26.ニシンの旅
アンの名案から、あっさりと仕事が終わってしまった龍族の一行は、折角一日半かけて移動してきたので、しばらく外国を旅行する事にした。
「これが、この国で一番見ものの、寺院の庭」と、アンはガイドブックを読みながら、みんなの旅行の案内をする。
シンメトリーを保って整えられた庭は、水を湛えた池に寺院の屋根が映り込み、なんとも栄えた景観を見せている。
「人間って左右対称の物が好きなの?」と、革のマスクをした三つ編みの少女が案内役に話しかける。
「国と人に依るんじゃないかな。シンメトリーが好きな人も、アシンメトリーが好きな人も」と、アンは答えた。それから三つ編みの女の子に聞く。「カトゥラ。記念写真撮る?」
「え。良いの? 是非是非」と言って、女の子は庭の景色の前に立ち、片手を頬に当ててポーズを決める。
アンは片手にポラロイドのフィルムを持ち、目の前の様子をよく見てから、目を閉じる。霊体の片手に魔力が集中し、普通にポラロイドを撮るより、くっきりとした像が浮かび上がった。
「わー。天然色だ」と言って、カトゥラと言う女の子は、アンの手から乾いたばかりのフィルムをひったくる。「やっぱ、アンってこう言う事上手いよねー」
「ほほほほほ。おだてても、写真以外は何もでないよ」と、アンも気分が良さそうに返す。
トーラはカトゥラの手の中を見て、本物より顔が少しちっちゃいなと思った。
風景の後は食べ物を楽しむ。ケバブが有名だそうなのだが、何故か魚のケバブや、串焼きにしか出会えない。
肉のケバブが食べたいと言う、旅行者達の希望を叶えるべく、アンは道行く人に聞いたり、魔力的に調査してみたりした。
その結果、「なんか、先週あたりから、ニシンがすごく豊漁なんだって。たぶん今は、この辺りの何処に行っても、『美味しいニシン』にしか出会えないっぽい」と分かった。
旅行者達は、鮭のケバブで妥協した。
長距離通信用のボックスに入ったアンが、観光ガイドの中の一つ星のホテルに連絡し、予約を取っている。
部屋は開いているが、二部屋しか確保できない。そして、ボックスの周りにはお腹を減らした五名の旅行者が、張り付て待っている。
男女で分かれてもらうか、と思いながら、アンはその一つ星ホテルを予約した。
ホテルで休憩してから、男性陣は外に夕飯を食べに行くことにしたようだ。女性陣は「一応人間っぽく」、ホテル内にある、安全な食堂に足を運んだ。
アンが外に出かける者達の背を気にしていると、「あのゴロツキ共なら大丈夫」と、シェットに言われて、それもそうかと納得した。
良い服を着ているとか、カネを持ってそうだとか言って、彼等を襲撃しても、返り討ちにあって逆に身ぐるみを剝がされるだろう。
身ぐるみを剝がされるだけならまだ良いが、彼等の気分によっては全身の皮膚まで剥がされて、何処かのビルの避雷針にでも串刺しにされるかもしれない。
それはそれで人間にとっては一大事なんだけどな……と思いながら、アンはこの国の「悪漢」が、龍族のゴロツキ達の機嫌を損ねない事を念じた。
女子四人でテーブルについて、ウェイトレスに夫々食べたいものを注文する。
アンが霊体の状態だと気にする者はいない。アンにとっても、「自由に姿を消したり現わしたりできる便利な状態」である以外に、あまり体に居る時と変わらない気がする。あの庭で、ローズマリーの魔力に守られたまま、三年間を人間のような霊体として過ごしたからだろうか。
「三人連れでも四人連れでも、変わらない」と、バネッサが気取って言う。「誰が何処にいて、どんな様子かなんて、ほとんど気にしてる者はいないんだから」
「まぁ、そうでしょうね」と、アンは答えてから、運ばれてきた料理を見て、「これがシェットの頼んだお米のケーキ。それから、そっちがカトゥラの頼んだひよこ豆のコロッケと、バターピラフ。それから、バネッサの頼んだ羊の内臓のシチュー」と、説明する。
「アンのは?」と、カトゥラは興味津々だ。
「唯のカナッペ……いや、ニシンと羊肉が使われているカナッペ」
「カナッペ好きなの?」
「うん。香ばしい物とか、焼いた小麦粉が好きなんだと思う」
「へー。まぁ、異国のそれも珍味だよね」
そう言いながら、革のマスクを外して膝に置いたカトゥラは、フォークを手に取って、ひよこ豆のコロッケを刺し、切りもせずに口に運ぶ。
ホテルの格式とやらからすれば、ナイフで切って一口ずつ食べてもらいたい所だろう。
しかし、シェットも、ナイフで米を包んでいる野菜を切ってから、持ちやすいようにフォークを返してスプーンのように使い、パクパクと言うか……ガツガツと米と野菜と肉の塊を食べている。
バネッサの頼んだシチューに関しては、内臓はちゃんと細かく切られているようだ。しかし、彼女は彼女で、せっかく切られている肉を寄せ集めて、口いっぱいに頬張って噛む。
豪胆な淑女達に囲まれ、アンはカナッペを口にしまいながら、「そう言えば、メリュジーヌも、何か食べる時は豪快だもんな」と思って、気分を落ち着けた。
食事は遠慮なくがっつくと言うのは、龍族の慣習なのかもしれない。
外で食事を摂る事にした龍族の男性陣。青髪のトーラと隻眼のミハエルは、美味しそうなにおいを流していた定食屋で、バネッサが食べていた物によく似たシチューを食べていた。
しかし、ホテルの物と違って、内臓は細かく切られていることは無い。ぶつ切りにされた色んな形の臓物が大量に煮られている。
料金を増す代わりに卵を二つずつ入れてくれと頼んだら、大きな首肉の塊をおまけで器に装ってくれた。
トーラ達は、熱々の肉の塊を、「美味い美味い」と言いながらガツガツ食う。
「やっぱ、肉だね」と、トーラはボソッと言う。
「だよな。肉だよな」と、ミハエルも同調する。
「羊って意外と美味いんだな。家に帰ったら育ててみよう」と、トーラが言うと、「お坊ちゃんは発想が違うな」と、ミハエルが返す。
「いや、自分の家で食べる肉くらい、鮮度の良いものを選ぶだろ?」
「庶民には、家で羊を飼う事を選ぶ財力はないんだよ」
「僕が貴族の義務を果たして無いと?」
「そう言う事は言ってない。単に、一般的な財力の話。一般人の暮らしをしてたら、肉は市場店で買うものなんだ」
「圧縮機関のおかげ様か」
「そう言う事。気を付けておけば良いのは、肉が店に並ぶ時間だけ」
「ミハエル。お前、新しい嫁でももらったのか?」
「片目の男に惚れる女が居たら、な」
「まだやもめか」
「娘が最近、『お父さん爬虫類くさい』と騒いでいる」
「風呂には入ってる?」
「入ってるよ。体中の垢を落として、髪も洗ってる。しかし、何故かくさいと言われる」
「人間の女はにおいに敏感らしいからね。香水ハッカでも手に塗ってれば良いんじゃないか?」
「考えておく」
そんな会話を交わしながら、もりもりと肉と卵を食い漁った二人は、スープ一滴も残さずに器を開けて、定食屋を後にした。




