誰か居るって言っちゃだめ4
アンちゃんは相変わらず、心が眠って起きると、漆喰の廊下に来てしまいます。
だけど、外に出なくても、その外の様子が分かるようになりました。廊下に座り込んだまま、目を閉じれば良いのです。
お天気の良い外では、日に焼けた左官の人が漆喰を塗りなおしていて、ステッキを持ったおじいさんが散歩をしています。
猫も連れだって歩いていて、何処から中に入れるだろうと、自分のおうちの入り口を探しているようでした。
なんで、ドアも開けていないのに、外の事が分かるようになったんだろう。
アンちゃんは、ちょっと考えました。
アンバーには「もう同じことをしちゃだめだよ」と言われたので、何時窓が現れても、もし、閂が外されていても、もう外に出ようとは思いません。
あの真っ暗な世界は、アンちゃんが「廊下の外」に触れてしまったせいで起こった、一種の異変なのだろうと結論を出しました。
それ以上、グチャグチャ考えているより、せっかく分かるようになった外の様子を、瞼を閉じて観察しました。
「守護幻覚」は、何も十四年前に突然起こるようになった現象ではありません。その前の時代も、前の前の時代も、その症状を起こして、完治しないまま一生を終えた人達は居るのです。
創世記と言うものを綴った世界の人達は、気づいていたでしょうか。
その創世の頃から、ある種の呪いである「守護幻覚」と言うものは存在したのだと。
ある人の「守護幻覚」は、本来、女性の姿をしていて、他人にも見えるはずなのに、性別も分からず、他人には見えないと言う力を持っていました。魔力を隠すと言う意味では、それはとても有効でした。
その人は、内在させた能力を使って、まだ「魔」と言うものが定義されていない世界で、奇跡を起こして見せました。
その人の力は、治癒や生成の能力を発揮して、周りの人達は、その人の魔力の香りを覚えていました。とても良い香りであったと言う事は、創世記より後に書かれる書物にも載っています。
その人の守護幻覚は、姿が見えない上に、ひどく不思議な事を起こしました。その人は、それが「神なるもの」の祝福であり、自分に与えられた力だと思いました。
その人が殺されるとき、守護幻覚は何も言いませんでした。その人を助ける事も無く、その人が槍で刺されて、出血で事切れるまで、放っておきました。
そして、その人の亡骸が腐り始める前に、その体を自分のものにしたのです。死んで三日目に動き出したその人の亡骸は、もう、誰もその人だと気づけないほどに変貌していました。
その人の亡骸を手に入れた守護幻覚は、いずれの世で魔力と呼ばれる力を保ったまま、何処か別の土地へ消えたそうです。
長い長い時間が経ちました。眠っていた子供は、手足を動かしました。それだけで、大地は震え、地面は陥没し、其処の空いた穴から炎の龍が飛び立つ程の異変が起こりました。
大地の赤子は、産声を上げました。三度目の眠りから覚め、ようやく「大いなる神」と同じほどの力を得たと確信しました。
もう、自分は操られるだけの存在ではない。
そう悟った子供は、大きな声で笑いました。その笑い声は、稲妻を伴う嵐として、大地の上を拭き抜けました。
クオリムファルンでの異常は、その変化の先駆けと言えるでしょう。その者が目を覚ましかけているのを、暗示していたのです。
魔神達は自分達の技術で作った魔獣を、目覚めようとしているその者の瞼の内側に送り込みました。
その者はそれにより、光を失いました。しかし、その者は目を潰されても、外の世界を知る事の出来る能力を手に入れていました。
魔神達は、自分達の計画を推し進めようとしています。
「向こう側の世界」から放たれるエネルギーを当たり前に吸収して、魔神や魔獣達が、自分達の選んだ友好的な人間達と共に生きる、本当の楽園を作るのです。
新世界のヒト族の祖として作られている、エムツーとサブターナは、順調に成長しています。彼等が十五歳になるまでに、地上の様子を整えておかねばなりません。
半人半獣の、女性の姿をした魔神は、毎日エムツー達の様子を記録しています。「年齢に対して、運動量が足りなくなって来た」と、その日は記録しました。
「もっと、長時間のゆったりとした運動が必要だ。散歩と言う手段を、何処かで得させたほうが良い。長い時間を歩く体力が無ければ、新世界でヒト族が繫栄するのは難しいだろう」と。
アンちゃんは、クリスマスのプレゼントに、ローズマリーから絵本をもらいました。
聖典と呼ばれる物から書き起こした、子供用の物語が綴られています。
この世界に規律をもたらそうとする者と、混沌を選ぶ者達の間で起こった、世界の軸を変えてしまうほどの戦争の話も描いてありました。
「今、北の方向を見つけたいときに、小熊座を探すのは、世界の軸がそちらの方向に向かって捩じれたからなのです。千年前の大変な争いは、魔神をこの世界から追い出すためのものでした。
今、当たり前の空気を吸って、当たり前の水が飲めるのは、魔神を追い出すことによって、世界の中の邪気が一層薄くなったからなのです。
ですが、この世界が保たれている事は、決して当たり前ではないのです。みなさん、ご用心、ご用心」
そんな風に、絵本は終わっています。
絵本を閉じる時、アンちゃんは透明な誰かが、アンちゃんの周りから何処かへ走って行った気がしました。
「あ……」と言いかけて、約束を思い出したした。そこで、「アンバー。絵本、読み終わったよ!」と、お友達に声をかけて誤魔化しました。




