3.素敵なあなた
サリアの部屋のラックには、カーテンから作ったドレスがたくさんしまわれている。薄手の布は少ない。夏用のカーテンは布地が薄いので、古くなる頃には、繕い切れないダメージが残っているからだ。
冬のカーテンで作った丈夫なドレスは、白い肌着を墨から守ってくれた。それだけを感謝して、サリアは別の服に着替え、汚れた服を木のたらいの中に入れ、中庭に行った。
中庭では、井戸水で洗い物をしている者と、火で要らないものを焼いている者がいる。要らないものを焼いた灰は、やはり中庭にある畑に、肥料として撒かれた。
井戸の傍らで、洗い物係の女中達が働いている。
その中には、先の婦人ではないが、ランケーク族の者も混じっている。その女中は、成人している証として、頭に木綿で出来たヒラヒラの帯のようなものを括りつけていた。エプロンを模しているらしい。
「サリア」と、洗い物係のランケークの女中は、目を笑ませながら声をかけてきた。「失敗しちゃったんだって?」
もう噂が広まっているのを察し、サリアは口元だけ笑ませて頷いた。
「分かる分かる。子供に早く可愛い服を着せたくなる心は」と、ランケークの女中は言う。「だけど、服ってものが、温かい事を覚えたら、海の中に戻れなくなっちゃうからね」
「うん。ごめんね」と、サリアは言う。
「私に謝らなくて良いよ。違う種族なんだから、慣習を深い所まで理解できない事はあるさ」
そう言いながら、ランケーク族の女中は、たらいの水を下水道のほうに流し、自分の洗っていた衣服を皴にならないように絞る。すっかり水滴が切れてから、たらいに衣服の塊を放り込んだ。
「私、もう終わったから、此処どうぞ」と言いながら、ランケーク族の女中は、たらいを触手で手前に掲げ、城の中に戻って行った。
「ありがとう」
場所を譲ってもらったサリアは、井戸の傍らに洗い物を置いて、滑車のロープを引いて水桶を持ち上げ、たらいに水を張る。
「水が気持ち好い季節で良かったね」と、別の女中が声をかけてきた。その言葉には、少し揶揄いの棘がある。
「本当にね」とだけ、サリアは返した。
洗濯を済ませて中庭から城内に戻ると、廊下を走ってくる緋色の目の女の子を見つけた。
「サブターナ。アナンは?」と、サリアは尋ねる。
「先生は、エムツーの『趣味』を監視してる。私は、貴女を探しに行くって、ちゃんと許可を取った」と、サブターナは答える。それから、「私のほうの『趣味』のために」と続けた。
「趣味?」と、サリアは復唱する。
「うん。人間って言うのは、時間を持て余したら『趣味』を行なうんだって、先生から教わったの。それで、私、お裁縫を習いたいって言ったのね。
エムツーは『魔戯力』で光る洋灯を作ってる。でも、私は趣味にまで魔力を使いたくないの。それで、サリアに教えてもらおうって思って」
来年の春先には、八歳になるサブターナは、非常に細やかに状況を伝えてきた。
「お裁縫を教えるのは良いけど、どんなものが作りたいの?」と、サリア。
「そうだなぁ。鞄かな」と、サブターナは思い付きを口にする。「ポケットの大きさを考えないで、物を持ち運べるように」
「分かった。そうだね……。私のほうは了解したから、アナンに、サブターナ用の『丁度良い裁縫道具を用意して』って、お願いしてみて」
「うん。分かった」と言って、跳ねるように走ってきた人間の女の子は、また跳ねるように、来た方向に戻って行った。
幾つかの種類の糸と縫い針とマチバリ、布を裁つための大きな切れ味の良い鋏と、糸を切る専用の小さな鋏。それから、一度縫った糸を切り離すためのカッターと、柔らかいメジャー、チョークより粘り気のある特別な鉛筆、おまけに鉛筆を削るための小さなナイフ……と言う、初心者が気合いを入れるための道具が詰まった箱を持って、サブターナは創作の間に姿を現した。
「最初は、四角い鞄を縫う方法を覚えようか」と、サリアは言う。「布に、その色鉛筆で、真四角の図面を引いて、図面の通りに真っ直ぐに縫って行くの」
「うーん。見本とかある?」と、サブターナは聞いてきた。
サリアは、ちょっとためらったが、以前の、墨でべちょべちょになった状態で突っ返された帽子を見せた。洗って干した後、破れ目を繕って鍔とリボンを外し、唯の小物を入れる袋として使っていた。
「すごい。素敵だね」と、サブターナは感心したようだ。何故、楓の模様が逆様になっているのか、何故、淡くほんのりと薄墨色に染まっているのかは、別に疑問視しなかった。「こんなのが作りたいな」
「古いカーテンだけどね」と、サリアは返す。「もし、新しい布で作りたかったら、アナンに布の準備もお願いしてね」
「えー。全然カーテンに見えない」と言って、サブターナは袋を閉じている結び目を解いてみた。「ああ、これ、飾りの紐じゃないんだ。ちゃんと、口が閉まるようになってるんだね」
嬉しそうに古い布で出来た袋をじっくり観察して、十分手で触れてみてから、サブターナはこう言う。
「サリアの、布のコレクションの中から、布を選ばせてもらっても良い? 私、この手触りが好き」
「でも……」と、先日の件で自信を失っているサリアは、躊躇う。「古い布ばかりよ? 傷んでることもあるし、漂白しても落としきれてないシミがあったり……」
「こんなに綺麗な模様の布だったら、新しくてペナペナの布より絶対良いよ」と、サブターナは言い切る。「丈夫で綺麗だったら、どんなものだって、それだけで素敵なんだから」
「縫う時、力が要るわよ?」と、サリアはあくまで牽制する。
「大丈夫。運動はしっかりしてる。私、握力だって強いし、指先の力も鍛えてるんだから」
そこまで言われて、サリアはサブターナの意向を飲むことにした。
「布を幾つか見繕ってくる。それまで、創作の間で、見学でもしていて」
「うん!」と、サブターナは元気に返事をした。
布の保管部屋に移動する間、サリアの心の中でサブターナの言葉が輪唱していた。
丈夫で綺麗だったら、どんなものだってそれだけで素敵なんだから。
サリアは思った。
あの少女が「人類の祖」となって作り出すエデンは、きっとそのような、強く美しい物で溢れるだろう、と。




