17.妨害電波
木曜日深夜二時
パリパリと言う電気的な音と共に、施設内に雷光が走った。
それは鋭い熱と光を放ち、爆炎のように発電所全体から放たれる。
上空に居たアンが、自分の体を結界で覆って居なかったら、火傷どころでは済まなかっただろう。
「うわっ!」と、声を上げて、アンは結界を撫でる炎の上を転がり、炎の届かない、さらに上空に移動した。酸素が薄くなり、息は凍える。
発光を感じて、西の方を見ると、誰か達が作っていた文様に、邪気とも言い難い光が走っている。
エネルギーの通されたそれの上空に、山のような巨大な霊体が現れた。炎の腕に見える物を背に備え、光る衣を着た「天の使い」の如き姿で。
アンは気づいた。
邪気から変換された、高位霊体だ。まだ、実体は伴っていない。
発電所の中で荒ぶる炎は、「天の使い」のような霊体の力に呼応し、その霊体のほうに伸びようとしている。
封じるなら、今しかない。
アンはそう直感し、発電所上空を離れて、発光する巨大な霊体のほうへ真っ直ぐに飛翔した。空気の抵抗の中に片手を差し出し、手の平に力を集中する。
強い浄化の魔力を込め、凝縮した青白い光を手から放とうとした。が、風以外の抵抗力により、手が痺れ、集中した魔力は解かれた。
コントロールを失った力が四散し、アンの表皮や服を滑って、擦り傷を付ける。赤く皮膚が擦り切れたが、痛みは緊張と寒さで感知できない。
しかも、霊体に近づくにつれて、箒の飛翔速度が落ちていく。ついには、霊体から一定の距離で、先に進めなくなった。
何か、通常の魔力を阻害するエネルギーが放たれている。それは魔力波に近い力を発しながら、発電所のほうに影響している。
アンは状況を察し、一秒ほどの間に頭の中で必要な術を考えた。
解除、浄化、封印、回帰……。そう思考を巡らせてから気付いた。
この霊体は高圧で集まった力が変換されて別種の性質を得た、神聖物だ。邪気や邪霊を封じる方法は受け付けないだろう。何か、もっと、複雑で強力な魔力源が必要。「これ」を作り出しているエネルギーを、相殺する別種のエネルギーが……そう思って、肩越しに後ろに目を向けた。
発電所の中で暴れ狂っているエネルギー。あれが使えれば。
――ランスロット。
心の中で呼びかけたが、声は届いているだろうか。
――ランスロット、貴方の力を……。
呼びかけてからしばらく、変化はなかった。念話が届くには遠距離すぎるか、と思った途端、発電所の中から湧き出ていた光の炎が一際強く輝いた。
その炎の中に、細かく粉のように散った青白い霊力が宿っている。ランスロットが、発電所に宿っていた死霊の炎を乗っ取ったのだ。
――三十秒。
ランスロットの声がアンの頭に響く。
――支配できるのは三十秒。
アンは大地に右手をかざし、力を集中した。
――充分。
そう答えてから、アンは箒を押さえている左腕に痛みを感じた。
左腕の中程。丁度、エムを抱えていた時に彼の体に触れていた箇所が、更に冷たくなり、皮膚は青黒く浸食されて行く。構ってる暇はない。
ランスロットの乗っ取った魔力を右手に集める。それは、地面まで届きそうな炎の剣のように見えた。それを片手に握りしめ、アンは巨大な霊体の方向に、刃を振りかざした。
アンの力を阻害していた魔力波が弱まる。
一閃の流れ星のように、アンは霊体の心臓部に飛び込んで行った。
「天の使い」のような霊体は、翼のように見える腕を伸縮させ、突き進んでくるアンを掴もうとした。
素早く箒の方向を操作し、アンはその腕を掻い潜る。
間合いを見極め、右手に掴んだ炎の剣を、霊体の胸に突き刺した。
強いエネルギーの衝突が起こり、手に肉を切るより鈍い、岩を貫いたような「手応え」がある。
抉るように刃を捻って、同時に封印の力を展開する。
アンの作った魔力の渦の中で、「天の使い」は形を無くし、一片の炎として地上に落ちようとした。
朱緋色の瞳に、光を放つ光の躯が映る。
同時にアンは、その、原形を失った霊体に、片手を伸ばした。
衣のように見える部分を掴み、「天の使い」を引き寄せる。ドクンと心臓が跳ねる。駄目だと自分に言い聞かせる声は、消えていた。
彼女は、犬歯の目立つ口を開け、「それ」を体内に取り込んだ。彼女の体の中で、霊体は宿主の意識を侵食しようと足掻く。
いくら暴れても、アンは抵抗力を持たない五歳の子供ではない。
十二年の錬磨と、彼女の中に在る意志は、異なる霊体を恐れはしなかった。
胃袋の中で霊体は瞬く間に分解され、宿主の一部となった。
冷え切り、凍傷の様子を見せかけていた左腕の後が薄く消え、熱が戻る。体が温まると同時に、アン・セリスティアの魔力は、また人間の範囲から遠ざかった。
空中に浮かんだままの彼女は、無表情にくるりと身を翻し、発電所に向かった。
木曜日深夜二時五分
地面では地震が起こっていた。正確には地震ではない。呼び出されるように、地上へ湧き立とうとしている霊体の起こす、振動だ。
地下に充満した死霊は、以前封じられた東側にあるもの以外の、町中のマンホールから溢れ出てきた。
「総員。配置に着け!」と、ワルターが緊急指令を飛ばした。
浅い眠りから覚めた局員達は、夫々の得物を持って移動する間も、地下から粘液状の死霊が溢れ天空に伸びて行くのを見た。
泡立ち、異臭を漂わせながら、地下に根をのばした死霊は、中央区の上空で一塊になって、分厚い幹を形成し、天空で分裂して枝を作った。
「こんなもん……」と、ある局員が溢した。「どうやって『片づける』んだよ……」と。
「怯んでる場合じゃない!」と、モニカ・ロランが激を飛ばす。
「枝が町を覆ったら、私達も死ぬと思え!」と、ナズナ・メルヴィルも声を飛ばす。
「お……おう!」と、及び腰になっていた局員は、若い術師達の力強い声に、気合いを入れなおした。
ウルフアイ清掃局員達の情報網には、ガーランドとライプニッツも参加している。
中央地区で異変が起こっている事を知らされ、遠距離から「粘液の樹木」を目視した。
吸引機を装備していたガーランドと、ボーガンのような得物を持っているライプニッツは、状況を理解し、ライプニッツが移動手段にしているジープに乗り込んだ。
揺れの続く地面を、ジープは疾走する。
「最悪の事態と呼んで良いのか?」と、ガーランドは助手席で言う。
「まだマシじゃないか? アンとエムに何か起こるよりは」と、ライプニッツは返す。
「会った事も無い人間を信用するんじゃない」と、ガーランドが苦言を呈す。「今度、近くでよく見てみろ。ビクビクしたお転婆と、生意気な悪童だぞ」
「ああ。今回生き延びれたらな」と、ライプニッツは返し、ハンドルを握る手に力を込めた。
深い地響きが、東地区にも聞こえてきた。




