13.眠れない夜
眠れない夜は、出陣の前の夜である。
二段ベッドの下から、「なぁ?」と、ノックスの声がする。
ようやくうとうとしかけていたガルムは、「あ?」と寝ぼけた声で返事を返した。
「やべ。眠りかけてた? ごめん」と、ノックスは一回謝る。
「うん」と言って、もう一度眠ろうとしたが、一度覚めてしまった眠気が戻ってこない。「やべ。眠気覚めたー」と、ガルムは嘆く。
「あはははは」と、擬音通りの笑い方で、ノックスは笑う。ついでに「あのさぁ」と話を始める。「お前、祈る女、決めた?」と。
兵士達の間で、祈る女と言えば、戦地に向かう時に、最期に心の中で祈る「愛すべき女」の事である。
「決めたと言うか」と、眠ったふりでもすれば良いのにガルムは話に乗ってしまった。「昔から居る」
「ママァですか?」と、ノックスはふざけてくる。
「違う」と、ガルムは切り捨てる。
「じゃぁ、誰? 名前は?」と言う追求に、「あ…アンナイト」と答えた。
「あの機械を女って」と言って、ノックスは枕にうつ伏して大笑いする。「そんなにウマが合うのかよ? その……レディと?」
「まぁ、イイ女ではあるよ」と、ガルムは億劫そうに言う。「下品な意味じゃないけど」と付け加えて。
「うん。下品な意味には取らないようにしているけど、注釈をつけられると意識してしまう」と揶揄ってから、ノックスは「俺、マリン・ナーサリーに設定してんだよね」と言ってくる。
「アイドルの?」と、ガルム。
「ああ。中々、リアルで出会えるイイ女が居なくてさ」と、ノックス。
「ちょっと年上だけど、ルイザさんはどうなの?」
「うーん。彼女、永遠の二十代だけど、流石にお姉さん過ぎるわ」
「同年代と恋をしたいのか」
「若干年下も範囲内よ?」
「若干てどのくらい」
「マイナス五くらい行ける」
「まて。十二歳は初等科だぞ」
「駄目かな?」
「やめとけ。犯罪になる」
「えー。二十五歳と二十歳の恋愛はありだろ?」
「俺等が五歳下を範疇にしたらあかんのだ」
「あー。俺等がまだガキって事ですか?」
「まぁ、お姉さん達には『キッズ』だと思われてるからな」
「キッズがチャイルドに手を出したらならんのか」
「手を出す気なのか?」
「思うだけにしとく」
「思いもするな。気持ち悪いから」
そんな少年達のボソボソした会話を遮り、ゴンゴンッとノックが響くと、「眠れガキ共」と見回りの声が廊下から飛んで来た。
ガルムが軍に入ってから、一部の人間だけが知っている情報として、彼の持っている莫大な神気を使った兵器の開発が急がれていた。
その兵器の名は、「AnNight」と言う。その兵器を使用する間、操縦席のパイロットは完全な暗闇に閉ざされ、意識が「照射」された場所の情報しか分からなくなる。
故に付いた名前だが、アンナイトに搭載されている交信人格は、その名前を「不服ながら」と前置きして名乗る。
交信人格であっても、自己認識と言うものはあるらしい。自分と言うものを認識できなかったら、敵や対象物と言うものも認識できないのだから、「自他」くらい分別するだろう。
ガルムは、アンナイトを操作する間、時々同じ香りの気配を感じていた。蒸気を含んだ花の蜜のような香りだ。
もし、それが香水なのであったら、「ねーちゃんと同じ香水のにおいがする」と思っただろう。
しかし、あの香りは魔力を感知する時の錯覚とも言える感覚である。同じ香りを再現することは出来ないだろうが、ガルムが持っている魔力は姉から譲り受けたものだ。
もしかしたら、自分が放ってる魔力を自分で感知しているだけなのかもしれない。そう思ってみても、その香りを嗅ぐと胸が痛むのも事実だ。
ガルムを生き延びさせるために、姉は「まだ魔力の進歩に可能性がある」と信じて、弟に魔力を譲り渡した。その影響で、姉の体は命が辛うじてつなげるだけの生命力しか残らなくなった。
二人で死ぬ必要は無い。そう姉は思ったのだろう。もしくは、姉一人が生き残る事を拒んだのだ。
「困難な思考を開発中」と、アンナイトが話しかけてくる。「脳波が不規則に動いている」
「うん。α波は出して無いと思う」と、ガルムは冗談を言う。「アンナイトは、自分にきょうだいが居たら良いと思う?」
「同型機の増産について」と、アンナイトは答える。「現在の術的基盤では、ガルム・セリスティアの神気レプリカを製造しなければ、本機の複製は不可能」
ガルムはそれを聞いて、声を殺して笑った。
「何故笑う?」と、アンナイトは聞いてくる。
「同型機とか言う話じゃないんだよ」と、ガルムは息継ぎをしながら言う。「何か……親近感とか、情とかを感じる間柄と言うか」
「セミプロトタイプのアンファイル」と、アンナイトは言い出す。「彼は私より先に開発された、より低知能な姉妹機である。しかし、彼の製造過程に開発されたパーツは私の一部として機能している。それらのパーツの機能は良好であり、それは私にも望ましい状態である」
「あ……。ああ、そう……」
魔獣的な会話能力はあると説明されていたけど、所々機械っぽいな、とガルムは思った。
その日、ガルムが居室で眠っていると、十七歳の頃のアンが夢に出てきた。子供を寝かしつけるみたいに、額を撫でてくれる。
ほう、これは良い夢だとガルムは思ったが、次々にフラッシュするシーンを見て飛び起きる事になる。
最初に観たのは、捩じれた木々の生える森の中を、朱色の瞳をした双子が歩いている所だ。その森は、先日、要岩を直しに行った時に通ったあの火炎の森だ。
次に、何処かのマグマが暴れている映像。目を閉じたままの、溶岩で出来た巨大な赤ん坊が、大地を裂き、その中から這い出て来ようとしている。
次に、打楽器を叩き、踊り狂い、咆哮のような声を上げる人ならざる者達の祭り。彼等は地下に巣くっており、其処に充満する邪気を濃縮しているように見えた。
最後に、正常な意識を奪われ、囚われている人間達。彼等は順番に贄として先の祭りに捧げられ、人ならざる者に魔力を提供している。
そこまでの情報を、正味二分もかからないうちに頭に植え付けられ、ガルムは息を切らせながら体を起こした。
下のベッドを覗いても、ノックスは居ない。何処かの土地に、偵察の任務に出かけているのだ。
あいつは、赴任先で喉を鳴らして眠ってたりしないだろうな、と、ガルムは余計な気を使う事で寝覚めの悪さを誤魔化した。




