7.偏見的な
ぐずぐずと、いつまでも雨の降る日だった。少し晴れ間が見えたとしても、空のどこかには雨雲がいる。
星の軸がゆっくり変わっているので、少しずつ気候に変化が出るだろうと知らされてはいたが、冬でもないのに晴れる日がほとんどないのは憂鬱だ。
サブターナはサリアと上手くやっているらしい。雨の降っていない日に、趣味の時間の時に作った衣服やバッグを持って、サリアと「お出かけごっこ」をしたと、先日、サブターナから自慢された。
外は雨でも、夏の硝子工房はひどく暑い。エムツーは服の首に押し込んだタオルを時々引っ張り出して、顔の汗をぬぐっていた。
僕も、もっと別の事にも時間が使える趣味にすればよかったかな、とエムツーは思いつつ、熱した硝子の塊を、炉から引き出した。飴細工のようなガラスの塊を付けた筒の手元のほうから息を吹き込み、筒を回転させながらガラスの塊を丸く形作っていく。
この趣味を選んだ最初の頃は、肺活量が足りなくて、ガラスの内側をほとんど膨らませられなかったが、今では一気に息を吹き込みすぎないように調節できるようになった。
洋灯がたくさんできたら、僕のコレクションにするだけじゃなくて、城に飾ってもらったり、家の明かりとして使ってもらおう。それに、飛び切り明るい洋灯を持っていたら、今まで許してもらえなかった夜の散歩だってできるかもしれない。
その時は、誰を連れて行こうかな。リーガだけじゃなくて、一緒におしゃべりができて、一緒に夜の森を歩くドキドキ感を楽しめる相手が良い。そしたら、やっぱりサブターナを連れて行くことになるんだろうか。
そんな想像を思い浮かべていた折、硝子工房に郵便配達人が来た。
人間の青年とそっくりの姿をした魔神で、焦げ茶色の巻き毛と黒い瞳を持っている。郵便配達のためにあちこち走り回るので、その体には程よく筋肉がついていた。
郵便配達人は親方に何かの封書を渡して、小さな声で囁いた。
その後、親方はエムツーを見守っていたアナンに声をかけ、封書を差し出してみせる。親方とアナンは、恐らく封書の中身を読むために、工房の奥に姿を消した。その隙を待っていたように、郵便配達人はエムツーに声をかけた。
「よぉ。頑張ってるな、ぼうず」と、彼は明るく言う。「その飴細工ちゃんは何にするんだ?」
エムツーは、わかってるくせにと思ったが、息を吹き込み終えてから、「洋灯だよ」と答えた。
「ふーん。魔戯力を籠めるのは何時だ?」
「それは、まだまだ先の段階。まず、品物自体の形を作らなきゃならないんだ」
「大変な趣味だね」
「慣れれば楽しいよ」
そんなやり取りをしてから、郵便配達人はちょっと工房の奥を見て、まだ親方もアナンも戻ってこないことを確認した。それからこんなことを言い出した。
「なんでお前達に『趣味』が許されたか、知ってるか?」
「何か意味があるの?」
「少しずつ、男の役割と女の役割に差があることを教えるためさ」
「へー」と返しながら、エムツーは筒を回転させ、まだ熱い硝子玉の表面に、追加のガラスを絡ませると、また炉に入れて回転させる。「どんな差があるって言うのさ」
「女は家で物を作る。男は外で物を作る。女は家で仕事をする。男は外で仕事をする。その差だよ」
「メルヘスは、すぐに噓を吐くからなぁ……」と言って、エムツーは、あからさまに不機嫌な顔をする。
「嘘なもんか」と、郵便配達人メルヘスは言って、両手を肩まで上げて見せる。「そんなに早くお前達に『役割』を教えるってことには、理由があるんだ」
「なんの?」と、エムツーはほとんど関心を示さない。
「もうすぐ、戦争が始まるんだよ」と、意味ありげにメルヘスは声を潜める。「カウサール達が、新しい土地への侵略を計画してるんだ。今までより大規模な四方陣を組むために。だから、お前達には、さっさと夫々の役割を教えておきたいんだよ」
それを聞いて、エムツーはようやく驚いた顔をした。話に食いついてきたと思ったメルヘスは、調子に乗って続ける。
「これは男同士の秘密だぞ。女には言っちゃだめだ」
「サブターナや、先生にも?」と、エムツーは聞き返す。
「そうだ。女って言うのは、日常に変化があるとヒステリーを起こすんだ。生活が安定していないと、生きてられない生き物なんだよ。戦争が近いなんて言っちゃだめだ」
そう吹き込まれた偏見を、エムツーの心はあっさりと信じ込んでしまった。戦争が起こると言う事も、サブターナや先生が、女性であるという理由で恐慌状態に陥ると言う事も。
メルヘスが帰って行った後、エムツーは、胸の辺りで、心臓がどくどくと音を立てているような気がした。さっきまで形を作っていた、洋灯の火屋は、後はしっかり冷えて固まるのを待つだけだ。
床の敷物の上に座り込み、なんとなく炉のほうを見て考え込んだ。
カウサール達は、どこの誰に戦争を仕掛けるつもりなんだろう。大規模な四方陣を組むって事は、この島国だけをエデンにする計画は、終わってしまったんだろうか。
もし、新しい土地を得て、新しいエデンを作る事態になったら、僕とサブターナはどうなるんだろう。先生達は、別の「人類の祖」を用意するんだろうか。いや、僕達に趣味って言うものを教えてくれたってことは、まだ大人になるまで僕達には猶予があるはずだ。
大人になる前に……せめて、十三歳になる前に、立派な「人類の祖」にならなくちゃ。そうしなくちゃ、昔の「アダムとイブ」達みたいに、エデンを放棄するときに捨てられてしまうんだ。
エムツーは考えながら、手指が震えてくる気がした。
魔神達は、僕達を守ってくれるはずだ。そうであるべきなんだ。そうだ。「人類の祖」として相応しくない様相になったりしなければ、今まで通り、魔神達は僕達を守ってくれる。
大人になって、エデンに住むようになったら、全部の存在に新しい名前を付けて、僕が……なんで、僕がみんなを守る条件になっているんだろう。
大人になったサブターナは、いつか子供を授かる。そうなったら、あんまり身動きが取れなくなる。その時は、僕がサブターナの面倒を看てあげなきゃならない。サブターナは僕に守られることになるんだ。だけど、僕を守ってくれるものは誰になるんだろう。
エムツーがそう考え込んでいると、工房の奥から、親方とアナンが戻て来た。
「エムツー。どうした? ボケッとして」と、親方が声をかけてくる。
「なんでもない」と、エムツーは答えてから、「だけど、ちょっと疲れちゃったから……今日はもう帰ります」と述べ、床から立ち上がった。




