14.フィンの悩み
水曜日二十四時
「邪霊吸引機」は順調に動くようになってきた。
補給所にギナ・ライプニッツを呼んで、事情を話し、シェル・ガーランドと交代で試運転を繰り返してもらっている。
流石に、これ以上ガーランドと酷使すると、彼女がストレスで参ってしまうだろう。
十回くらい試運転をしても余りが出来るように、ランスロットに大量の霊符を用意してもらい、マーヴェルはそこに「浄化」と「状態保存」と「状態回復」の力を込めていた。
ラムは筆と言う異国の筆記用具で、特製の黒い札に白いインクで文字を書いている。
「変わったインクだね」とは聞かない。成分の中に、不気味に思える物が使われている事もあるからだ。それを知ってしまったら、フィンは術に支障をきたす。
自分の、「条件が清らかな状態でしか発動できない」と言う、術の限定的な性質には、フィンは負い目があった。
彼女が、まだ二十代前半だった頃の事だ。当時の仲間が、目の前で狼の頭を持つ邪霊に腕を食われた。
「フィン、治してくれ!」と言って、仲間は引き千切れた腕の傷口を片手で止血しながら、訴えてくる。
しかし、フィンは見てしまった。嚙み切られた腕を、旨そうに咀嚼する邪霊の姿を。あれは、もう戻せない。そう、思ってしまった。そう思いながら、仲間に「状態回復」の術をかけた。
邪霊の腹の中に入ろうとしていた肉塊が、仲間の腕に戻り、傷が治癒した。
だが、邪気に感染した仲間は、意識の異常を訴えた。
最初は頭を振ったり、手足を震わせたりしていたが、「腹が減った。腹が減った。腹が減った」と繰り返し初め、ついに、さっき治してもらったばかりの自分の腕に食いついて、歯で肉をそぎ落とし始めた。
フィンは咄嗟に「祓い」をかけたが、出力が非常に弱く、邪気に対して術が効果を発揮しない。
「元に戻せない」と言う絶望は、彼女の能力全てに影響を及ぼしたのだ。
それ以来、フィンはファルコン清掃局でも腫物のように扱われ、前線に出ることを禁じられた。
人伝にしか外の世界を知らない状態での、仲間達の仕事の補助と、長期間に渡る仕事の時の回復設備の設置と維持。それがフィンに任される役になった。
仕事に文句はない。しかし、フィンには、前線に出るための能力が無い。いや、出るべきではない能力しか持っていない。
そんな事を思い出す度に、フィンは表情を曇らせるのだ。
「医者と科学者は、前線には出ない」
フィンの顔を横目で見ながら、慣れた手つきで筆を振るい、ラムは言う。
「お前は『医術師』だ。駐屯地で、怪我人を待つのが仕事だ。何よりも優秀な仕事をするには、いつでもお前が補給所にいるって言う事だ。それで、此処に来る奴等はみんな安心できる」
そう言って、ラムは一枚の霊符を仕上げた。筆を墨入れに突っ込み、座っていた椅子をくるっと回してフィンのほうを見ると、「炎の中で息をしろって言っても、無理だろ? 泉が無きゃな」と言う。
「そうだな」とだけ、フィンは返した。
邪霊の渦巻く炎の中で、安らげる泉を作り出せることを、誇ろう。
フィンは自分にそう言い聞かせ、「ありがと。ラム」と言って、片手を差し出した。
ラム・ランスロットは、その手と手を打ち合わせ、「チームだからな」と言うのだ。
自分の述べた言葉は、全てチームとして、仕事をするために必要な事。そう、ラムは言いたいのだろう。
フィンは考えた。
私は、補給所に「逃げこんで居る」わけじゃない。「逃げ込んで来る者」を守るために居るんだ。大丈夫。私は、守れる。救える。助けられる。そのためには、一欠けらの希望も失わない事。
希望を失った瞬間、崩壊する術しか使えないなら、私だけは最後まで希望を持ち続けよう。どれだけの苦難が、この先に在っても。
胸の前で硬く手を組み、居るかも知れない、居ないかも知れない、神と言う何者かに祈った。
明るい空を観るのが怖いくらいの、静かな夜だった。
補給所のベッドが懐かしいなと思いながら、アンは宿泊施設の普通のベッドで、何時もの浅い睡眠をとっていた。
ウルフアイ清掃局の作戦会議が終わったのが十九時。それから一時間の間に、有能な清掃局員達は速やかに町を移動し、夫々の持ち場に一番近い宿で眠った。
彼等と行動を共にしてたアンも、個室を提供してもらって休んでいる。
メルヴィルは言っていた。
「宿はその分の仕事をしてる連中だけの贅沢。小屋に干し草敷いて眠ってる局員もいるからね」
そう言う彼女も、何処かで難敵に遭遇したらしく、右頬に、邪気による火傷を負っていた。
アンは、人差し指に力を宿し、その火傷に細やかな「浄化」をかける。
「ありがと」と言って、メルヴィルは笑顔を見せた。
本当に、この仕事は激務だ、とアンは思う。
だが、毎日魔力を維持して、一定の力を常に使い続けていると、魔力の許容値に安定を生む。
掃除の仕事は好きだ。
周りが綺麗になって、みんなが笑顔になって、私は安心できる。
もし、清掃局に雇われて居なかったら……きっと、毎日ずっと空を飛んでいるだろう。飛べる場所まで旅をして、そのまま燃え尽きて死んでしまうのも悪くない。
そんな風に考えて、アンは眠りながらくすっと笑った。笑ったせいで本当に目が覚めてしまった。
せっかく気分良く眠ってたのに、と、完全に覚めかけた意識を再びリラックスさせる。
ずっと右を下にして眠って居たので腕が痺れてる。寝返りを打つと、何かの光が瞼の裏に光った。
ぼんやりと薄目を開けると、白く小さな、小指ほどの大きさの白い人影の群れを朧に見えた。それが「妖精」であることに、アンは気づいた。
妖精達は、アンにだけ聞こえる声で、クスクス笑いながら口々に言う。
「眠ってる? 本当に、眠ってる?」
「いいや。半分起きてるよ。彼女は何時だってそうだ」
「何時だって臨戦態勢」
「なんで眠ってるふりしてるの? 一大事なのに」
「今にも自分達が食われる所だなんて」
「思ってないからさ」
「でも、彼女は起きてるよ」
「それなら、何とかなるかなぁ……」
そう言って、妖精は、瞼をぼんやり開けたままのアンの眉間に触れる。
連続的な映像が見えた。
寝台に眠って居るエム。発電所の中の光。光と溶け合う強力な邪気。
摘出されたエムの魂。その魂の周りに纏いつく電光。寝台の上で発作を起こすエム。
頭を抱え込み、その背からは電光の翼が生える。
アンと同じ、朱い瞳を開き、エムは覚醒する。
電光の翼と衣を纏う、天使のような姿を得て。
がばっと起き上がると、妖精達の光と声は遠くに消えて行った。
アンの心の中に、以前夢の中で観た、壊れて行った人形の事が思い浮かぶ。
今、自分が知った事を、他の清掃局員達が知れば、全力で「器」であるエムの体を壊そうとするだろう。
それなら、どうする?
技能習得の間に、何度と問いかけれた「最善の選択」を想起する方法。
呼吸を落ち着け、アンは宿泊施設の部屋に設置されているメモ用紙に、傍らのペンを走らせた。
「挟み撃ち」と、素早く綴りを書き、ペンを置く。
置手紙を残すと、アンは箒を手に取って宿を離れた。
ランタンを持つのも忘れ、夜の、人の家の明かりも無い道路に飛び出して箒を構えると、月と星の浮かぶ雲の切れ間をめがけて、飛んだ。




