8.神様を食べてる
心が眠って起きてから、アンちゃんはいつも通りに漆喰の廊下に居ました。目の前には閂のかかった青い扉、背の方には何処までも続く廊下と、そこに澱んでいる淡い影。
アンちゃんはいつも通りに、床に座ったまま、外を見ようと思って瞼を閉じました。
なんだか、グチャグチャしたものが見えました。それは、料理屋さんの厨房の様子のようでした。切ったり、砕いたり、叩いたり、掻き混ぜたり。
形を整えて、火を通して、お皿の上に取り取りの料理が並びます。
その後で、それを食べている人達が見えました。整えられたテーブルの上に、綺麗に整えられた料理の盛り付けが見えて、良い香りがします。
美味しそうだなと思いながら、それを見ていると、ふと視界が変わりました。
草地の中で、捕らえた獲物の肉を食べているライオンの様子が見えました。白と黒の子供のお馬さんが、雌ライオンに首を噛まれた状態で、彼等の縄張りに引きずって来られました。
アンちゃんは、「野生のライオンさんのご飯って、そうだよね」と思いました。
食べられている動物は、首筋を噛み切られ、内臓を食いちぎられました。それ等も、ライオン達は残さず食べていました。
このお馬さんを可哀想と思う事は、ライオンに死んじゃえって言ってることになるんだよなぁ……。
アンちゃんは立てた膝に頬杖をついて、難しいなと考えました。
次に、火山のような溶岩が流れている様子が見えました。それは、地上を流れているのではなく、地面の内部で流動する「マントル」と言うものでした。
アンちゃんは、その呼び方を思い出せませんでしたが、光を放っている溶岩は綺麗だと思いました。
ですが、耳元で、ぐちゃり、と音がしました。
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、と、何かが何かを咀嚼している音です。
溶岩の中に、一塊、人の形のようなものが見えました。それはまるで母親に抱き着く赤子のようです。
マントルの中にいる、歯の生えた巨大な溶岩の赤ん坊が、星の核を齧り、グチャグチャと貪っているのです。
星の核を見て、あれは神様の心臓だと、アンちゃんは思いました。神様の心臓を、誰かが食べている。
「アン」
背後から呼ばれて、アンちゃんは目を開けて振り返りました。
アンバーが、其処に立っています。ひどく驚いた顔をして。
「どうしたの?」
そう聞かれて、手の甲で頬を撫でられて、ようやくアンちゃんは自分が泣いていたのに気付きました。
アンちゃんは、自分が見た事をアンバーに話しました。アンバーは、「その、神様の心臓を食べていたのが誰なのかは分かる?」と、落ち着いた風に聞いてきました。
「赤ちゃんだった。歯の生えた赤ちゃん」と、アンちゃんは言います。
アンちゃんは、赤ちゃんはきっと自分が食べているものが、何なのか分からないのだと思いました。星の心臓を食べてしまうと、星は力を失ってしまうのに。
「赤ちゃんを止めないと、ならないかなぁ?」と、アンちゃんはアンバーに聞きました。
お馬さんを食べるライオンのように、あの赤ちゃんは星の核を食べないと、生きていられないのだろうかと考えたのです。それなら、赤ちゃんに食べるなと言うのは「傲慢」なのかなと。
アンバーも漆喰の廊下に座り込んで、「なんでその赤ちゃんが神様の心臓を食べてるか、分かる?」と聞きました。
「理由があるの?」と、アンちゃんは聞きます。
アンバーは穏やかな声で、でも厳しく言いました。
「星の心臓を食べた者はね、星になるの。その赤ちゃんは、星に寄生して、次の神様になろうとしてるの。でも、それは決して、許されない事なんだよ」と。
「なんで?」と、アンちゃんは聞きます。
「今まで、この星が培ってきて、私達が学び取って来たこの星の法則を、完全に変えてしまう事になるから」
アンバーはそう言ってから、まだ混乱しているアンちゃんに聞きました。
「アンは、好きな人達がいるでしょ?」
アンちゃんは首を縦に振りました。
アンバーは言います。
「その人達が、誰かに殺されちゃったりしたら、どう思う?」
「すごく嫌だ」と、アンちゃんは答えます。
アンバーも頷いて見せました。
「神様……正確には、女神様が死んじゃうことは、アンの好きな人達が、全員殺されちゃうって事なの」
アンバーはそこまで言ってから、「私にも好きな人達がいる」と述べます。「私の双子の妹と、蜂蜘蛛って言う不思議な生き物達と、その生き物を守ってる人達。私は、眠る時に、いつもその全部をハグしてる気分で眠るの。それが全部なくなっちゃったら、私の腕の中には、なんにもなくなっちゃう」
「私、アンバーの事、好きだよ」と、アンちゃんは一生懸命言いました。「アンバーがなんにもなくなっちゃったら、私がアンバーをハグしてあげる」
「うん。ありがとう。だけどね、アンは、もっと色んな人を全部ハグできるの。だから、アン……」
アンバーは目を伏せて、何か言おうとしていました。だけど、急に何かに気づいたように顔を上げ、床から立ち上がりました。
「ごめん。アン。私、行かなきゃ」
アンバーはそう残して、廊下の後ろの方に澱んでいる影の中に、走り込んでいきました。
アンバーの姿が見えなくなってから、アンちゃんは、しばらくぼんやりしていました。
目を閉じると、またあの巨大な赤ちゃんの様子を見そうで怖かったので、目を瞬きながら、漆喰の廊下で、何処かから響いてくる波音を聞いていました。
そうしていても、瞬き越しに、赤ちゃんの様子は分かってしまいました。
比べるものが無いように巨大な赤子だと思ったのは、その赤ちゃんをクローズアップして観ていたからのようです。それでも、赤ちゃんは陸地ほどの広さの両手を伸ばして、核に抱き着いています。体つきは、大陸ほどの大きさで、開ける口は大渦のようでした。
星に寄生すると言うなら、他の動物や人間だって同じです。でも、それら全部を殺しつくす……もっと正すと、食べつくしてしまう力を手に入れようとしている赤ちゃんは、なんだか、不気味な存在に見えました。




