄化』し続けてくれ」

「分かった」と、ナズナは答え、ランタンから取り出した「炎」を拡大して、自分達の目の前にあった樹の根を焼き尽くした。

「今のうちに」と、ナズナが短く言うと、シェルとギナが、一時的に空っぽになったマンホールを降りて行った。


 シェルは邪気の濃度が濃い事を察して身の回りを殻で多い、梯子を下りている間に吸引機のホースを下に向け、スイッチを入れた。

 ヴィーンと言う低い音が鳴り始め、煙のような邪気を放つ粘液状の邪霊が、吸引機の中に吸い込まれて行く。

 根を再生しようとする邪気を吸い込みながら、シェルとギナは地下道を前進した。


 木曜日深夜二時

 鼓動を打つように、硝子のケースの中に取り出された魂が、脈打っている。

 それは透明な水の塊のようだった。丸く形をとり、ゆらゆらと揺れている。

 意識を失っているエム・カルバンは、移動式の寝台から固定式の寝台に移され、胸の皮膚を切り裂かれていた。

 肋骨が露出するように、薄い筋肉が切り分けられ、その肋骨の一部は僅かに切除されていた。

 エムの体内には、至る所に赤いポリープが出来ており、それはあの巨樹の上でターナとリヤが食べていた実のように見えた。

 素人仕事の荒っぽい手術を施されたエムは、目を覚まさない。

 開いた胸の皮膚と肉を元の位置に戻してから、手術を執刀した人間もどき達が、炎の翼を持つ「大天使」に向かって血だらけの手を差し伸べ、祈りの言葉を唱えた。

「天の御使(みつか)いよ。癒したまえ」と、声を揃えて。

 その声を受けて、「大天使」は、エムの体に力を送った。

 少年の体に力が満ちて、傷が治癒する。それと同時に、エムの魂が灯っていたケースの中に、「大天使」の電光が走った。

「アダムよ。ひとつとなる時が来た」と、大天使は呼びかけ、エムの魂に自分の身を宿す。

 其れまでピクリとも動かなかったエムの体が跳ね、両手で頭を押さえた。何かを吐き出すように咳き込んでいる。

 五歳の体は急激に成長し、子供に着せるサイズの手術着を引き裂く。

 電光の翼がその身の背に宿り、光を帯びた衣が、成長した体を覆う。

 瞼を開いたエムの瞳は、朱に近い緋色に染まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ