10.懐かしの箒
廊下の奥から、踵を打ち付けて走るような、特有の足音が聞こえてきます。
アンバーが戻ってきたんだと思って、アンちゃんは嬉しくなりました。ようやく、退屈な廊下と、瞬きする度に見えるグチャグチャから解放されます。
淡い影の中から、姿を現したアンバーは、少し慌てているようでした。
「どうしたの?」とアンちゃんが聞くと、「アンに、頼みたいことがあるの」と、アンバーは言います。
アンバーが言うには、アンバーの双子の妹が、邪気と言うものが関わっている悪質な病気にかかているのだそうです。アンちゃんには、きっとのその病気を治せる力があるから、協力してほしいと言います。
「いいよ」と、あっさりアンちゃんは承諾しました。
病気を治す魔法はまだ使った事が無くて、どのように力を使えば良いかは分からないのですが、アンバーが「きっと治せる」と言うのだから、治せるだろうと思ったのです。
アンちゃんが床から立ち上がると、アンバーは早速アンちゃんの手を引きました。
ごうううううと言う、不思議な音が鳴っています。風が渦を巻いているようにも、水が渦を巻いているようにも聞こえました。
「アンバー。此処何処?」と、アンちゃんが聞くと、「何処でもない!」と、唸りの音に負けないようにアンバーは大声を出します。「世界の隙間!」
「え? 何?」と、アンちゃんが聞き返すと、「二回は言わない!」と言って、アンバーはしり込みをしているアンちゃんの手を、手首を、より強く握りました。「飛び込むよ!」
「えー?!」と、アンちゃんが叫ぶ間に、アンバーはアンちゃんの手首をつかんだまま、空間の底を蹴って跳躍しました。
二人の体は、エネルギー流が渦を巻く、世界の隙間に向けて吸い込まれて行きました。
星がチカチカしています。月もゆらゆらしています。何とも、今日は月見日和であったかとアンちゃんは思いました。
チカチカする星もゆらゆらする月も、光の波長を溢していて、それは何かの通信のように思えました。
月と星は何を言っているんだろうと思って、耳を澄ましましたが、それはどうやら空気を叩く音では無いようなのです。もっと、魔力的な力で捉えなければならない、何等かの現象であるのです。
「アン。アン! 起きて!」と呼ばれて、頬っぺたをパチンと叩かれると、アンちゃんは夢から覚めました。
そして、自分が知らないお屋敷の知らない寝室の床に寝転がって居ると分かりました。体を起こしてみると、壁の一面は大きなカーテンで覆われていて、もう一面は高い所に明り取りの窓があります。その下に、外を見るための飾り窓があって、それもカーテンで覆われていました。
飾り窓の手前は、ちょっとした小物が置けるように凹んでいて、其処にレディベアのぬいぐるみと小箱のオルゴールが置かれていました。
それから、飾り窓の前には、一台のベッド。
アンちゃんが床から立ってベッドを見てみると、其処に、アンバーとそっくりの女の子が眠っていました。アンバーと違う所は、女の子が肩の辺りで三つ編みを結っていて、綺麗なパジャマを着ている所です。
「この子が、私の妹。サクヤ」と、アンバーは言いました。
「ずっと、離れて暮らしてたの。でも、病気だって分かって、私もサクヤを治そうとしたの。だけど、私の力じゃ、悪い気を完全に消せない。それで、アンに、この子の病気の素になってる、『邪気』を消してほしいの」
「じゃき……って、どうやって消すの?」と、アンちゃんは聞きました。それから、お医者さんの真似をして、サクヤの頬と首筋に触れて、手首の脈を測ってみました。
その時、アンちゃんの両手に、ぞわっとする感じがしました。触れると気持ち悪い事が起こる「何か」が、この子の体の中にあると分かったのです。
「この、『ゾワッ』ってするのを消せば良いの?」と、アンちゃんは確かめます。
アンバーは、「そう」と言って頷きました。
「どうやれば良いかな?」と、アンちゃんは方法を尋ねました。アンバーは人差し指で自分の顎をつつきながら考えて、「この子の病気が治りますようにって、お祈りしてみて」と言いました。
「わかった」と言って、アンちゃんは月の魔術を使う時の指の印を組み、「この子の病気が治りますように」とお祈りをしました。
体の中に魔力の流れが出来て、印によってそれは術的な作用を得、サクヤの体の中に吸い込まれて行きます。
だけど、アンちゃんは「なんか違うなぁ」と思いました。
その勘の通り、アンちゃんの魔力は効果を示しません。アンちゃんは、ずーっと昔の、古い記憶を思い出しました。そして申し訳なさそうに言います。
「アンバー。私、治癒って言う力、使えないんだよね」
「じゃぁ、アンが『こうしたら悪い所を消せる』って思う方法を使ってみて」と、アンバーは提案しました。
アンちゃんは少し考えてから、「箒はないかな」と言い出しました。
「箒?」と、突拍子もない事を言われて、アンバーは復唱しました。
「うん。箒」と、アンちゃんは重ねます。
アンバーは、部屋の隅で少女二人を邪魔しないようにしていた執事に、屋敷の箒を持って来てくれと頼みました。
ヒースの枝を束にした、使い込まれているけど良質な箒が届きました。
アンちゃんは、その箒についている埃が舞わないように気を付けながら、房を逆さにして柄を持って、自分の魔力を送り込みました。
「ちょっと充填に時間がかかりまーす」と、アンちゃんは暢気に言います。
アンバーと執事は変な顔をしていました。箒に何の魔力を充填しているのだろう……と考えていたのです。
しばらく箒を握ってから、アンちゃんは「あ。丁度良いですね」と言って、青白い光の燈った箒の房に片手をかざして、魔力を移しました。
そして、魔力の宿った片手をベッドの上の女の子の方に伸ばして、「ドーン!」と、掛け声をかけます。
青い落雷のような光と共に、強い浄化の力が、女の子の体を覆い通り抜けました。
目を閉じていた女の子は、風が吹いたような気がして瞼を開けました。すると、双子の姉の顔と、自分の知っているその人を、随分幼くて、瞳の色を青に変えたような女の子が、覗き込んでいます。
「サクヤ。気分はどう?」と、姉は聞いてきました。
「うん……。咳っぽくはないかな」と、サクヤは言いました。「もしかして、熱が下がった?」
どうやら、サクヤ本人は、自分は風邪を引いていたんだと思っているようです。
アンバーとアンちゃんは顔を見合わせて、ほんのりと微笑み、頷き合いました。




