28.続・ニシンの旅
幾何学模様の商品が絢爛な、バザールを観光して記念土産を買い、寺院や広場やらのあちこちで、記念念写を撮り、一行はようやく帰る気になった。
アンと龍族が元々落ち合わせた場所から、だいぶ東のほうまで移動してしまったので、帰りは「普通に」、夫々の家のある場所まで、飛行能力で帰る事にした。
バサリバサリと、巨大な皮膜の羽で風を捉える龍族の、邪魔にならない場所を、アンは箒で飛んでいた。帰ったらメリュジーヌにどう説明しようかな、と考えながら。
龍族達は暢気に「あー、面白かった」と言いながら、観光旅行の余韻に浸っている。
「なぁ、カトゥラ」
半裸になって羽の部分だけドラゴンの姿に戻ったトーラが、朱色の鱗の巨体を持った、上顎の片方の牙が欠けているドラゴンに声をかける。「ミハエルが、嫁を募集しているらしいけど、名乗り出る気は?」と。
朱色のドラゴンは黄色い虹彩を瞬かせ、表情こそ変えないものの、人間のように首を横に振る。
「だよね」と、トーラは意地悪そうに返す。高度の違う所にいた仲間の前にひらりと舞い降りて来て、「シェットは?」と聞く。
本来の大きさに戻した、空を泳ぐ白いドラゴンに乗っている黒髪のシェットは、横目でトーラを見ながら、やはり首を横に振る。
「バネッサは論外として、二件のあては外れた」と、トーラは灰色のドラゴンの横に来て嫌味を言う。
論外にされた老女のバネッサは、人間の姿のまま、適当な店で買った箒に乗って飛んでいる。年齢的にお相手の範疇ではないとしても、恋話には興味があると言う風に、頬に手袋をした片手をあて、仲間達の間をきょろきょろ見回していた。
「勝手に嫁を募集するな」と、灰色の鱗に覆われたドラゴンの姿のミハエルは、爬虫類的な口から人間の声を出す。
「なんだ。娘に母親を作ってやる気はないの?」と、トーラ。
「娘も年頃なんだよ」と、ミハエルは青い片目をトーラのほうに向けながら、文句を言う。「色々考えちまう時期だから、そっとしておいてやりたいの。むしろ、娘の婿を探す方が重要だ」
「えー。じゃぁ、誰か探しておく」と、トーラは余計な気を利かす。
「お前の人選は信用できない」と、ミハエルは断言する。「娘に見合う男と成ったら、父親がしっかり見極めて探してくるもんだ」
「そう言う所は古風だね」
「当然の親心だ」
「婿を探す前に、香水ハッカを塗ってから帰りなよ」
「言うな。それじゃあな」
そう言いながら、まず、ミハエルが翼で風を切って右方向に旋回して行った。郷里の娘は、土産のスカーフを気に入るだろうか。
次にカトゥラが、その次はバネッサが、その次はトーラが帰路に就き、メリュジーヌの家まで行くのはアンとシェットだけになった。
「うるさい男共だな」と、シェットは、アンの近くに龍を泳がせてきて言う。「戦場に行ったつもりだったのに、のほほんとした旅になってしまった理由は、どう説明するか考えてるか?」
「うーん。なるべく、旅行の事は伏せようかなと思ってる」と、アンは答える。「そうだなぁ……。ドラコニットもどきにかけた術が、行き渡るのを待ってたってことにしよう」
「名案だよ。しかし、ひとつ気になることがあるんだ」と、シェット。
「何?」と、アンは聞き返す。
「ニシンって、もっと北の生き物じゃなかったか? 確か、クオリムファルンでも珍しい物だろ? なんで、それが大量に……あの緯度の所に居たんだ? 中央海流は、確か暖流が通ってるはずだし」
そう言われてみて、アンは確かにおかしいと気づいた。
ニシンのギルドで、普通にニシンを焼いていた所から、何となく「この辺りでも普通に獲れる魚なのか」と思ってしまっていた。
もしかしたら、あの旅先ではすごく珍しい魚だったからこそ、何処でも彼処でもニシン祭りだったのかも知れない。
「それ、今気づいた」と、アンは正直に述べた。「中央海域に、寒流が流れ込んでるって事かな? でも、そうしたら、異常気象が発生するよね?」
「私の住んでる国では、もう発生してたぞ」と、シェットは世間話のように語る。「中間気候が無くなって、夏が終わったらすぐ冬が来る。それから、冬が終わったらすぐ夏になる」
「それ、もっと北の方の気候現象でしょ?」
「元はな。この三年くらいは、東洋はずっとその調子だ」
「なんてこった……」と呟いて、アンは黙り込んでしまった。黙り込んだまま、魔力が減退して行って、飛行高度がかくんと下がったので、シェットは慌ててアンの服の肩をつかむ。
「セリスティア。落ち着け。魔力は維持しろ」
「あぶぶぶ。危ない。ありがとう」
そう礼を言い、アンはシェットと同じ高度まで、箒の高さを持ち直す。「この星が、全体的に寒冷化してるって事なのかな?」
「その事も、メリュジーヌに報告したほうが良いな。彼女は北の海に詳しいから、何か知ってるかも知れない」
シェットのまとめを聞いて、アンは、重い息を吐いた。
自分が幼子に戻って過ごしていた三年間で、外の世界では何が起こっていたのだろう。
視線に気づいてハッとし、肩越しに後方を見ても、誰もいない。
「何してる?」と、先を飛んで行くシェットに声をかけられ、「なんでもない」と答えた。それから、減速していた箒に追加の魔力を込めて、シェットに追いついた。
七歳くらいの男の子と女の子が、知らない人間の居なくなった森の中を散歩している。
「この木、もう少し枝が丈夫で柔らかいほうが良いな」と、男の子は言う。その少年が手の平に不思議な力を込め、目当ての木に触れると、太い枝が柳のように垂れ下がった。
「エムツーはセンス無いな」と、女の子のほうが言う。「どうせ、ぶら下がって遊びたいとか、そう言う理由なんでしょ?」
エムツーと呼ばれた男の子は、「ん」と呟いて言葉に詰まる。実際、彼は、しなだれた木の枝につかまろうとしていたのだ。
「エムツー、サブターナ」と、ベールを被った半獣の魔神が呼び掛けてきた。「今日の散歩はそのくらいにして」
「えー?」と、エムツーは不満をもらし、「まだ十分間も歩いてないよ?」と、サブターナはきょとんとする。
「エデンの事で問題が起こったの」と、魔神は言って、幼い二人の手を引く。「あなた達も、状況を知っておく必要があるわ」
「はーい」と、サブターナ。
「めんどくさいなぁ」と、エムツー。
エムツーは、本心から面倒くさがっているわけではない。唯単に、カッコイイと思う台詞を言いたいだけなのだ。
しかし、サブターナは、七歳の男の子の「かっこつけ」には同意しない。
「面倒くさかったら、猿みたいに遊んでれば? 丁度、ぐにゃんぐにゃんにした木がある事だし」と言って、不気味な様子を見せている木の枝を指差す。
「エムツー」と、魔神は言い聞かせる。「勝手に種類を増やしたら駄目だと、言ってるでしょう?」
「良いじゃん。種類が増えたら、新しい名前を付ければ良いんだから」と、エムツーは自分の権利を主張する。
「無責任」と、サブターナは片手の人差し指を双子の鼻先に突きつけた。




