16.ご静粛に
木曜日零時四十五分
アンは発電所の北側に到着した。人工的に作ったらしい小さな林があり、木々と茂みの中に身を隠せる。
この町に来てから、小さな植え込みなら見た事がある。
が、人の姿を隠せるほどの林をどうやって「岩盤の地面」に生やしていているのか……と考えてみたが、足元で質感と力を探ると、深い池のように岩盤を抉って土を均し、その土に「生成」の魔力を込めているのが分かった。
やっている事は、植え込みを作る方法とそう変わらないようだ。
アンは口と鼻をマフラーで覆い、呼吸と魔力の気配を封じて崖際の林に潜む。
この距離なら透視できなことも無いが、結界に類似した何かの影響力が邪魔をしている。せめて、壁の内側に入らないと、透視の術も使えない。
何処から入るの? そう意味を込めて、辺りを見回した。
林から見回せる範囲では、壁の内側に通っている物は、ダストシュートしかない。いくら細っこいと言われても、アンが入れそうな大きさの「集積口」ではない。
どうするか考えながら辺りを見回していると、ポケットが熱を持った。アンはポケットからペンダントを取り出す。
銀のペンダントは、青白い粒子を纏って静かに光っている。
発電所の壁の外を、こちら側のほうに、誰かが向かってきた。
その人物が通った時、壁にすっかり一体化されて姿も見えなかった裏口が開いた。
ランスロットは、歩いてきた人物の中に霊体を飛ばす。
アンがランスロットの「乗り移った者」の様子を見ていると、なんでもない風にこちらに背を向け、片手を上げて見せた。
それが合図であると気づいたアンは、闇の中に紛れながら、裏口に近づいた。ランスロットの乗り移っている人物は、何も気づいていないように、集積所の掃除をしている。
アンがその人物と目を合わせようとすると、彼は視線を施設の建物のほうに向けた。「先に行け」と言う事だろう。
その指示に従って、アンは建物の敷地に入り、窓からの明かりが届かない場所に身を潜めた。
電気の明りに照らされている内部では、人間の崩れた者達と、人間らしき者達が、書類を転写したり、水晶版に何かを打ち込んだりと、作業をしている。
その者達は、不意に天井付近にあるスピーカーのほうを見た。
指示を受け取ったらしく、働いていた者達は夫々の作業を中断して、見えていた部屋から何処かに去ってしまった。
掃除夫の意識から移動してきたランスロットの霊体は、またペンダントの中に戻る。
――見通すのはお前の仕事だ。
ランスロットの意識の声が、アンの頭の中に響く。
――発電所全体が邪気に汚染されている。気を抜くと、意識を侵食されるぞ。
――了解。
そう念話で答え、アンは、目に魔力を込めて、構造物の壁を透かした全体像を、透視する。
施設内部を見回しているうちに、エムの居る部屋を見つけた。
彼はベッドに横たわった状態で、眠って居るように見える。
薬物を注射されたわけでもないらしい。顔つきはアンが見つけた時や、補給所に匿われていた時よりふっくらしていて、血色も良い。
誰かが移動式の寝台を押しながらエムの部屋に入ってきた。その体をそっと横抱きに持ち上げる。
別の寝台に横たわせられても、エムは目を覚まさない。すっかり安心しきっているようだ。
何処かに運ばれて行くエムの様子を見て、アンは思わず止めに行こうと、広大な発電所内を踏み出しかけた。
ランスロットの念話が聞こえた。
――お前が行ってどうする。奴等の思うつぼだ。
アンも念話で答える。
――そんなこと言っても、このまま放っておくわけに行かない。
――そう言う事じゃない。
ランスロットが言う。
――俺が行けば良いんだ。お前は……上空で、待機。
アンは確かに自分の能力では、エムを「探し出す」事は出来ないと察した。
――ランス。
アンは拳を握り、念じる。
――エムを殺さないで。
――悪いようにはしない。
その言葉を残して、ランスロットの霊体は発電所の内部に飛んで行った。
木曜日一時三十分
補給所で目を覚ましたフィン・マーヴェルは、不寝番をしていてくれたはずのランスロットが居なくなってるのに気付いた。
その代わりにカウンターの上には、彼が宿っていたらしい、紙の人形が、一枚。
更にその隣には、例の白いインクで「奇妙な模様」と、短い単語、それから矢印が描かれている。
「アン……エム……」と読み上げて、乾きかけているインクに触れないように、矢印が文様のほうを刺しているのを指で追う。
文様の意味が分からないフィンには、メッセージの正確な意味は読み取れなかった。しかし、何か重大な兆候のように思う。
そろそろ、外から「邪霊吸引機」の試運転をしているシェルとギナが戻ってくるはずだ。意見を聞いてみよう。
清掃以外の術師としての知識を必要とするなら、ウルフアイ清掃局の情報網を当てにするしかない。
しかし、なんでラムはこんなものを残して、何処かに行ってしまったんだろう。東地区のオペレーターとして会った時から、慎重であると同時に行動の早い人物だと思っていたが、素早く行動しなければならない何等かの状態に置かれてたのか?
「アンとエムが……この、模様の場所に?」と、推測を思い浮かべ、フィンは考え込んだ。
箒でホバリングしたまま上空で待機していたアンは、凍えるどころか、体中が熱くなってくるような感覚を覚えていた。大量に集中している魂を求めるような、魔力の高揚。
駄目だ駄目だ駄目だ。
頭の中で唱えて、アンは自分の体を結界で覆った。
私は「人を食う化物」じゃない。あんな事故は二度と起こさない。
幼い頃の検査の事故で、局地的な地震を起こした時。
アンは自分の周りに「術の贄となった者達の魂」が集まり、自分の身の内に取り込まれて行くのを、恐怖と共に受け入れるしかなかった。その現象を遮る術を学んでいなかったが故に。
体中に、痛みを伴う熱が流れ込んできたような感覚を憶えている。
大量の死者の魂を取り入れた後、それまで青かった彼女の瞳は、朱に近い緋色に変わった。
五歳の頃の彼女の起こしたような事故は、何も彼女が初めてのケースでは無い。
大量の魂と共に魔力を吸収した人物達は、意図的であれなかれ、異変を起こした時より更に強大な魔力を手に入れ、朱緋眼保有者と呼ばれる。
人間以上の魔力を持ち、生きた爆弾と揶揄され、同時に畏怖される、危険な生物になるのだ。
大概の場合の朱緋眼保有者は、人間としての権利を剝奪され、国や政府に飼われる事になる。
朱緋眼を持っていても、ある程度の自由が許されるには、公に管理される仕事に就くしかない。檻の中に閉じ込められ、実験生物として、そして爆弾としての価値だけを求められる生活から逃れるには。
アンがその時に選んだのが、ドラグーン清掃局への所属。
日々の鍛錬と激務は、彼女の望むものだった。少しでも、この忌まわしい力で、何かを救えるなら。




